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北海道の闇

私は生まれが釧路なので、普通の人よりは北海道に通って何度も同じところを訪れた事があったので、地図を見ながら考察していたら、ある答えにたどり着いてしまった。

最近流行のフラットアースとかドロの洪水の事は一年くらい前から何となく考えるようになった。説明の上手いユーチューバーのお陰で、かなり楽しく理解できた。
関東ローム層の泥について、もはや疑う事は無いと私は理解している上での考察です。

古地図の1600年台から1800年台後半まで、どの地図を見ても日本には北海道という土地が描かれていないのが特徴的なのが日本の姿だ。
明治維新から日本になったという事は習ったが、北海道やアイヌの話を聞くだけの事しか知らなかった私は、ここで少し道産子の端くれなので、1800年代にタルタリアで大規模な核戦争があったことを、かつてたるタリアだった北海道に目を転じ真面目に考察しようと思う。

かつての北海道は、1600年台の地図を見たら、明らかにTarutaliaと記されている途切れた土地が、青森からかなり離れた所に位置していて、単に絵が下手くそなら地図などそもそも書かないはずなほど、当時の地図は海賊や侵略者が使う物だから、命がけで作成しただろうし、スパイの仕事なので危険も伴うほど、下手な絵でサラッと流すわけにいかないものだ。と私は子供の頃から暇があると地図を眺めては、よく妄想していた性格なので、特に地図への理解があるつもりだ。

最近購入した17世記の世界地図

しかし、今回は俯瞰で眺めた目線でふと気づいた事があった。
私の生まれ故郷の釧路は道東に位置している。
釧路といえば、釧路湿原、釧路港、厚岸の沼地など、自然に溢れているというか、そんなに古く無い未開の土地が溢れているけれど、湿原、つまり沼だらけなので、霧がとにかく濃い街で有名で、晴れる日などほとんど無いので、外にあまり出る気にはならないのだが、せっかく東京から北海道に行ったので、観光を楽しむためレンタカーで東側を北上して山へ毎回走りに行って、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖の一周を走って楽しんでいた。晴れた摩周湖は3回くらい見た事があって、その深さたるや、穴の中の引き摺り込まれそうな真っ青な水が不安を私にいつも与えていた。

国立環境研究所
摩周湖は1980年から水質調査をしています。
「このように人間が作り出した化学物質が極めて低濃度ですが湖水中に存在しており、それらの濃度の推移は、世界の使用実態や全球的な拡散状況を的確に反映しています。」


単なる湖なら、なぜそんなに細かく調査をするのか。何を調べているのか、研究所のホームページを読めばそれが辻褄の合わぬ理由で水質検査をしている事に呆れる。
支流などない上に、深さ212メートルもの水底の水質を調べる理由とは、放射能の測定以外意味がないのだ。誰も近づくことが出来ない水面であるが故の不思議だ。
摩周湖には厳しい法律があり、湖面に接近、接触することは不可能な上に禁じられている。
その切り立った崖の上の展望台から眺める掛けと水の関係を見ていると、まるで上からこの湖の直径の物が落ちてきたか、下から爆発してそこまで深い穴を形成できるのか?など常々不思議が付き纏う場所だった。
摩周湖を出るとすぐに硫黄谷があり、切り立った壁がやはり不安を誘う立ちはだかる城?みたいに見えて怖かった時があった。

湖の周囲が急峻なカルデラ湖に取り囲まれ、集水域に人間活動がなく、かつ流入出河川がすくないために汚濁負荷の流入がありません。

小島もカルデラの摩周湖は深さ212メートル

摩周湖から屈斜路湖へ行くには、硫黄の煙が噴き出す硫黄谷(地獄谷)がすぐに左手に現れる。丁度その湖の中間に位置する所で、岩肌から煙が不義出し続ける姿は、爆撃のあとかと思わされた事があったが、今考察すると秋田物部氏の鬼伝説と繋がる気配を存分に出して、その姿に悲しさを秘めている。子供の時の直感の悲しい思い出として記憶されていたのだ。

