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小淵沢は古代遺跡の上にある

5月の連休最後の週末に白州にあるキャンプ場へ行ってきた。そこは毎年何度か訪れるキャンプ場で、大きな池があり、段々としたコテージが立ち並ぶ水のほとりでキャンプしながら、音楽イベントの出演者として、年に2〜3回行くところであったし、行き慣れた場所であった。
そのキャンプ場へ行くようになって3年目。これまで何一つ見えていなかった物が、最近ハマっているGoogle Map探検をし続けていたら、今回突然そのキャンプ場の全貌がはっきりと見えてしまった事に驚きを隠せなくて、音より遺跡探索に気が行ってしまった。

午前中に世田谷の自宅から中央道で小淵沢へ向かい、通いなれた道とは反対側の道から、つまり、いつもは下から登る感じでそのキャンプ場へ向かうのだが、今回は時間に余裕がある事と、山梨県へ来たら馬刺しのランチが食べれたらと友人六人で車で走って最後の休みを思いっきり楽しむ期待でワクワクしていたので、すっかり別の道の方にまで来てしまった。
そのキャンプ場は一つの山に一本道しか通れない、見る限り個人の山なのだろうと思わざるを得ないフェンスがあったり、他の施設が一切無い、よく見たら不思議な山だなと今回気付いた。
国道20号から「フォッサマグナの湯」の横の害獣フェンスを自分達で開けて通れる道なので、初めて来た人はそこに入る気持ちにはなれない不思議な閉塞感を醸し出しているが、通い慣れている私たちはさっさと山道へ入る。

その道は、川沿いにある舗装された林道で、人工の滝が連なる川がある。山景色が清々しく、夕方5時から私の演奏が始まるので、どんな雰囲気にしようかなと山の景色を見ながらキャンプ場まで登るにつれて、あ!っと気付いてしまった事があり、そこから音楽イベントより古代遺跡の意識にすっかり気持ちが変わってしまったのである。

「この世に存在する名の付く滝は全て人工構造物」

この基本があったので、山道を俯瞰して眺めていると、その道自体丸い古い石が積み上げられて出来ている石垣である事に気付いた。とても古い石垣である。それが丸っと山一つどう見ても規則的に台形の形を見せているところで、この構造物どこまで続くの!?と鼓動が早くなっていくのを感じた。そして気付いた。
私は全身に鳥肌が立ち「やばい!この山、この山自体全部人工構造物だよ!みんな見て!」

車から見える木の目隠しがされている滝や、道を構成してる石垣が崩れないように木で覆われている道、台地のような形の山。規則性のあるその「造り」は同行していた全ての友達さえ認めざるを得ない本物の古代遺跡が、もちろんその機能は使われていないが、その構造物は道として使われていた。その山の説明は一切見つからないが、横道や登山道があり、ハイキングする人も多い山なのだが、そのハイキングコースの入り口には注意書きがあった。
「盗掘禁止」
そう書かれていると、取ってはいけないものがある事を示唆しているという事は、この山の持ち主はこの山に何があるのかはっきりと認識している。
「こ!この泥棒め!」と口を突いて言ってしまった。

なぜなら、どの山を先祖が保有していたからと言って、1816年以降、その山は単なる山に変貌した事は明らかすぎるほど見えていて、遺跡を保有できる民間人など日本には居ないはずなので、故に泥棒、搾取と言った方が良いかもしれない。
その山は山自体が資源なのだ。
ど田舎の大金持ちの謎が少し見えて来た様な気がした。
この理屈は、世界中にあるスターフォートや、城、ポンペイ、カッパドキアなどと同じ古代遺跡を城壁だの、王様の墓だの言われている物が、実は1815年までは発電所として人々の生活を支えていた公共の施設だったので、現在その山など保有している輩は、それを勝手に掘り出し売り捌き、勝手に金持ちになっていくので存在する田舎の権力者と言われる強欲な奴等だと考察する事が出来るのだ。
半年くらい前にGoogle Map探検をしていた時に、京都の鞍馬山を見ていたら、琵琶湖から淀川まで山の中を通る水路と古墳の形を見ていたら、その古墳が山の中に隠されたスターフォートであると判断せざるを得ない形。鞍馬山を調べたら横穴や石垣がその山を構成しているのと同じように、白州の山も同じ様相であったのだ。
そのスターフォートは「天智天皇陵(山科陵)御廟野古墳」である。
つまり、土が山のように盛ってあるので、山に見えるが、想像力を使い俯瞰してみれば、石垣の構造物に土が降り積もって出来ている山と分かる。

