大学陸上を終えて⑤

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なんと、2回生の冬には主将を含む役職を決めなければならない。

年内に決めないといけないのに、9月に動き出している俺はなかなか焦っていた。

とはいえ、少しずつ雰囲気出していく作戦はなかなかうまくいっていたのか、総合優勝のためにした方がいいこととかを提案したり、語ってみたりしてもみんなそんなに不思議そうな顔をしなかった。

覚悟を決めていたし、俺は別に一人でも居れるタイプだから孤立してもいいかなって気持ちでいたから、とっかかりやすかったし、提案したことを実行するのはなかなか難しかったり、賛否を生んだりしたけど、俺がチームを意識していることは伝わっていった。

主将を決めるミーティングがある11月終わりまでに、俺は何回も先輩と話をして考えを深め、リーダーシップの本を読んで、目標や考えを整理して、伝える方法とかを学んだりした。(その本どっか行った)

チーム作りのノートも作って、パート規模だけど、一日の練習で雰囲気がどうで、どういう言葉がけや指揮を執るといいか、誰がネックで、どう引き込むか、とかいろいろ書いた。

ミーティングの日も決まり、それに向けてみんなの前で何を演説しようか何回も原稿を考えた。俺の目標は何で、何を例えに、どんな目標をみんなに提示したら食いついてくれるか、

結構このミーティングが今後を左右すると睨んでいた。

ここで仲間を一気に増やし、矢印が同じ人が他の奴の矢印を同じ方に向けてくれる、悪く言えばねずみ講方式で広げていきたかった。

正直、150人も居たら、関係が薄いやつ大勢いる。特に下回生となると信頼関係もないし、そんな奴に言われても心が動くわけがない。

だから仲間を増やして、そいつらをしたっているというか信頼関係が深いやつらを巻き込んでくれるような形を作りたかった。

結局、その半ねずみ講方式がうまくいったのかはわからんけど、最後のインカレを終えたときに1回生までもが、チームに貢献できなかったと泣いていたり、来年も総合優勝したいって話しているのを聞くと、うまくいったのかな、なんて思ったりもしてる。

まあ、俺は同期に思いを伝えた以外、特に他の後輩にこういう理由で、こんな思いがあってとか話したことないし、伝えたとしたら、チームの目標は総合優勝だよってことくらい。

また話が派生したけど、そんなこんなでミーティングで話をして、見事主将に任命された。

ここでようやくステップ1がクリアー。

主将としての肩書を手に入れた今。変に思いや考えを公にすることを渋ることも、悟られずに伝えることも、その辺に気を配ることもなくなり、少し身軽になった。

そのミーティングを経て、俺も協力したいといってくれたやつや酔った勢いで、俺の演説に心打たれたと泣いてくれた同期もいた。

そんなエピもあり、めっちゃうれしかったけど、俺の中では第一ステップが予想以上の感じで驚きもあった。

スタッフからは実は止められていた。俺に直接言ってきたわけではないけど、先輩がそういう話をしていたよって感じで俺に伝わった。

スタッフ的には、気が小さく、気にしいな俺に主将をさせたら、自分の競技に支障が出るって感じだったみたい。

あの大学記録で全盛期の主将だったコーチにも、激励されたのと同時に、主将で結果を出すことは本当に難しいと言われるほどだった。

ただでさえ、メンタル的に乏しい俺が、全盛期を築き上げたコーチでさえ苦しんだほどの主将をすることを、ここで再認識した。

けど正直俺は、特に不安に思わなかった。その年調子がいいこともあったのと、まだ一年猶予がある中で、主将として本格的に活動するまでに十分な競技力をつけて、競技に余裕を持たしたうえで主将としての仕事を行っていく計画だった。

それから、春合宿、シーズンインにかけて、各幹部に自覚を持たせるようなコミュニケーションをダルがられないように伝えたり、短短パート長も担うなどして、発言力をつけたり、周りに釘を打っていきながら、来年飛躍し、再来年は競技もチームも全盛期で時代を作れるビジョンを描いていた。

その冬、俺史上一番練習したし、めっちゃご飯も食った、朝から夜まで練習したし、いろんなサプリも試した。シーズンイン手前でコロナ禍により部活や試合が中断した時も、コロナでの規制も半分無視したりして、たぶん日本で5本の指に数えるくらい練習した。友達に金借りて、色んな競技場に飛び回ったり、サプリ買ったり、ジム通ったりした。

やっと来た3回生シーズン。めっちゃ練習したし金もかけた。

今年飛躍して、来年は。。。!

と思っていたが、めっきり絶不調。

3回生からパート長を任され、メニューを決め、パートを引っ張る立場に急になった。

最初は自分でメニューを決めれるし、さっそく仕切らせてもらえるなんてラッキーなんて思っていたけど、そう甘くなかった。

3回生は身軽に陸上を楽しんで、結果に繋げるがセオリー(?)だった(今思うと)のに、パート長を任され、スタッフが示唆したような状況に陥り始めた。

思い描いていた調子や走りではない中、リーダーとして引っ張っていく。自分が組んだメニューで自分がリーダー、自分が一番速い、そんな状況なのに練習で下回生に負ける。同期に負ける。理想と現実のギャップに気づけず、言い訳を言い聞かせながら、焦る。付け焼刃で出たANGや全カレも点でダメだった。唯一救いだったのは、同期みんなあんまり結果が出てなかったことくらいかな。(笑)

全カレも終わり、いよいよ俺たちの代になる。

調子が悪く、パート長で精いっぱいな中、関西インカレが近づく。。。


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