こそあどブッキング

どうも、leccoです!

なんとなく、ツイッター上で所謂『論』を語る人が減ってきたような気がします。個人的には寂しい気がします。そもそも、我が国には言論の自由があるはずですから、誰が何を語ろうと(良識の範囲内なら)問題はないはずです。

実際はツイッターではその手軽さゆえか燃えがちに見えます。ただの思考であって、別に燃やすような必要はないと思うのですが。数年前に流行った曲のフレーズをお借りするなら、人はそれぞれ正義があるという事でしょうか。一概に言えませんね。

今回のお話は少し『論』に近いかもしれません。燃やさないでね。度々言いますが、所詮は素人のイチ意見でしかないですから。

さて、世はまさに大パーティー時代です。クラブ、ライブハウス、ミュージックバー、スタジオに至るまで、都会でも地方でも、DJパーティーは必ず毎週どこかで開催されているような世の中です。

激戦ですね。非常に残念ながら、DJやクラブというのは今のところ社会的なイメージがあまり良くないのか、ある程度限られたお客さんを取り合う様な印象です。

各主催者の方々はお客さんに来てもらうために、どういう工夫をしているでしょう。言い換えればどこにお金を使っているでしょう。

僕の場合は、まずブッキングかなと思っています。つまり、どなたをお招きするかです。なんだかんだ言っても音楽をやるわけですから、ここが最重要かなと思っています。

では、ブッキングの基準はどこでしょう。知名度、技術、仲の良さ、人柄、果ては顔の良さ。いずれも大事ではありますが、ゲストという形でお招きするなら最終的には知名度と技術のバランスでしょうか。

オーガナイザーの特権的な部分として、憧れのプレイヤーとお近づきになれるというのは正直あるかなと思います。憧れを生む要素として、やはり卓越した技術があり、知名度はそれに伴うかなと思うわけです。

ゲストを複数名お招きする場合は、そこにバランスを見る必要があるかなとは思います。ただし、特定のジャンルやコンセプトのあるパーティーならそれ自体がバランスとなるのですが、コンセプトなどがない場合、『意外性』というのも転じてバランスになる場合があるように感じます。

意外性がある方が、むしろ全体の絵として見た場合に見栄えが良くなる感覚があって、個人的にはそういうパーティーを見ると非常に楽しいですね。福袋や宝箱を開ける感覚です。

上記を踏まえた僕個人の考えとしては、出来るだけ様々な人をお招きしたいなと思っています。パーティーがマンネリ化するとすれば、やはり毎回内容が近しい場合ではないかと感じます。余程の技量と知名度のある方ばかりを集めることが出来るのであればともかく、毎回同じ面々で同じ音楽だけでは、これは飽きてくる事もあるように思えます。

そういう点では、仲の良さに頼ったブッキングというのは、ある種の危険性を孕むかもしれません。どうしても楽な部分はあるんですが、自分でも気がつかない内にマンネリ化を招き、それが所謂『内輪ノリ』を招く恐れがあるように思います。

裏腹にゲストとしてお招きした人の場合は、少し間が空いた時は再びお招きすることも大事ではないかと思います。

お招きしたゲストの方をアーティストとして見た場合に、そのアーティストがその土地で活動出来る基盤を作るという事は、意義があるように感じます。そんなに簡単ではないでしょうけどね。

「お前、ブッキングどうしてるの?」と聞かれる機会が少し増えてきたように感じていますので、それならばと思い思考的な部分を書いてみましたが、どうにも文章にすると面白みに欠けるなと、読み返してみると我ながら苦笑しています。もう少し面白おかしく、緩急のある文面ならいいんですけどね。殴り書きならこんなものでしょうか。

筆を置くには今ひとつ締まりはよくないですが、要するにブッキングというのはなかなか難しいですね、というのが今回のお話です。

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