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「迷惑をかけてはいけない」という呪い

仕事は好きなはずなのに仕事にはしんどい気持ちもともなってくる。この辛いような、心がずしんと重くなるような気持ちはなんなのだろうか。
考えた結果たどりついたのが「迷惑をかけてはいけない」という自分に対する強い呪縛だった。

日本人なら多くの人が小さいころから「人に迷惑をかけてはいけない」と何度も何度も言われながら育ったのではないだろうか。

自分自身が嫌なことをされてもあまり気にならず、というか気づかず鈍感で、一般的に言う人に迷惑をかけられることを気にしない人間であるので、何をしたら迷惑なのか?という感覚がわからず子どもの頃からよく大人に注意される子どもだった。

感覚的な基準がないがゆえに「人に迷惑をかけること」に対して過剰に配慮する癖がついた気がする。いや、正確には配慮はあまりできないので、何か失敗やミスをしてしまったときに過剰に自分を責める癖がついてしまった。寝る前の一人反省会で寝つけない夜をすごした回数は測りしれず。

一時期謝り癖が抜けなかった時期もあった。「ごめんなさい」より「ありがとう」が言いたいなあと自分に言い聞かせた。

多かれ少なかれ多くの人の価値観の中に「迷惑をかけてはいけない」が強く根づいているのではないだろうか。

迷惑をかけない、それが大事なのは間違いないと思う。だけど「迷惑をかけない」はきっと1番大事なことではないと思う。迷惑をかけないの圧が強すぎてもっと大事にしたいいろんなことがないがしろにされてしまっていないだろうか?とときどき思う。

もちろん仕事はプロとして請け負っているので失敗しないことは重要だ。それは大前提である。その感覚は大前提としつつも「いかに失敗しないか」にウェイトを置きすぎているときの自分のアウトプットは得てして質が悪く、むしろ失敗しやすいまである。

仕事がしんどいときや辛いときはたいてい「迷惑をかけてはいけない」の気持ちが大きくなりすぎて実態以上にプレッシャーが大きく見えてしまったり、あることないことを色々想像して、受け止められる心の許容量を超えてしまっている。実際に起きないことまで想像したり、失敗するとものすごく最悪のことが起こると確信してしまう。

だから少しずつでも「迷惑をかけてはいけない」という呪いを自分から解いていきたい。自分を責めすぎないように、プレッシャーをかけすぎないようにしたい、が近いかな。

マイナスを減らすことよりプラスを増やすことにエネルギーを費やしたい。叩き合うことより、褒め合うことにエネルギーを費やしたい。

人に悪く思われないように意識するより、どうすれば人に喜んでもらえるか意識できる自分でありたい。

気持ちのいい仕事って、「いいしごとをしよう」というポジティブなマインドから生まれる付加価値や仲間との相乗効果だと思う。そういうときってベクトルが自分じゃなくて相手に向いている。「失敗してこう思われたらどうしよう」じゃなくて「どうしたら相手のためになるだろうか?」と思えている状態。

自分がどう思われるかから抜け出して、相手に集中ができている状態。すると以前と傾聴が生まれ、想像力がはたらき、価値のある行動が見えてくる。

こんなことを2週間ほど前にぐるぐる考えていて、自分に向きつつあったベクトルに自覚的になり、相手にベクトルを向けると、不思議と仕事のしんどさが減り、面白さが以前より増えたことを実感した。

もしもまたしんどくなったときは「迷惑をかけてはいけない呪い」に縛られすぎていないか?自分に問いかけてみようと思う。そっとベクトルを相手に向けられるように意識の方向を変えてみることにする。そうやって自分を励ましながら仲間を励ましながら生きていこう。

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