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Disobedience(2018) ロニートとエスティ 感想と考察

※ネタバレあり(ネタバレしかない)

冒頭のラビが亡くなるシーンから、NYで写真家をするロニートのシーンへ。「大事な知らせ」と職場の人が伝えにくる。大事な知らせを伝えたり、ロニートのリアクションは大幅にスキップして、行きずりの男と関係したりスケートしたりするロニートを淡々と映すのみ。飛行機乗ったと思えば英国へ到着し、とある家に着く。どことなく全員に歓迎されていないロニート。家にいたのは冒頭でラビを囲んでいたユダヤ教の人々。皆、経験な信者でありNYで自由を謳歌するロニートとは違う人種だ。

ドヴィッドとロニートの会話はどことなく、あまり話題にしたくない過去があるような気不味さが蔓延している。「タバコは外で吸ってくれ」。
ここでロニートが父ラビの知らせを伝えてくれたのに、ドヴィッドとエスティの結婚はなぜ教えてくれなかったのと、単なる友人としては不自然な真剣味を持って怒る。

二人の空間になると、素直で自由に相手を求めるエスティ。彼女らが最初にキスをしたシーンで、これは過去にも関係があったのだなと分かる。ロニートの、驚きと戸惑いと意外な悦びに満ちた顔がそれを証明する。その後の会話は、非常にリアルで(街のどこかで同じ様な会話が繰り広げられているだろうなという意味)、冬という背景と煙草というアイテムが存分に活かされている素晴らしいシーン。二人が若い頃に何があったか、それぞれがどんな感情と動機でそれぞれの道を選んでいたかがはっきりと示される。そして、これまでの関係とこれからの関係を示唆する内容になっている。
叔父の家のディナーから既にそうだけど、ここからは敬虔なユダヤ人達がより一層アンチテーゼとして描かれる。ただ、アンチテーゼとして十分に重厚だと感じるのはやはりドヴィッドの表情や行動だろう。なぜ重厚なのかは最後まで観ると痛いほど分かる。
そして、アンチテーゼに迫られる様にして街を出た二人はホテルで決定的なことをする。これはやはり決定的な行為だ。あるいは、これを決定的な行為を感じさせる映画前半の描写がとても丁寧なので、どうみても決定的に見えるようにできている。
やはり、決定的なシーンのあとは、エスティの心も固まってくる。というか、アウフヘーベンに到達する。エスティの告白を聞いたドヴィッドが、聖歌隊(?)に囲まれながら佇むシーンのカメラとドヴィッドの表情が良い。そして、なんと3人での夕食でも潔く男前で優しく振舞うドヴィッド。なんというか、ドヴィッドは人間として優れ過ぎている。
それで、最後のシーン。ドヴィッドの名演説。時間にして3分あるのか?というくらいコンパクトで内容もシンプルなんだけど、これまで映画で投げかけてきた葛藤に、最も適切かつ感動的な回答を提示してくれる。まあ、そりゃそれが正解なんだけどさぁ...、あの敬虔で、ロニートの登場によって大きく揺れるエスティを、藁にもすがる思いで愛おしげに見つめ続けたドヴィッドが、全てを投げ打ってあんなセリフを言ったら泣いてしまうよね...。
全員(最初に主人公と思われたロニートよりも、特に残りの二人の方が)がそれぞれの葛藤から一歩進めたという結末。最後の最後は純粋な動機で愛情を顕にするエスティとそれに対するロニートの言葉。ロニートだってわがままになればもっと違う図々しいこと言えたろうに...。とか...。
(※"進める"ことが必ずしも幸せになるとは限らないし、"幸せになりました"という結論を用意していないのも"very mature"な設計だな...と思った)

Rotten Tomatoes Tomatometer 84%!




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