またしばらく先へ進むとすぐにクッシーがいる屈斜路湖。中島もある結構広めの、湖沿いの水辺を掘るとお湯が出てくるほど硫黄が香る綺麗な温泉場で、その周りはとにかく森である。聞くところによると全て国の国有林なので一般の人は探検も許されないことを知った時、入れない山には金山が眠ると聞いた事がある。またここら辺は不吉な名前の所には近付くなと、出会う人々に言われる。
子供の時によく氷に穴を開けてワカサギ釣りをしながらスケートで湖上を遊んでいた思い出がある場所。中の島には絶対に入ったらならないことをキツく叔母から言われた記憶がある。


上空から考察すると、穴が空いた上に土砂が落ちて来て半分埋まった様に見える。いや、そうでないなら線路が丸く迂回する理由もないだろう。
屈斜路湖を頒布埋める土砂はどれほどの量なのか、その当時に襲って来た泥の量を考えるとゾッとする。屈斜路湖は半分埋まったのに、まだ深さ181メートルもある。

そして、その先へゆくと男阿寒岳女阿寒岳の麓に阿寒湖がある。阿寒湖も同じで、上空から見ると富士五湖と同じ作りであることが見える。

富士五湖も核爆発のために発生したのか。と思ってしまう。
タルタリアと月読が繋がった。やはり物部氏、そしてかぐや姫と全て繋がり、この世の真実を見いだせるきっかけになった。

もちろん、阿寒湖も不思議をいつも感じる、三つの湖エリア。山の中に綺麗に刈り取られたエリアから車を止めて湖へ行ける気の利いた誰もいない整備された場所。加工のしやすい森。

趣味でよくキャンプ場へ行くので、自然には慣れている感覚でその場へいくと、ゾッとするほど不安になる事があるのが、いつも釧路へ行って感動してるんだけど何か不安がいつも残る、そんな子供の時からの気持ちが、今急に繋がって閃いた。

釧路には、古い木がない。さっぱりと針葉樹の揃った、鬱蒼ともしてない大自然なのだ。
そう、北海道の森は内地の森より若いのだ。寒い所なので針葉樹しかないのも整然としていてドイツの森を思い出させる。山へ行けば意外と平で綺麗な生え揃っている木々がまるで舞台背景のように、自然の中で遊んでいる感覚からすると逆に気になる「ケミカル感」。

釧路は明治二年8月15日に出来た若い街と言うことが釧路の風土記に書いてあった。
余談だが、ロシアのシベリア地方に人が入っていったのは、19世記の中頃である事も気になるタイミングだと思わざるを得ない。釧路に移民して来た人には全財産を突き込んで移住して来た人たちが主であるから、時の政府はこの事を説明しているはずもないが、健康被害などよりも、研究していたと考える方が納得行く事だと私は思う。

明治二年八月十五日『蝦夷地自今北海道ト被称、十一国ニ分割』という太政官布告が出された。
「釧路市史編纂事務局」

北海道には五稜郭で有名な、明治の建造物といわれる建物が残る地域が道央に数多く残るのも観光の一つだ。
しかし、釧路には自然以外の、明治文明の色が一切ないのだ。
明治に移民が渡ってきてから始まった新しい港町が出発点だ。その勝手の事を考察する一人の釧路の人のページを見つけて、移民が渡ってきた頃の釧路を見ると、バラックに住み、開拓や漁業、港湾づくりなどしている話だ。つまり、開拓者はゼロから釧路を作り上げたのであり、私の祖父が生まれた頃の話なので、私からしたら、移民してきたのはおじいちゃんのおじいちゃん、もしくはお父さん、私から見たらひいおじいちゃんが開拓の夢を胸に内地から渡ってきたのではないかと想像する。なぜなら我が家は分家の家で、警察官僚の家系で、実際私の代の従兄弟たちは官僚がほとんどだ。土地にゆかりも何もない感じがいつもしていたのは、北海道の人は殆どが東京に行ってしまう。我が家も北海道の寒さから逃げ出した一味だと思うほど、ジメジメして寒くて、居られないと思うくらい寒い時がある。骨の髄まで寒かった記憶さえある。
しかし雪がほとんど降らない、太平洋側なのにそんな気候を一切感じさせない釧路の冬はとにかく辛い。

