あなたはいま幸せですか? 正直僕は、言葉につまってしまう。

「あなたはいま幸せですか?」と聞かれた時、正直僕は言葉に詰まってしまう。
”しあわせ”だと言わなければいけない圧力のようなものを感じる。それは誰に与えられた圧力なのか。それは自分が自分にかけている圧力だ。どこかで自分で自分に対して、幸せじゃないと負けみたいな気持ちがある。

小学生くらいのとき、僕は困るくらいに幸せだった。「悩みがないことが悩み」という言葉は言葉だけで捉えると強がりのように聞こえる。だけど、本当に悩みがないことが悩みなのだと思ってしまう自分がいて悔しいけど認めざるを得なかったほどだ。

ちなみに悩みがないことが悩みとはどういうことかというと、日常的に苦しみを感じないことや不幸が降りかからないことで、人として成長できないんじゃないかとか、自分に甘い人間になってしまうんじゃないかとか、そういった恐怖を当時の僕は感じていた。

そんな僕が今は少し、幸せに行きづまっている。

あの頃見えなかったものがたくさん見えるようになった。昔より人を愛することだって知ったし、大事なものや人も増えた。感謝とか信頼とか、昔の自分がめったに感じれなかった素敵なつながりだって前よりずっと感じる機会が増えた。

客観的に見ると昔より今の自分は幸せな思いをしてるんじゃないかと思う。
それなのに少し幸せに行きづまっている。

思うに僕は日々や今という過程を昔より大事にできていない。昔よりどきどきできていない。

正解を探してしまう自分がいる。自分にとっての正しい幸せの形。よりあるべき自分。ここじゃないどこかにピンを立てて、そこに対して向かおうとしている。あるべき理想と、まだそこに追いつかない現実。

大体僕は昔からずーっと斜め上を見てきた。歳を重ねるほど、経験を重ねるほど、幸せを重ねるほど、目指すものはどんどん基準がましていく。
昔ほしかったものが今では簡単に手に入ったりするけど、もはやそれは自分にとって欲しいものではなかったりする。

だからこそ。今おきることこそが幸せだって思いたい。約束された正解なんてない。人の歴史は何千年にもなるけど、いつの時代も善いことは変わってきたし、絶対的なものにたどりついたことは未だない。この先もおそらく、ずっとない。でもそれでいい。それがいい。

許せないこと、理解できないことなんてたくさんあるけれど、その営みの全てが命の営み。人がいがみ合うことだとかそういうことだって、地球ってレベルで考えると、なんだか全て無駄じゃないと思える気がする。そういった営み全てを含めて命なのだから。みんなで繋ぐ世界という名のひとつの命。


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