貢献 < 感謝
誰かの役に立つ。
それは自分では実感しづらい。
だけど、助けてもらった側の人間は、そのありがたさを身に染みるほど感じている。
数年前。中学の同級生が務めている美容院へとはじめて足を運んだ。
行ったきっかけは?といわれると特にない。しいて言えば、前の美容院はどこか居心地が悪くて、どこか落ち着ける場所に逃げたかったから、だろうか。
その同級生とは小学校・中学校と同じであり、特に中学のころは毎日のように遊んでいた。誇張ではなく、本当に毎日だったんじゃないかと思う。
恋愛の話をしたり、一緒にプールに通ったり。
当時は彼のことは本当によく知っていたと思う。
そして美容院にいくと、ぼくは衝撃を受けた。
よく知っていた彼は、六本木の一流美容院で働いていた。
たしかに彼は中学生当時から美容師になりたいと言っていた。本当になっているだけでもすごいのに、ここまでくるのにどれだけ努力したんだろう。その考えが瞬間的によぎった。
前の美容院は居心地が悪かったと冒頭でお伝えしたが、友達の美容院は本当に居心地がよかった。
六本木の一流美容院なんてファッションに無頓着な自分からすれば、本当に腰がひけるところだけれど、友達がいるだけで本当にやすらぐ空間になった。それがどれだけありがたかったか。友達ってすごい。
友達に対してだから「こんな髪型が良い」なんて要望はすんなり伝えられる。なんなら向こうだって「その髪形はお前に似合わないよ(笑)」なんて言ってくれる。
鏡でぼくの顔を見て、「うん、イメージわいた。シャンプーしよう。」
そう言われたとき「あ、本当に美容師になったんだな」と思った。この人はぼくが今まであってきた美容師と同じ振る舞いをしている。
そして彼が描いたとおりに仕上がっていく髪型。丁寧なシャンプーやマッサージ。
彼が長年つみあげてきた努力を感じていた。その努力の成果をぼくのために使ってくれている。その一挙手一投足に何年もの重みが詰まっていた。
彼はきっと「ぼくの役に立った」という事実をそう重くは感じていなかったと思う。だけど、ぼくにとっては本当に感謝しきれないほどありがたいことだった。
このときに当たり前の事実を悟った。
ひとに感謝される=そのひとの役に立ったから。
そのひとの役に立った=そのひとができないことをしたから
では、そのひとにできないことをするには?
努力をかさねる。
努力ということばには、どこか重苦しい響きがある。苦い思いをしながら、必死にやるイメージだ。
だけど、その努力のさきには、実は喜んでくれる誰かがいる。誰かの役に立てるときがくる。
誰かの役に立つには努力が必要だ。
だけど、まだ見ぬひとのために努力するのは時に難しいかもしれない。
だったら。
その努力のさきに親友や恋人、家族がいると想像してみるのはどうだろう。きっとその人のために、喜ぶ顔を想像して取り組めるんじゃないだろうか。
いまのぼくがやっていることが、どれほど役に立っているのかはわからない。
だけど、どこかに「美容院にいったぼく」がほかにもいることを信じて、日々を重ねていけたらと思う。
すべての仕事が「お客様」の顔が見えるわけじゃない。だけど、大切なひとを想像して努力をかさねることで、仕事はすこし温かくなる気がする。
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