開拓地で警察官。なぜ開拓地で警察官なんだろう?とも考えた事があった。祖父曰く、鳥取から越してきたんだと言っていた。今思えば、北海道には一応北海道弁はあるが、青森の下北半島へ行った事ある私は、外国なのに外国じゃないけど、青森は何喋ってるか理解できないほど外国だった記憶。そう、北海道の人は、ズーズー弁だが話し言葉は基本標準語が多い。寒くでなまった変化をしただけで、入植前の人たちが同じ地元で固まるから米町は標準語だった。どんなおばあちゃんでも、北海道弁で理解できないという外国感はない。
公務員だったと記憶に残るおじいちゃんは港湾事務所を構えて法律系の仕事をしていた。
みな公務員系の家系なので、私だけ思いっきり外れて生きているので、釧路の悲しい声が聞こえたのだろう。
釧路の米町という所に居を構えているので、そこへよく行った。近くには昆布森という海岸もあり、巨大な昆布の流れ着いた量には驚くというより、人がそんなものを手で運ぶのか?というほど大きいのでショベルカーとかでやれば良いのにと思うレベルの昆布を、地元のお母さんたちで集めている。
そこは狭い砂浜に切り立った崖がある海岸で、釧路の海岸はそんな厳しそうな崖と高波の荒れ狂う海のイメージがとても強い。

街へ行っても、札幌や函館の様な雰囲気は全くない。昭和の中期の雰囲気が今も残る寂れた地方都市の静かな景色で、いつも変わらなくていいなと思っていた。

核爆発が起こると、その土地は後世に湖があり、硫黄の山があり、温泉がある。
どう見ても樹齢200〜300年程度の綺麗な木が生えていて、揃っているのが不気味だったのは、その木の年齢少し前に釧路地方がまっさらに無くなったんだな。と思った。
核の影響が無くなった、もしく生えてると弱くなった頃に北海道に入植してきた事から、そこが核爆発が起きた場所だと政府はもちろん知っていたずだ。昔の地図が示す様に、前はタルタリア王国もいう国があったのだから。

1815年の事は調べても表の情報で出てこない。
情報を調べるより、核戦争があった事を大前提に考察しているので悪しからず。

釧路のすぐ近くに厚岸という名前の土地がある。アイヌ語で「牡蠣のよく取れる」という意味だ。
ミルク牡蠣で有名な北海道の大きな牡蠣はここで獲れる。
その厚岸を地図で見ると、湖と沼があるのだが、広大な沼に変な建造物を発見したが、いくら調べても誰もその沼の下の建造物の事を調べている釧路の人はいない。
ドライブして見渡しても緑色の植物と沼が広がって、入り組んだりとにかく禍々しい濃紺の湿地が広がる場所なのだ。
生物保存のために広大な同等の湿地帯は守られて美しい自然を育んでいる。
緑色のの湾曲している水の様なものが全て沼でかなり大きいと記憶している。
とにかく厚岸も、しんしんとした静かな整然とした寒い所というイメージがあるくらい、やけにさっぱりした田舎なのだ。

北海道の海岸線、やたら凹んでいるカーブの地形は、1600年台には描かれていなかった。
それどころか、北海道は大陸に繋がっていたのだ。それは縄文時代の話だけではなく、1600年台には実際に繋がっている事が描かれていたのを見た時、それは恐ろしい寒さを感じた。
あの北海道の形が何かにえぐられている変な四角なのは、その円弧からも隕石は飛んでこない事が私の定義なので、そこは核爆発をして土地がなくなるほど破壊された傷跡なのではないかと感じた。
それを誰が起こしたかはまだ分からないが、タルタリア王国であった土地が、全く存在していなかったのように削り取られてなくなっている、と感じた。

北海道に入植をしてきた人達は、北海道のことは何も知らない人たちばかりだ。
初めて見たものが当たり前になる。
道央には文化があって、東には何もない。
石川啄木があんな寂しい詩ばかりを書いたのは、その悲壮感を感じ取っていたのか、とにかく釧路出身のあの時代の若者はよく病気で死んでいる。昔は結核が主な死因だった。
放射能汚染されているところで育てばそれも分かる。

