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カタリバとサンプリングと

北海道にてカタリ場をしている現役の大学生向けのイベントに参加して、「やっぱりサンプリングってすごいね!」ってなったので、サンプリングについてのお話を書きます。

※サンプリングとは何かは以下の記事がわかりやすいです。
(https://www.katariba.net/news/2014/02/17883/)

前夜祭、みんなでサンプリングをつくった。いろんな意見が飛びかうけれど、だれもがいいものをつくろうって目標はぶれずにいっしょで変わらなくて、どんな意見だって貴重な一つの視点になる。やっぱりサンプリングはひとりじゃつくれない。客観があるからこそ、むしろ主観がよりとぎすまされる。それは正に人間で。

他者と関わるからこそ、自分を見つけることができるし、「自分という存在の意味」は他者が決めつけることは絶対できないけど、一方で誰かがいるからこそ自分という存在は意味のあるものになれる。

俺はどんな存在だって意味があるって信じたいし、誰にだって自分には価値があるのだと思ってほしい。だから、それを感じられたときが嬉しい。あらゆる人を自分にとって意味のある存在だって思いたい。

サンプリングを訊いている時間がすきだ。サンプリングを聞いているとき僕は一所懸命、感じようとする。その人の存在とはなんなのか、その人が生きてきた人生の意味とは何か、その人らしさとは何か一つ一つのエピソードのその人にとっての意味とは。いろんなものが自分の中に入ってくる。

その分自分の経験もわきあがってくる。他人の人生に本気で向き合おうとするほど、それと同じ分だけ自分の人生と本気で向き合わなければいけない。向き合わなくても意見は言えるけど、その言葉に強度はない。だから自分を育ててくれるし、誰かの人生も他人事じゃなくて自分の人生の中の一部でもあるんだって、ちょっとだけ思えたりする。

自分自身と向き合うとき同時に誰かの顔をふと思い出す。それが頼もしくて、がんばろうってなる。自分の生きる意味がより広くなる、自分の人生に誰かの存在が重なる。だから、やっぱりサンプリングってものが好きなんだと思う。

なんだけど、俺は自分のサンプリングをつくるのが苦手で、自分のお話をするのが下手くそだ。だからいつかリベンジしたいって思っている。その時は、どなたかお手伝いよろしくおねがいします!

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