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「青春のアフター」と「デビルマン」

このnoteは緑のルーペ著「青春のアフター」について、自分勝手な駄文です。ネタバレを含みますので「青春のアフター」は読んでください。

あなたは実写版デビルマンを観たことがあるだろうか。観たことがないのであれば、人生の内で貴重な115分をドブに捨てずにすんでいる。私は3回観ているので、貴重な345分をドブに捨てている。

棒読みの下手くそな演技、不可解なストーリー展開、不愉快なテンポ、この映画は日本邦画界で燦然と輝く最悪のクソ映画である。多くのクソ映画がツッコミどころで楽しんで観ることができるが、この映画だけはあまりのできの悪さに、観るという苦痛を味わうことになる。ではなぜ観るのか? それは、この映画が「観るものにクソ映画として苦痛を与える」という点で完全にアンオルタナティブだからである。じゃあどうするのか? 苦痛を与えられたこの映画を観た人間はどうするのか? この、言葉にならない何かを伝える方法は1つだけ、相手を傷つけるために、この映画を観させること。さあ、お前自身がデビルマンとなってこの最悪の映画を広めるのだ!

「ハッピーバースデー、デビルマン」

エンタテインメント重要な観点は、「毒にも薬にもならない」ことである。お前そのコミュ力あったら現実世界で引きこもりにならなかったんじゃね? と思うような「なろう小説」、悪を成敗する「時代劇」。カワイイがカワイイをカワイイしている「美少女4コマ」、かわいい女の子がセックスする「エロ漫画」。過酷な情報社会に疲弊した現代人は、そういった物を求めているのだろう。

最近読んだ中でのベストオブ「毒にも薬にもならない」マンガ

最近は毒にも薬にもならないもんばかりでなっとらん! もっと重厚な人間ドラマを読め! と人に言うようなクソじじいになりたくはないし、なるつもりもないのだが、毎日そういった水のようなエンタテインメントを浴びるように摂取し続けていると、時には毒になりそうなヤツも読みたいかな観たいかなって思う。

映画版における佐藤江梨子の売れない女優の演技が素晴らしいのでぜひ観て欲しい。

ラストの展開に魂が震えた。

ただ、この毒を適当に放り込んでくるやつがたまに居て、私はそれが嫌いだ。漫画家のK! お前のことやぞ!

おっと、アニメ化もされて人気がある私の嫌いな作家の悪口を書くnoteではなかった。そんなことより私には1つの持論がある。 それは、多くの物語が「登場人物のキャラクターが物語を形成する」パターンと「物語によって登場人物のキャラクターが形成される」パターンに分けられることである。ここでは前者を「キャラクター指向ストーリー (Character-Oriented Story; COS)」後者を「ストーリー指向キャラクター  (Story-Oriented Character; SOC)」とよぶ。キャラクターが先か物語が先かという問題は鶏が先か卵が先かのような水掛け論になるのでここではしない。しかしながら、COS的な作品とSOC的な作品という観点から考えると、よりその作品の目的が明らかにできると考える。

COS的な物語は、その目的をキャラクターの表現に集約されている。例えば純文学的な、人間の内面に強く踏み込む作品だと、その内面を描くために事件が起こる。逆にストーリーを薄めてしまうことで、キャラクターを際立たせるという手法も使われる。テンプレートのストーリー上でキャラクターを強調するキャラクター小説としてのラノベなどはCOSの典型だろう(たまにキャラクターまでもテンプレだったりする)。このCOSで代表的なマンガとして「みなみけ」が挙げられる。みなみけのほとんどのコマが真っ白な背景となっているが、それはこのマンガがキャラクターが存在するだけで形成されており、必要なのは誰が何をしたかだけであり、それがいつなのか、どこなのかという情報は重要ではないからである。

みなみけは日本のわびさびを表現した傑作である。

逆に背景が書き込まれたマンガはSOC的であることが多い。例えば浅野いにお的な? 

どこかの番組で「ゼロ年代サブカルの代表作」みたいな扱いを受けていたが、私にはよく分からない。

SOCは多くのエンタメ作品で利用される。なぜなら、ストーリーという面で作品を制御し、作者(あるいは編集者、雑誌形態など)の目的を達成することが容易だからである。推理小説で殺人を犯すまで相手を恨むキャラクターは、その恨みを表現するためでなく、事件のトリックを描くために用意される。美少女4コマは女の子を可愛く表現するという目的のために、頭がゆるふわなキャラクターにされる。エロマンガは導入数ページでエッチをさせるために、貞操がゆるふわなキャラクターにされる。これらは作品を書く「目的」を達成するために形成されるのであり、人間が書けてないとか、そんなアホだと現実社会で生きていけないだろうとか、もっと股を閉めろとかいう批判に意味は無い。

ここまで書いてようやく「青春のアフター」にたどり着く。青春のアフターはまさにそのCOSおよびSOCによって作者の目的をはっきりと示された作品である。その目的、それは「相手を傷つけること」。この毒を盛りまくった自称青春ラブコメは、その「傷つける」という目的を果たすためにそのすべてが完璧に組まれている。だからCOS的に言えば「タイムスリップが都合よく起きすぎじゃね?」と言うべきではないし、SOC的に言えば「みい子16年も待つか?」とか「さくらがそのあと過去に戻って主人公を傷つけに行くのは心変わりしすぎじゃね?」とか考えるべきではない。これは16年待ったみい子を受け入れることによって、16年待たなかった主人公の鳥羽を自ら否定させ傷つけるための、完璧な装置なのだ。そして、皆が傷ついたままで終わることで、作者は「みんな傷つきましたね? あなたも傷つきましたね?」というメッセージを送ってきているのではないか。じゃあどうするのか? 苦痛を与えられたこのマンガを読んだ人間はどうするのか? この、言葉にならない何かを伝える方法は1つだけ、相手を傷つけるために、このマンガを読ませること。さあ、お前自身が梅子となってこの最高のマンガを広めるのだ!

最後に、私のすすめでこの漫画を読んだ皆様へ。

このnoteを作成するにあたり、以下の素材を使用させていただきました。ありがとうございました。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%BF%E3%81%91(%E5%8E%9F%E4%BD%9C).jpg


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