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「うるし」の説明 その5 高分散精製のうるしについて

MR漆などの「ゴム質水球をより細かく分散した」高分散タイプの漆には、高い光沢の塗膜が得られることの他にもいくつかの特徴があります。

今回は、その特徴についてご紹介します。

・硬化するのが早く、塗膜もより硬く強くなる

硬化した漆の塗膜は、塗膜一層がすべて均一な硬さになっているわけではなりません。

漆液には、主成分のウルシオールと含窒素物、水、水溶性のゴム質、酵素ラッカーゼなどが含まれています。

うるしの成分


硬化した塗膜では、ゴム質と酵素ラッカーゼを含む「ゴム質水球」は、水分がおおむね蒸発して「ゴム質球」になります。
このゴム質球は水溶性で熱にも弱いので、漆が硬化して塗膜になったときに一番脆弱な部分になります。

また、ウルシオールが酵素ラッカーゼの働きで酸化重合してウルシオール重合体になる過程でも、架橋密度(化学的な結合の緻密さ)が高くとても硬く緻密になるところと、それほどでもないところ‥という「硬さのムラ」のようなものができます。

酵素ラッカーゼは、漆液中ではゴム質が溶け込んだ水の球の中にいるので、このゴム質水球の周辺部分からウルシオールの硬化反応が進んでいきます。

そのため、よりゴム質水球に近い部分のウルシオールほど、硬く緻密な構造を作って硬化していきます

ラッカーゼと架橋密度

従来の精製方法で分散された大きいゴム質水球のほうが、MR精製法等で細かく分散されて小さくなったゴム質水球よりも、ゴム質水球一粒当たりの酵素ラッカーゼの含有量は多くなります。

しかし、酵素ラッカーゼの作用が周辺のウルシオールに強く影響する距離(射程距離というと正確ではない気もしますが、そういうイメージ)自体は、ゴム質水球が大きくても小さくても変わりません。

従って、酵素ラッカーゼを含むゴム質水球が細かく分散されて小さくなっているほうが、より広範囲のウルシオールに対して酵素が接触して作用することができます

そして、広範囲で硬化反応が進むようになると、硬化時間も短くなり塗膜の立ち上がりも早くなります。

大きな塊で少ない数のゴム質水球が配置されている従来の精製漆よりも、一粒当たりは小さくなった分だけ数では大量になったゴム質水球が細かく配置されている高分散タイプの漆のほうが、ゴム質球周辺で硬化する架橋密度の高いウルシオール(図中、こげ茶色の部分)の割合が増えるため、塗膜全体の総合的な硬さや耐薬品性などの物性も向上します。


・酵素ラッカーゼの活性が高い

また、従来の桶に生漆を入れて攪拌と加温をする方法の機械式精製では、精製後にはタンパク質である酵素ラッカーゼは何割かが失活していました。
生卵を加熱するとゆで卵になり、もう元には戻らないのと同じように、熱で変質して漆を硬化させる機能(活性)を失ってしまいます。

例えば、75℃で加熱すると2時間もしないうちに全てが変質して、ラッカーゼは完全に失活してしまいます。
なので、加温&攪拌の機械式精製では加熱の設定温度が40℃以上にならないように調整をしています。(※1)

それでも、温泉卵のように高温でなくても長時間浸かっていると生卵から変化していくように、加温&攪拌の機械式精製の過程でもタンパク質が変質してラッカーゼは徐々に失活していきます。

(※1 漆精製機械の設定温度は、漆の液温の上昇を完全にコントロールできている訳ではないので、実際には温度設定したヒーターによる加熱に攪拌で漆液がこすれ合うことによって生じる熱も加わって、もう少し高温になることがあります。)

一方、3本ロールミルを用いた「MR漆」の精製方法では、常温で精製を行うので、加温&攪拌する場合に比べて精製後にラッカーゼの残存する割合が高くなります
このことも、硬化の速さや塗膜の硬さ、耐薬品性などの物性の高さに影響していると考えられています。


従来の精製漆よりも塗膜の構造が緻密になり塗膜物性が高くなったことで、木製の素地にMR精製の漆を塗り重ねる塗装工程を組んで自動食器洗浄機に対応した学校給食用の漆器なども作られるようになりました。

https://www.echizen.or.jp/cooperative
越前漆器協同組合「組合のおもな取り組み 学校給食用食器の開発・製造」


・耐候性がよくなったように見える
 (耐候性がよい‥とは、言ってない)

漆は紫外線に弱いとよく言われますが、これは漆の主成分であるウルシオールが紫外線を吸収して分解する性質があるからです。

主成分が紫外線で分解してしまう以上、いくら改質しても漆を外部用合成樹脂塗料のようなレベルの十分な耐候性のある塗料にすることはできません

劣化黒漆

城郭や社寺仏閣など、歴史的建造物では内装だけでなく外回りにも漆塗装が施されることがあります。
しかし、屋外で太陽の紫外線と風雨にさらされた漆膜は早ければ1シーズンで光沢を失い、表面はカッスカスに劣化して白っぽくなってしまいます。