それと同じく、そのキャンプ場も土に覆われている台地のような構造の山なのだ。綺麗なラインを描き、どう見てもこれが自然の造形物とは感じられない人工湖とピラミッドのようなものなのであった。
ならここは山自体全部全部、カッパドキアのような古代遺跡なのではないか?と見えるようになってしまった。

キャンプ場のこの景色、小高い山に囲まれているキャンプ場。何回も来ていたのに一度も人工物とは思えなかったが、そこでキャンプをゴリゴリにしてきた例年の苦労が蘇った。
キャンプ場なのにテントを張れる平らなところが少ないのは、平らにできない理由があったんだ!と気付いた。テントを建てるだけでも一苦労なのに、コテージの一番奥へ行ってもUターンするスペースが無いので、私くらい運転が上手い人間じゃなくては一番奥からずっとバックで走らなければ出られない程難しい道なのだ。ちなみに私は深夜番組で全日本車庫入れ選手権で2位になった事もある。(優勝したのは船に車を乗せる人)全部細くてキツイカーブの路ばかりでなのに、何度も人が歩いたり、車で土を削って登っていても「形が一切変わらない」不思議な場所だと思った事がヒントになった。

音楽イベントをやる時、一番広い広場に舞台を設置して開催するので、階段がないところは急な坂道を恐る恐る降りていかなければならないのだが、一番初めに降りた時のあの不思議な不安感。
登山靴で滑るように降りていくその急な坂に対して「なぜ階段になぜしないのか、とても危ない坂だな。きっと3年もすればこの坂道は掘り下げられて凄い歩きにくい坂になるんだろうな。」と漠然と思っていたが、今年もその坂は、前の年と変わりなく同じ形で存在していた。

削っても削っても形が変わらないのはこの土の下に硬いものがあるからだ。
今なら普通にそう考える。そして会場全てを見渡して、細かく石を見て、はっきりと認識した。
この山は下から上まで周りの山も滝も全部古代遺跡だった。
何人かの人に「千絵ちゃんって古代歴史オタクなんでしょ?」と話しかけられ「最近そうなの!だって、この山もあの山もこの湖もこのキャンプ場もこの道も、ここまでの国道20号ですら、全部ふっるい石垣で出来ていて、大きな川も小さな川も見事なまでに全部昔の人が作った規則性のある、まるでラピュタの世界に来たみたいって見えない?」と捲し立てるように語ってしまった。
その人はとても優しい人で興味津々で私の分析考察を音楽を楽しみながら聴いてくれていた。

「今日撮った写真なの」と自分のiPhoneの写真を見せて頭に浮かんだ分析した事を、聞かせるのではなくて、私の場合、頭の中に情報が溢れ出てきて、それを口に出して発音する事により思考をまとめる癖があるので大きな独り言になってしまう事がよくあるのだが、その時は聞いてた人さえ真っ暗な中、ハッと気づいてくれた。
「ねっ!?この形が自然に出来たと思える?すっごい規則的な形だよね?勾配の角度でさえ。」
そして一番低い位置にステージを置いてあるフロアを取り巻いてる石垣を見て説明を始めた。
Mudfossil UniversityさんのYoutubeで聞いた説明によると『肉体だった物は血管がある。そこにはオレンジと黒の染みもある。それは静脈、動脈からの血液の色』なのである。私はそう信じた。
「こういう細かい穴は小さな血管なのだけど、多分あるはず、私の指と同じ太さの穴が…」とその場所から3個目の石の下側を触ったらすぽっと人差し指が入る自然の穴があった。

