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父はヘビースモーカーだった。私の記憶の中にある父はいつも換気扇の下で煙草を吸っていたように思う。聞いてみると彼は中学生の時から煙草を愛用していたらしい。とんだヤンチャボーイだ。だから彼はいつも煙草の匂いがしていたし、部屋着には灰が溶かして空けた穴が必ずあった。その穴は、化学繊維が溶けて縁が瘡蓋のようにカリカリになっているのだ。私はその穴が無性に愛おしくて、よく指でつついていた。その穴から触れる父のやわこい肥満気味のお腹が気持ちよかった。
そんな父がおよそ一年前に煙草をやめた。よくあることで、手術をする際に医者から煙草をやめなければ手術しないよと言われたらしい。そして呆気なくやめた。本人からしたら呆気ないなんてことはないのかもしれないけれど、私から見たら呆気なかった。体に悪いからと煙草をやめさせようとしていた、小学生の頃の私の努力はなんだったんだ。でも、やっぱり父にとっては辛いことだったようで、大量の飴をなめて誤魔化していた。おかげで彼は甘党へと党変えした。こうして、父は人生のおよそ三分の二の間連れ添った煙草を手放したのだった。

父が煙草をやめて程なくして、入れ替わりのように私は煙草を吸い始めた。きっかけは二十歳になったのだし吸おう、というような単なる好奇心だった。愛知にいる幼なじみに会った時にウィンストンを一箱コンビニで買って、近くにある広場の噴水の縁に腰掛けて一服した。初めての煙草は、美味しいとも、不味いとも思わなかった。こんなもんかと思った。なんだか拍子抜けだった。漠然と煙草を吸ったら大人になれるとまでは行かなくても、何かが変わるのだと思っていたから。

それから何となく煙草を現在も吸い続けている。一箱買うと二十本ほど入っているものだから吸わなくちゃという思いに駆られるのだ。ただ、煙を吐き出す時、ドラゴンになった気分になれてとてもいい。強くなった気がする。煙を吐く数分だけでも強くなりたいがために煙草を吸い続けているのかもしれない。
煙草を吸うといっても、私は必ずと言っていいほど家でしか吸わない。私は夜にベランダでいつも一服するのだけど、隣の部屋にいる姉に気づかれないように、そうっと音を立てないように窓を開けてこそ泥のようにベランダへ出る。夜の空気と共に吸う煙が心地いい。夜の空気特有の澄んだ感じが際立つ。
煙草を吸う時、私はまず月を探す。よく月が見える日は月がゆっくりと登っていく様子を眺めながら煙を吐く。私は月を見るために煙草を吸っているのかもしれない。
月を見つけたら、少し柵から身を乗り出してスカイツリーの光を見る。今日は何色なのか確認するのだ。何色だったからといって、特に意味もない。ただ、何となく時計を見て、あぁ今は二十一時十八分か、と思うようなものだ。

恋人には煙草はやめてほしいという人がいる。愛する人には長生きして欲しいと。素晴らしい恋人思いだ。だが、私にはそれがいまいちぴんとこない。喫煙者の私からしたら、愛する人には一緒に肺を汚して死んでほしいと思う。人間綺麗なままでいるということが不可能に近いのだから、肺だけが綺麗でも気持ちが悪い。だったら、肺も汚してしまった方がかえって気持ちがいい。
少し前に恋人に煙草をどう思うか尋ねた。吸うのはいいけど匂いが嫌いなのだそうだ。彼には煙草を吸っていることを隠さなくてはと思った。恐らく彼は私が喫煙者だと知っても、驚きこそすれ止めることはしないだろうし、それで別れ話を切り出すような人ではない。けれど、私には彼がとても綺麗な人に見えてしまった。私が彼の肺を汚してしまうのは大罪だと思った。そして気がついた。先程愛する人には一緒に肺を汚して欲しいと言ったけれど、彼はその愛する人ではないのだなと。多分すぐに彼とは別れる。彼は私が煙草を吸っていると知らないまま生きていく。

最近寒さが溶けて外に出ても凍えなくなってきた。夏に近づくにつれ空気の中に湿った土の匂いが含まれる。私はこの春と夏の境目の空気が大好きだ。地元の祭りを思い出す。その空気に酔いしれながら、私は煙草の赤に見とれる。大事に大事に吸う。赤と一緒に白い煙が空気に溶け込んでいく。

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