漆塗膜の屋外暴露による劣化のイメージ

劣化1

劣化2

① 塗ったばかり(あるいは屋外に出されたばかり)の初期状態では、塗膜は漆特有の光沢や質感、色味を保っています。

② 数週間~数ヶ月も屋外に暴露されると、紫外線を受けた漆膜は表層のウルシオールが分解されていきます。

③ 分解された塗膜表層には細かいクラックができて、さらにそれがより細かくなっていき、最後には微細な粉状になって雨風で簡単に失われるくらいの状態になります。

④ 粉状に風化した状態の塗膜表層がなくなると、ゴム質球が露出します。
水溶性であるゴム質球は雨で簡単に洗い流されてしまい、その跡には大きな凹み(クレーター)ができます。

こうなると、残った塗膜の表層は凸凹状態になり、人の目には白っぽく見えて著しく劣化した印象を与えるようになります。

もちろん印象だけではなく、屋外では②~④の劣化を繰り返して、漆の塗膜は年に数μm~数十μmの厚みが紫外線と風雨の影響によって実際に減少していきます。
(1μm=1000分の1mm)

従来の精製漆でも、高分散タイプの精製漆でも、塗膜が分解されて劣化していく一連の過程に違いはありません。

ただ、水溶性のゴム質球が細かく分散されていることで、劣化した状態での塗膜の見え方には違いが出てきます。

劣化3

劣化4

高分散タイプの精製漆では、ゴム質球の粒径の大半が可視光域の400nm以下(0.4μm、1nm=1000分の1μm)であるため、ゴム質球が雨で洗い流されたことによってできる凹みの大きさでは、人の目で見た時の光沢や質感などの変化がかなり少なくなります

また、従来の精製漆では塗膜内に1μm前後の大きなゴム質球があり、これが雨で洗い流されると塗膜に大きな凹みができることになります。
そうすると、紫外線を受ける表面積も増えるので、残存塗膜の表面は凹凸が大きくなって膜厚の減少も加速していきます。

ゴム質球の粒径が小さい高分散タイプの精製漆では、残存塗膜の表面には大きな凹凸ができることなく平滑性を保ったまま減っていくので、従来の精製漆と比べると、膜厚の減少がちょっとだけゆっくりになると考えられます。

ちょっとだけ‥とはいえ、
塗膜が繰り返し劣化していく過程の中で積算していくと、塗膜が完全に分解されて消失してしまうまでの期間では、数ヶ月~数年分の膜厚減少の差ができる場合もあります。

以上のように、
高分散タイプの漆を屋外暴露した場合は、
光沢や質感などの視覚的な変化(劣化)は見えにくくなる
塗膜の厚みが減少するスピードが、ややゆっくりになる
という2点で、従来の精製漆に比べると耐候性が向上していると言えます。

しかしながら、主成分であるウルシオールが紫外線を吸収して分解するという「漆の宿命」ともいうべき性質に変わりはありません。

高分散タイプの漆でも、一般の屋外用合成樹脂塗料並みの耐候性はまったく期待できません
「MR漆は耐候性を改良した漆なので紫外線に強い」という誤解もあるようですが、そういう話ではないのです。

歴史的建造物の屋外部分の修復に漆を塗る必要があり、光沢や質感などの視覚的な劣化を抑えるために高分散タイプの漆が採用される例はたくさんあります。そして、それらは実際の修復工事での塗りの作業に至るまでに、実に様々な予備検討を経た上で塗装工程が組まれていきます。

その建造物がある地域の日射量や降雨量、建物の向きや塗装する部材が平面なのか立面なのかによっても、漆膜が分解されていくスピードが変わってきます。

また、顔料を含んだ色漆の場合では、顔料中の酸化チタンによる光触媒効果で漆膜の劣化がかなり促進されてしまいます。
「漆の色、顔料に何を用いるか」も、重要な要素になります。

そうした条件をすべて考量して、
「この色味の漆は、この場所では年間に○○μmくらい膜厚が減少するはずだから、○○μm×□□年と、さらに余裕をもってトータルで○○○μm以上になるように塗り重ねる。」
‥といった感じで、塗装工程を組みます。

屋外暴露された漆の塗膜が「紫外線で分解されて減っていく」ことを前提にした上で、「その分をあらかじめ塗り重ねて、十分な厚みを付けておく」という考え方です。

そうすれば、経年で塗膜の厚み自体は徐々に減少していくものの、漆の光沢や質感などの視覚的な変化はあまり感じることなく、次の塗り替えの時期まで美しい状態を保つことができます。


※ 「漆膜の屋外暴露による劣化」図中の「太陽・雲・雨(傘)・指矢印」のイラストは「いらすとや」さんからお借りしました。
https://www.irasutoya.com/ 「かわいいフリー素材集 いらすとや」

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