数年前に三浦海岸の毘沙門天で拾ってきた石も穴が空いたので、そこに花を刺して飾ろうと持ち帰ってきた白い石と同じものが山の中にあった。


一昔前の私なら、この石が山を下って海に着き、そして経年で穴が同じところに水滴で空けられる…と感じてそして無視をしただろう。
だけどよく考えたら、同じところに同じ穴が深く開くためにはどれだけ長い年月、その同じ場所に水圧を与えれば、人差し指大の穴になるのかと想像したら、自然の中に転がっている石に穴を作るのは不可能であり、教壇で偉そうに出鱈目な事をほざき続ける先生という生き物に苛立ちを感じるのである。(教師は世界一馬鹿がなる職業 byエリート)
でもその時は、説明を聞いてる人でさえ「やっバイ!鳥肌立ってきた!」と脳の中の煙のような呪文が解けるかの如く、私の説明している通りに全て出現してくるので、私ですら少し肌寒くなりながらも結論を出した。
「この山自体カッパドキア」

みんな納得してくれた。

「あのコテージも、あの並びも、ほらあの山も!
みんなみんなみんなみんな!ヤバっ!ここ古代遺跡だよ!」
みんなで音が聞こえなくなるほど興奮してしまった。

二日目。
近所のスーパーに食材の買い出しと、長野県で有名なラーメン屋さんのチェーン店「テンホウ」へ食事をしに行こうと会場を抜け出した。
遺跡の山を降りて、それを眺めては「凄いな〜、でもあのキャンプ場の奴らは、、曾祖父さんは泥棒だ!と言ってやりたくなるわ」とこぼすと友人が「そんな身も蓋もない。」と庇うことを言うのだが、その強欲な延泊代の高さに少しムッとしていたので、なぜそうなのかを説明した。
奴らはこの山の資源を隠して使っている。その特権がなぜ泥棒となるのか、それを説明すると長くなるので、またそれは別の機会に。
フォッサマグナの湯の横から国道に出る。
探すまでもなく、川沿いの段々畑は全て古い石垣。周りの畑も街もみんなみんな石垣で作られていて、実は全然隠してなくて、本当に美しい景色なのだ。現代のブサイクで低品質なコンクリートとはレベルの違う雰囲気を持っている。
この台地や小山に見える土の被った不思議な構造物。いったいどこまで続いてるの?と長野県出身の友人に尋ねたら、「これ、諏訪湖までこんな感じで続いてるというかずっとこんなだ。」と友人は生まれ育った土地を鑑みて口数が減ってきた。
家々も変な台地の上に普通に建っていた。
家の石垣自体、大きな巨石があり、高い技術で組み上げられた丸石の石垣が、地元の金持ちの家の塀となっている。
田舎の人は古代遺跡の上に住んでるんだなぁ。
そんな事を眺めながらある山を見た。
温泉のある道の駅。その後ろの山が、段々とした山肌から「石」を採掘しているところがたくさんあり、それを眺めたらどう見ても山自体が遺跡なのだ。遺跡という事は、あの山自体中は空間があり、そして中には居住区もあるはず。採石場の形が綺麗な角を形成して採掘されるのは地図で見たら一目瞭然。
初めてこの地に来た人たちも「ここに来る時凄い遺跡みたいなのたくさんあるよね!」と言うほど丸見えだ。
小淵沢へ行き、馬刺しと日本酒を買いに行ったその場所ですら、台地、台地、台地の町だった。
段々畑、これはれっきとした『タルタリアの文明の力』なのだ。
そして山全体を俯瞰して見たら見つけてしまった。その恐るべき規模の一つの都会が丸っと土に埋もれていて、2、3個の山に見えるが、その実態は山が建物だったのである。
横穴ももちろん存在していた。

水があり、台地があり、そして横穴がある。
小淵沢の歴史は全く知らないけれど、山梨県を高速で通ってきて見たもの、甲府盆地、ほったらかし温泉など不思議な規則的な山。
そして山道の際を見ると、熊野林道と同じで、道を構成している石がとにかく古くて内側にガードレールが無いのだ。
なぜなら内側に落ちる馬鹿はこんな山に入らないので、外側にしかガードレールは無い上に、石が硬いから個人の所有する山に値段の高いガードレールなど敷く人もいないのである。
しかし、横道という横道にはバリケードや門が設置され、法律で守られその分岐を行く事は不可能である。つまり国が管理しているのである。
だから国とその山の所有者はその山が何で出来ていて、そして何かを国民に黙って勝手に使っている。
勝手と書くのは、本当に支配者が勝手に古代遺跡を使っているので、どこを探しても何の情報も出てこないのである。故に権力者は嘘つきで泥棒なのである。
横穴あるところ地蔵あり、その意味は毎年何万人もの行方不明の子供達に必ず繋がる。
これが、隠している意図なのだ。

