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③ヒロポンさんが大切にしている言葉とは

「②ヒロポンさんにとっての、大切な1曲」から続く】

ヒロポンさんの座右の銘だったり、大切にしている言葉を教えてください。

土木って、親方と弟子みたいな現場なんですよね。仕事を始めた頃に、庭先だったりの石垣を積む仕事が多かったんだけど、親方みたいな(立ち位置の)人に“お前は頑張り過ぎるから、少し休め”って、もう毎日毎日、言われてたんです。夢中なことがあれば今も昼夜関係なくやっちゃうし(笑)、夢中になり過ぎて身体を壊してでもやっちゃうんですよね。
有名な格言とかじゃないし、言ってくれた方はもう亡くなったけど、今でもそれを守って…って、守れてないんだけど(笑)。仕事もそうだしケセンの設営もそうなんだけど、今までずっとがむしゃらでした。
大切な言葉のはずなのに、その言葉を全く守っていない(笑)。
そうなんだよ、直らないんだよなぁ…スイッチが入っちゃうと、それしか見えなくなっちゃうんで。スイッチが入らないことに対しては俺、結構ズボラで全然やらなかったりするんだけどね。特に、人から何かお願いされちゃったりするとね〜、すんごいスイッチ入っちゃうのよ(笑)。
人にお願いされて、スイッチが入った最初の機会って何でした?
最たるものは2009年のケセンロックかな(一同笑)。あのね…東京に行って地元に戻ってきて、仕事をしてるけど“何かやりたいよね”って、うずうずしてる人たちが本当にいっぱいいたの、その頃。(村上)健也(/KESEN ROCK FESTIVAL前・実行委員長)さんが“ちょっとドライブするべ”って。車に乗ったら“俺もさぁ、何か、やりたいんだよ”って。当時、車の中から映画を観られるカーシアターが流行ってたからそれを気仙管内でやろうか、とか、色んな話をした思い出がありますね。
“何かをやりたい”っていう地元のエネルギーが、特に1回目のケセンには詰まっていたんですね。そんなケセンは翌年・2010年の開催があって、2011年には東日本大震災があった。そして東京では「KESEN ROCK TOKYO」なる動きが始まる。
(↓新代田FEVERのウェブサイトに当時の思いが記載されたものが残っていますので是非ご覧ください↓)

あれは…キラキラしてたなぁ、(見に)行きたいなぁって思ってた。錚々たるメンツの人たちが、ケセンロックのために出演してくれて。ありがたかった。
最初は何のことだか全然、(趣旨なども)把握出来なかったんだけど、“(次の)開催がいつになったとしても、お金があれば楽だよね”って。
わたしは震災後に関東に引っ越して、“東京でまでケセンロックって、一体何なんだろう?”っていう思いでこのイベントに行った記憶がありますね。それがケセンとの最初、と言えば最初で。
そうだったんだね。その前から、昔から関わってるような気がしてたけど(笑)。

自分のブログに
KESEN ROCK TOKYOのことが
残っていました
拙いですがコチラから

わたしがケセンに関わらせていただくのは震災後・2012年からでした。この年の復活開催っていうのは…
そもそも、やる・やらないも、どうするかも決めかねてました。そこに“やるのか、やらないのか、はっきりしろよ!”って、喝を入れてくれたのはTOSHI-LOW(BRAHMAN/OAU)さんでしたね。ライブがないのに、大船渡まで来てくれてね。
開催の決断、勇気が要ったと思います。そんな2012年のケセンをちょっと振り返ると。
アーティスト発表の前にチケットが即完したんですよね、それこそ(告知としての)ポスターも全然出さないうちに。
当時のポスターが残ってますけど、“ご支援ありがとうございました”って、お礼の文章しか書いてなくて、(完売したんだから)ポスターはなくても良いんじゃない?っていう話にもなったんだけど、お礼の意味を込めて作ろう、って。

