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2022年3月16日23時36分

わたしは岩手県大船渡市という三陸海岸をのぞむ土地にいました。
東日本大震災の後に完成した東北ライブハウス大作戦のライブハウス・大船渡FREAKS(以下フリークス)に。

大きく揺れる直前、フリークスのヒロポンさん(写真左)が(正確ではないのですが)こんなことを言いました。

「何か来るな、これ」

わたしは全く気がつきませんでしたが、地鳴りのようなものを感じたヒロポンさんが発した言葉のすぐ直後、ガタガタっと大きな音と共にフリークスの中の色んなものが倒れてぐちゃぐちゃになり、ライブハウスの大きなドアを開けっぱなしにして外に出ました。
ヒロポンさんがそう言ってから外に出るまで時間にして僅かな時間だとは思うのだけど、その後の揺れはずいぶん長く長く続いたように思います。さらにその後知ったのですが、揺れは2回連続で発生したとのこと。あの時は、揺れている最中に緊急地震速報の音が鳴ったような記憶もあるし一体どういうことなんだろう?と思いながら、途切れることなくずーっと揺れが続いているような感覚でいました。

視覚には静かな大船渡の街が目に入りつつ、わたしの両脚はガクガク震えてました。皆がいるという気持ちは安心感があるはずなのに、自分の身体は恐怖を感じていました。

その時、フリークス・もえぴちゃんがわたしの背中にそっと手を当ててくれ、そのまま揺れがおさまるまでずっとそうしていてくれました。

あの手のぬくもり。ほんのり感じる、あたたかさ。

これまでのわたしが、こうしてあげたことはできたのか。
いやこの先何かあったら、わたしがこうしてあげたらいい。

人から教わること、人を通して気付かされることっていくつになってもあるのだなぁ、と思うのです。
ずいぶん歳下のもえぴちゃん、ありがとう。

東日本大震災の後にもこんなことがありました。
11年前は、3月11日の後もけっこう大きめな余震がしばらく続き、あれは初夏の頃だったと記憶しています。岩手県内の在来線に乗っている時に大きな揺れが発生し、車内にしばらく閉じ込められることがありました。

その時、Twitterで呟きました。恐怖でも何もできずただじっと座っている中で。

即座にこんなリプライが届きました。

“いますぐ、ちえさんのことを抱きしめてあげたい”

離れていても言葉が安らぎの力を与えてくれるものなのか。涙をぎゅっと堪えて電車が動くのを待ちました。
そしてそう言ってくれた彼女は、今も音楽を続けています。彼女ともこのコロナ禍で全く会えていないけど、また会える時が楽しみ。
いつまでもいつまでも、わたしにとっては大事な心優しき姫。


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