北海道を見渡すと、左側は文化の名残があり、右側は、若い原生林の土地に見える。
釧路湿原がよく見渡せる展望台があり、よくそこへ連れて行ってもらって、広大な広さの沼地の景色がなんてよく見渡せる綺麗なところなのか。という記憶が蘇る。
恐ろしく広大な湿地帯を、どうしてこんなに大きい湿地が出来たのか、しつこく聞いても誰も教えてくれなかったが、今ならわかる。
ロシアやモンゴル辺りと同じ景色なのだ。
核爆発で壊滅するほど攻撃された土地は、厳冬になり、丸裸の土地になり、そのあとの津波で変わった地形とのバランスで、沼になってしまったかつての文明の土地があったのではないかと思えるほどの平らな広大な土地。
高い山は北海道にはあまりない。
なだらかでひたすら真っ直ぐな道があるのが特徴なのだ。

まっすぐな道を作れるほど、リセットされたとしか言いようがない、フラットさは、北海道の雄大な景色と今まで感じていたけれど、かつてはさらに大きかったし、文明が日本とは全く違っていたはずなのは、札幌あたりの景色を見れば一目瞭然で、むしろ北方四島にロシア建築が多い。
ほっかり、なぜか道東は、古代からの歴史や風土を感じさせてはくれないのだ。

まだほんの若い原生林になってしまった阿寒国立公園。道東に限らず、北海道のほとんどが歴史の浅い原生林と、整然と区画整備された畑が広がる、歴史の浅い土地に見える。

これまで普通に見ていたものが、その爆発の規模や大きさというよりその数がどれほどの数の核が炸裂したのだろう。と考えると、道東の自然が破壊された後の姿だと分かる。
世界遺産、それはタルタリアのことを隠すために設けられる称号。
東側はとにかく海岸線をよく見ると、大体沼地が海の近くに広大な広さで存在している。
そして、湿地でないところは、大体切り立った崖の海岸線が多い。

北海道は、戦地にならなかった。
不思議なことに終戦後のどさくさの時だけ大変だったと語る人の話を聞いた事があるが、それ以外、むしろあの大きな土地を取りに来なかったのは、シベリアの北側も同じく、汚染された街だと知っていたから手を出さなかったのだろう。

戦争の頃釧路はどんな感じだったのか聞いた事がある。
別になんも起きない、いつも通りだったけど、おじいちゃんは戦争の話はしたくないと言って何も語らず持っていってしまった。

親戚にもいろいろ聞いて回ったし、学校長をしている叔母にも聞いたが、誰も何も知らない。
釧路はそもそも人が少ない上に、あまりの広大な湿地に変なものが隠れていることすら疑わない人だからのんびり自然を眺めて生きている。
しかし、釧路は明治維新の後から新たな入植者を入れ日本になった。かつて暮らす者の存在をどれほど弾圧して鎮めたのか、それは苛烈なものがあったはずだ。
想像もつかないほどの核攻撃を経て、生き残った人たちを突然武力で追いやったのだろう。
新撰組が回されたなら、視界に入ったら無条件で殺戮を繰り返していたはずだ。

アイヌの人に、山へゆけば会える。
言葉は通じないが、目の奥に深い気持ちを持っている事を教えてくれている気がする。

これが真実なのだろう。核攻撃でタルタリアを破壊して、アメリカ同様、入植者から始まる歴史の無い土地の生活。
シベリアの北側も、きっと同じ様に冷たく物悲しい土地なのかもしれないと思った。

今回さっと調べただけなので、地図を見て考察から答えを導き出したが、国立公園、世界遺産は前文明か隠さなくてはならない政府にとって都合の悪い何かなのは、最近ようやく分かってきた気がする。
そういううがった目でこの世を見てみる必要がある。

最後に、湿地帯に隠れてる変な形、これがスターフォートの名残かな?と思ったので参考に写真を載せておきます。
スターフォートがあったなら、そこは高度な文明があったところ。そして今は沼。

釧路市の考察でした。

この投稿動画が、この仮説を裏付けてくれると思う。

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