“多くの方々からのご支援を受け
当フェスは本年度開催を
迎えることができます。
お陰様で入場チケットは
完売いたしました。
たくさんの応援をいただき
誠にありがとうございます。”
とある

こうして震災後は毎年、歩みを続けてきたケセンは一旦、2019年をもってお休みすると。
10周年を迎えたところで。やっぱり…家庭も仕事も犠牲にしてる人たちが多くて、“このままじゃいかん、1回休もう”っていうタイミングだったんですよね。どうしても負担がかかる、それは2009年から言われてたことではあって。皆、設営とか頑張り過ぎちゃうから、俺だけじゃなくてね。土曜・日曜が完全に潰れちゃうとか、どうしてもこの日までに決めなきゃいけない案件とかがあって、夜中まで会議したりとかね。
今年の開催についての全文はこちらでお読みいただきつつ一部引用すると、“10回記念開催をひと区切りとして、次に目指した『ステージ』というのは、10年という期間で復興が進んだ大船渡・陸前高田での開催、ここにありました”と。
コロナがなければ、陸前高田に新しく出来た野球場(高田松原運動公園内/2020年完成)でやろうと準備をしていたんです。行政への挨拶もして、俺も(会場内の)図面を仕上げて、5000人はお客さんが入るんじゃないかな、っていう期待の中…本当に、その期待の中での、コロナでした。陸前高田でやって、次は大船渡でやって、それで種山に戻ろうか、みたいな。実行委員は皆、そんなイメージをしてましたね。
今年は大船渡での開催になった、というのは?
このコロナの間に、ちょっとね、状況が変わったのもあるし。行政の協力なくしてやっぱり出来ないのでね。それと何より今、大船渡に住んでる実行委員が多い中で、仕事であったり家庭がある。大船渡でやる方が少しでも負担が減るのではないか、という考えがありました。

【千葉裕昭/通称・ヒロポン】
家業である土建業・千葉組を営みながら
岩手県大船渡市にあるライブハウス
KESEN ROCK FREAKSの代表を務める
2024年・5年ぶりに開催される
KESEN ROCK FESTIVALでは実行委員長
趣味はホームセンターめぐり
好きな食べ物はカシューナッツ

ヒロポンさんにとっては今年のケセンに向かっている今、だとは思うのですが…
そうなんだけど、もう1つ「ライブハウスback state」(岩手県奥州市)のオープンというのもあって。こけら落としが6月27日(木)なんですけど。

どれぐらいの大きさになりそうでしょうか?
スタンディングで70〜80人ぐらいかな、椅子でその半分ぐらい。ちょうど良い感じの場所だよね。
でも俺も、またライブハウスを作るとは思わなかった(笑)。このライブハウスも自分で設計して段取りしてなかなか大変でしたけど、(オープンが)見えてきました。

ステージの雰囲気はこんな感じ!!

SNSを見ると、この場所でもTシャツを防音材にしているようですね?
やりました。着なくなった衣類とか、捨てるに捨てられないバンドTシャツなどを募集して、全国から集まったのでそれを壁に入れさせてもらいました。ボロボロになってて、思い出になってて捨てられないんだろうなっていうものとかも送られてきて、ちゃんと入ってますね。
壁の作業ひとつにしてもこうして手間がかかっていたりするし、そもそもヒロポンさんの性格上、中々休めない(笑)気がしますが“何も気にせず休んでいいよ”って言われたら、何をしたいです?
ケセンとかフリークスをやり始めてから全く、旅行というものをしたことがないんですよね。10日ぐらいゆっくり、異国の文化を味わってみたいかな〜。北欧とか、山じゃないところに木がいっぱいあって、寒いところは写真だけ見てても癒されるんで。俺は前世はこういう所に住んでたんじゃないか、って思ってるんだけど(笑)。

種山で開催されていたケセンは
こんな木立の道を抜けると
音が鳴るステージが待っている…
そんなロケーションでした🎶

【「④ヒロポンさんのこれから」に続く/6月28日公開予定】

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