その怒りは今回はさて置き、山となってしまった街々の規模があまりにも大きいので、どれほどの規模なのか観察しながら、現在東京都の水道水には4月の少し前から鼻をつく異臭の水が使われており、高濃度の農薬がふざけた理由で添加される事が与野党一致で決定され、3月後半から自宅の蛇口を朝一にひねると、必ず喘息発作を起こすほどの異臭を放つ。そんな毒を一滴も飲みたく無いので、いつも山へ水を汲みに300ℓくらいタンクを用意して、今回も水を探したいと長野出身の友人に尋ねたら、この近くにいい水場があると言うのでそこへ向かった。

そして、またもや遺跡だったのである。
そこは「大滝神社」という湧き水が溢れる神社であった。
謎の低い山なのにすっごい冷たい水が豊富に流れてくる滝なのである。
そこの水もとても強いパワー水で現在毎日の水分として料理に飲み水に使っている。
水泥棒さながらの量を持ち帰って、その神社の周りを探索したら、怖い怖い横穴がまた出てきて、さすがに中には入りたくなかったので、トンネルの近くで写真を撮った。

さらに、大滝神社は中央本線の際に建つ神社なので、歩いて通るトンネルを越えて線路の向こうに行った。
全て隠されていない、説明とは全く噛み合わないレンガのトンネルであった。

中央線も古代遺跡かよっ!と少しこの国の政府の強欲さに苛立ちを覚えた。
説明が出鱈目すぎて腹が立つのである。
もし私が北杜市を語るなら『ここは世界一巨大な古代遺跡の埋まった街だ』と言うだけであるが、小淵沢にもあるのよね、星野リゾート。星野リゾートあるところ全て遺跡の定義。つまり、権力がそれを隠しているのだ。

あまりの規模の大きさに、我々の敵、つまり権力とは、パンデミックだの、マスク教だの、ワクワク摂取などを起こしている権力に、愕然と虚無感を感じてしまうのだ。
この国の政府は、全て知っているのだ。金持ちと共に最初に資産価値のある土地を奪って支配していったことが隠されているのだ。
なぜ奪えるのか。

それは、1815年に起きた古代核戦争と呼ばれる破壊行為の末、全世界に泥の雨を降らせたマッドフラットの事である。
その後の3年間、人々は凍え死んで死滅してしまったのだ。少なくとも北アメリカ、カナダ、シベリア。つまりタルタリアだった土地は寒いなんていうレベルではなく、夏のない時代とは、生きていけなくなるくらい寒かったので、当然自然エネルギーが使えなくなってしまったのだから原始時代の状況で夏でも雪が降るような寒さ、北海道なんか目ではないくらいの寒さの中、食べ物もない上に核汚染され、ナポレオンでさえ死んでしまった事を指している。
そう、人間はあらかた死滅したのだ。1816年から3年の間に、生き残れた人間は権力者や運の良かった人、山の中に逃れられた人などのことを指す。
それが明治政府が悪魔だと言う所以なのである。故に明治維新とは明治革命。人を殺し街を破壊し、焼き討ち、優れた建物を牛耳っている輩、これが天皇であり、政府であり、大企業なのである。
その煉瓦造りの建物は全て全て明治の天才「辰野金吾」という謎。大体66歳で死ぬはずだが、こいつは64歳で死んでいた。2年くらいごまかせるだろう。全て嘘なのだから。

なぜ66歳で死ぬかはまた別の時に説明しないといけないほど、この世に知られている事は表面の埃のように少ない。

帰路に着き、中央高速を甲府盆地までずーっと観察をしていた。釈迦堂には縄文時代の埴輪の博物館もある。
ふと高速の道を眺めていたら、見事にコンクリートが被されている。白い落石防止のコンクリート被せ物の下にあるのは、石で組み立てられた構造物があるはずだ。見せたくも無いのだろうし、本当に崩れてくる可能性が高いのでカバーされているようにしか見えないのだ。
山梨県のその規則的な台地の形からして、それが昔作られた物だと、もう考えるまでもなく丸見えなのである。なんとそれが上野原インターまで繋がっていたのである。

