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アリ・アスター監督作『The Strange Thing About Johnsons』考察①~この関係は罪ですか?~

こんにちは。読んで下さろうとする皆様にありがとう。
世間はアリ・アスター監督作『ミッドサマー』の衝撃でまだ持ち切り。そんな御時世にアリ・アスター監督作『The Strange Thing About Johnsons』を考察してみようと思います!

※ネタばれ注意(アリ・アスター監督の他作品含む)※
先に『The Strange Thing About Johnsons』鑑賞を推奨します。
まずは前知識なしにあの衝撃を体験してほしい。
でないともったいない!


※作品内容上、センシティブな要素に触れています※
なのに配慮を全く心掛けてません。

よろしいでしょうか?
では考察テーマと同時に作品最大ギミックをネタバレします。



■ 何故『息子×父親』設定なのか?


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『The Strange Thing About Johnsons』の粗筋
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オナニー中の息子の部屋に父親が闖入。当然BADな気分の息子に『誰でもやってる事だ、気に病むな』と父親は優しく接して事なきを得る。
だが実はズリネタが父親
『誰でもやってる。これは愛。受け入れてくれるよね』息子のプレッシャーに父親は近親相姦を受け入れたのか、息子の結婚式中に父親の尻を撫で回し誘ってくるので二人は行為に及ぶ。
その現場を目撃する母親。しかし見ないふり。以降も言及せず。(そりゃ、嬉しそうな新妻の前で、祝福してくれる親族一同の前で、父息子ファックを妻として母としてどう追及すりゃいい。それ以前に、二人ともが互いの妻を裏切って平気な人間と認めたくねえよ超傷つく。家族的DEATH、社会的DEATH、波風立たせとうない、思わずそっとじ、わかります)
父親は罪悪感で妻に告発懺悔しようとするが、息子は『自分の愛をなぜ理解してくれない?』と暴力的に。
父親は耐えきれず家を飛び出し車にはねられ死亡
流石の母親も黙っていられず、事実を俎上に上げようと息子に迫り、殺し合いに発展。結果は母勝利、息子死亡
1人残された母はただ泣くばかり。
 ~Fin~

なんだこれ。

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『息子×父』設定の考察
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息子×父親?
「マザーコンプレックス」息子が母をファック
「エレクトラコンプレックス」娘が父をファック
は聞いた事がある。
だが『The Strange Thing About Johnsons』では息子が父をファック。
しかも支配的父親への復讐等が目的ではなく、好きで望んで父を心から愛してるつもりでのファックだと会話からも伝わる。
寡聞にして現実でこのパターンは聞いたことがない。

【1.冒頭から検討してみよう】
①オナニーは第二次性徴。子供から大人に変わる印。
②オナニーを見られBADな息子に配慮し一端引き下がり、でもそのままなあなあにもせず、ちゃんと息子と向かい合ってフォローする父親。そんな子供思いできちんとしていて懐の広い父親に尊敬を見せる息子。
①で自立心の芽生え。②で父親への尊敬。
ふむ?これは「父親みたいな尊敬できる大人になろう」と息子が父親と精神的一体化を図ろうとする流れ?自立話!
…と予想できる展開なのに、数秒後にズリネタが父親と判明して速効裏切られる。

【2.では自立話ではない?】
いやいや、自立心が息子の原動力なのは間違いない。監督が息子の結婚式で父息子の近親相姦を判明させたのは何故か考えてみよう?
結婚式。…結婚は「自分は家族を支えられる独立した大人、との決意表明」「周囲が大人として扱ってくる節目イベント」とも言い換えられる。また「将来親になると想定されるイベント」でもあり。その場で父親(…理想の大人であり親)と、ファックした(…一体化を望み実現した)事でも明白。
そう、息子は「自分は完全に大人」父親と一体化したと確信したからこそ、当然結婚式で父ファック。
何を言ってるか自分でもわからないがそういう事にしよう。
つまり、依存心理由ではなく自立心理由の親ファックと知らしめたいが為の『息子×父親』。

【3.それだけの理由?】
それでもまだ『息子×父親』の愉快な設定はどういうことなのと思う。
…ああそうだな “ 愉快 ” なんだよなあ。
…、……、………………、
えーと。
アリ・アスター監督ね。「現実社会の直視したくないこと」をリアルに再現しすぎる自分の手腕を自覚してると思うの。
現実世界と架空世界の同一視は危険。だから観客が醒めた客観的視点を保持できるよう仕込んでると思うの。 

4.笑いの効用
『ヘレディタリー』のそれは、人間には絶対不可能な動きを母親し、最後には首ノコギリ高速ギコギコ死と、もはや笑いすら起こる瞬間。
それまで緻密かつリアルな精神的ホラーに追い詰められていた観客が「あっこれファンタジーだ」と目が覚める瞬間。

『The Strange Thing About Johnsons』でのそれは、ズリネタが父親と判明した時。思わず笑っちゃいませんか。「は?父親?…父親で?!ウッソやろw」と。結婚式で息子が父親の尻をいやらしく撫でまわした時に思わず笑っちゃいませんか。「は?ヤるの?しかもこの場で?!ウッソやろw」と。

それくらい日常的に聞かない案件だと思うんだ、『息子×父親』。
だからこそ、その瞬間に(登場人物達には地獄のリアルが始まるが)観客にとってギャグが始まる。ファンタジーが始まる。

【5.結論】
監督は意識的に笑いをぶっこむことで『思わず笑っちゃうでしょ?現実にないって思っちゃうでしょ?そう、この物語はファンタジー。いくらリアルに「現実社会で直視したくないこと」が描かれててもファンタジー』と宣告。
笑いで観客の脳に現実世界と架空世界の線引きを刻む。
『息子×父親』の愉快な設定はその一環でもある。
アリ・アスター映画での笑いは現実世界帰還への命綱だ!
監督やさしい(血迷ってる)

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まとめ
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何故『息子×父親』設定なのか?
理由①
設定が息子×母親だと全然笑えない。マザコンなど現実世界にありふれてる、どこまでもリアルすぎて何ひとつ笑えない。観客は現実社会の嫌な物を見事に再現しすぎる監督の手腕でマジ病む。 
だからこそ笑える『息子×父親』設定。

理由②
しかも母親ファックだと「息子はマザコン?依存心理由?」という固定観念が観客側に湧き、自立心理由だと伝わらない。
だからこそ自立心理由と伝わる『息子×父親』設定。

すべては自立話を描く為の手段。
以上の形で『息子×父親』を私は理解し納得した。
記事副題ですがこの関係は罪かと問われれば私は愉快だと答えます。
大人になるって、親になるって、難しいことね。

皆様はどのように納得されてますか?
意見ある方はNoteに書いて!SNSで呟いて!
ここまで読んで下さりありがとうございました!

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