大学陸上を終えて⑦

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来年はと意気込み冬季練習へ。

正直言おう。あんまり冬季練習のモチベーションはなかった。

なんで?最終学年で悔しい思いもしたのに。

特に気にせずいたけど、なんでなんだろ。考え直すところでもある。

それはさておき、モチベーションはないとはいえ、目標はある。

目標のためにすることも分かっているので、それに向けて取り組むことは十分できた。早寝早起き、睡眠の質を高めるためのマインドフルネスやスマホの禁止、寝起き体幹や練習メモ、金借りてプロテインめっちゃ買ったし、他大学の練習にもいった、解剖の勉強もした。

使命感でやっていたところがある分、後半失速していったし、練習の質も低かった気がする。

主将の立場で冬季を迎える中で、いざこざが起きやすい冬季でコーチから主将としてこうあるべきだ、主将がそれじゃだめだ、なんて言われることもあり、うっとうしく思ってる時期もあった。

冬季が明けようとしているころ、一人気がかりな男を見つける。

ライバル校の主将だ。

彼は、昨年の全カレで関西学生新を出し関西初の優勝という偉業を成し遂げており、名前は知っていたし、すげーなーと思っていた。

去年の関西インカレも主将としてまっとうに責務をこなし、総合優勝を手にしているな。って感じ。まあその程度だった。

ただ、冬頃から彼のツイートで

「歴代最強のチームを作る」

なんていうのをよく目にするようになった。

あ、こいつも主将としての志高めやん。絶対俺の方が偉業成し遂げて悔しがらせてやろ~

とか思ってた。けどはるかに彼の方がカリスマ性も競技力も発言力もあり、相手校の士気は彼中心にぐんぐん上がっているように見えた。

彼を気にしながらも、チームは京都インカレを迎え、自分自身も一先ず最後のシーズンを迎える。

競技はぼちぼちって感じ、対抗戦はひやひや。

ちょっと大丈夫か、と思いながらも、スポーツ推薦で共に入学したやつらは、あの時先輩が言っていた「義務」を全うしていた。

正直、俺自身も個人の競技力でその「義務」を果たせるほどの競技力はついていた。

それはさておき、いよいよ関西インカレを迎えようとしており、チームの士気をマックスまで上げていく流れを組んでいたが、コロナにより対抗戦延期。

チームの士気を最大限に上げ始めていたおれは、ここで遮られたら子のモチベーションにこの先はないと思い行動に出た。

関西圏の各大学の主将にあらゆる連絡手段を使って連絡を送り、対抗戦を行いたいという意思の確認と、いわゆる署名活動的なのを行った。自分のチームのえらいさんにも駆け寄ったし、各チームのえらいさんにも駆け寄ってもらえるようお願いした。

俺は必死だった。

ある日の夜、コーチから電話がくる。

何かと思えば、俺がしていることをもうやめろという連絡。

ナンセンスだし、間違っている。延期されたからと言ってモチベが下がるようじゃそこまでやな。って

多分もっと俺を説得してくれるように言ってくれてたんやろけど、そこしか覚えてない。

まあ、言いたいことはわかるし、その通りやけど

必死だった俺は、それを否定されたことにもう気が立って仕方なかった。

その週の大会で、結果今シーズンワーストになるタイムを出すほど、そのことで気がいっぱいだった。

周りには、対校戦じゃなくなったけど、何とかその試合のモチベが上がるような働きかけもしたし、

声をかけた各大学にも詫びを入れに回った。

そんな俺からしたら大事件の大会も終わり、そこから怒涛の試合ラッシュがきて、俺もチームメイトのみんなも自分の競技に集中していた。

ここでは余談かもしれないけど、俺はPBを出しながらも調子は全く上がらず、大きな大会ではあと少しで決勝を逃すことを繰り返し、歯がゆい状態が続いていた。

狙っていた大会で結果も出ず、練習では下回生にも負け、モチベも調子も絶不調で、焦りと不安で試合に臨むシーズンだった。

陸上でこんな感じで、他にも積み重なり、鬱みたいな状態が続いた。

気もかなり落ちていたし、そんな俺を遊びに行こうと誘いだしてくれる友人が何人もいたほどだ。

ごはんを食べるのも、寝るのも、なにをするもネガティブにしかとらえられない日々が続いた。

そして、夏を迎え、全日本インカレ、関西インカレと最後にして最大の2か月がやってくる。


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