結論

今回は小淵沢までしか行かなかったが、ざっと考察するに、甲信越自体古代遺跡が埋まった上に作られている都市であった。
あの山全てと言ってもいいくらい、ずーっとずーっと遺跡が埋まっている物が「山」だったのである。名前のない山がたくさんあるのだが、なぜ名前がないのか、なんとなく分かった気がする。
山ではなかったから山の名前がない。ただそれだけだと思う。

そして、それは私の考えが正しければ、関東甲信越全て古代遺跡が埋まった上に我々の文明がたった300年であったという話しで、多分甲信越はもっと古い時代に埋まったのだろう。関東ローム層は四層ある。これのいずれかの時に埋まったと考えれば合点がゆく。
驚くほどの規模であった。

『この星には山も森もなかった』
この謎がようやく実感できた。
大木の切り株ではない山。あれはどのようにしてできているのかこの一年、ぼんやり考えていたのだが、ついに理解できた。
小高い山は埋まってしまった都市なのである。
諏訪湖の辺りの山々や、アルプス山脈などは、古代の世界地図で表されるように、日本は龍で描かれ巨大な龍の死骸が石化して山になり、国土になったのだ。
そこを開発して都市が作られた。それはカッパドキアに見られる、あのような石造りの都市を作る材料になった。
石を加工する方法は音、つまり周波数である。ある楽器を使って音で巨大な石を加工したり移動したり、かつての人達は我々から比べたら遥かに神に近い能力を持っていた人達がいたはず。
そしてその人達を無残に攻撃して破壊して殺して焼き尽くして、そして全てを奪ったのである。
だから出鱈目な説明が世界中に溢れ、世界のほとんどの人達は洗脳教育と呼ばれるスキーム、ドイツで開発された『義務教育」によって信じ込まされ、その後の選択肢において理数系に行った人達には生活の中で、その理論のおかしさに気付く人がいる。私もその1人だった。そして物理を学んだ人間ならすぐ分かるが、大学の歴史家という嘘つきが、権力を守るために小説家が創作した歴史と言う本当に下らない嘘をペラペラ流布して人を騙してきたという事である。
江戸の大火に見れる世界中であった火災。これは前文明を隠すために明治政府が燃やしたのだが、そのトバッチリを喰ったのが四谷怪談のお岩さんだ。明治政府の大罪を1人の女性に押し付ける傲慢さで名前を汚された本当にかわいそうな人だと悲しくなった。

権力はそうやって人を殺して自らの権力を強めるのだ。

知らない事は無力なのだ。見てもわからなかった自分が悔やまれるほど、この世は嘘で作られている。

私の自宅がある場所すら古代遺跡の上に存在していた。なぜなら煉瓦造りの運動場まであり、その周りの土地は国のものか、朝日新聞であるのだ。腹が立つほど全部全部泥棒したのが現権力なのである。
更には、地元の人、つまり我が家の目の前で農家を営む大地主の家には古い蔵があり、半分埋まっている。その人が「ここは迴沢って言う通り、昔は川だったんだよ」と教えてくれた。そのはずだ。形からして綺麗にスターフォートの一途であるのは我が家の裏の公園の井戸やそれを構成する巨石からもう理解していた。
更には大谷さんにも教えてもらった。昔ここら辺は遺跡がたくさんあったんだよね。今はどんどん建物立っちゃったけどね。

しかし、すぐ側には元青山学院理工学部があり、そこも煉瓦の塀で出来ている。それは青学があった頃からずっと煉瓦であった。

だから、この世には山も森も無かったのだ。
破壊者が都市を山に変えたのだ。
その戦争がどんなに悲惨で恐ろしいものだったのか、何が起きたか知りたければ、↓このYoutubeが参考になると思う。
そして、これから権力が私達に起こそうとする事は、国民を守るなどという価値感など微塵もない事が分かる。
権力は何度も人類を突然攻撃し始めた。
その凶悪さが理解できると思う。
それすなわち、日本を牛耳っている天皇という悪魔が垣間見えるはず。

この世に流布されている言葉より、このYoutubeの方が真実であると私は強く支持する。

この世において、習った事の隅々まで真実など何一つ無い。
この事を私は言い続けるつもりだ。

だから人々に目覚めて欲しい。1日も早く。

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