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解体新書 1

自身が得たインプットは使ってナンボ。自分の言葉・自分の血肉として得たものを活かす。そのアウトプットの場としてnoteに週5更新という目標を立て100日の継続を終えました。

節目という事もあり、ここらで改めて、自分のルーツ「ごとうはなぜ子育てを熱く考えるようになったのか」「ごとうのしたいことは何なのか」を振り返る機会を何度かに分けて作りたいと思います。

これまでも自己チューだった本noteが更に自己チューになるとは思いますが、宜しければお付き合いいただけると幸いです。

▼ごとうと 父親の背中←Today's theme!
▼チームであり 社畜であり
▼世の全てを憎もうとした 出産直後
▼FJとの出会い と 転換期
▼ボスで変わる!確信が実感へと変わった瞬間
▼娘達へ

PART1 ごとうと 父親の背中

世間的には「父親が子育て参画する=親がそうしていたので」という話があります。僕の場合には、それは当てはまるようで当てはまらないと思う、というのが正直な気持ち。

これは①「限定的な家事」においては、母よりも父の方が関与していた②所謂僕の心身に係る項目(思春期でどうぶつかったかとか)においては、父の関与の印象が全くない、という2点から、そう思う訳です。

僕の父は、板前です。実家は料亭。父はよく、秋田市内の市場へ僕を連れだしてくれました。でも当時の僕は、魚で満たされた市場の匂いが大っ嫌い。それでもついていった理由は、父が何か買ってくれたり(お菓子ですね)、ゲーセンや公園で遊んでくれたりしたから。そういう意味でも、僕は成長の過程で「父親」の姿を全く目にしていないタイプではない…と思います。だから、今自分が父になって、当たり前に子供達と一緒の時間を送れるし、子供達を連れて「今日はパパと公園行くぞ!」みたいに振る舞える。その感覚が今の僕にあるのは、父のおかげだと思ってます。

でも、父との時間が全て好ましかったわけではありません。父は僕とキャッチボールをしたがりましたが、僕、未だにキャッチボール苦手なんです(笑)。無理矢理グローブ買ってきて、やろうぜ!ということがありましたが、僕は手技より足技の方が得意でした。ケンカも蹴り主体。グローブを買ってきた父は「男の子はみんな父さんとキャッチボールするらしいぞ!」と。このセリフ今でも強烈に覚えてるんです。でも、「男の子なんだし」みたいな理由で、ボールを投げることを強制されてるように思えて、キャッチボールが益々嫌いになったんです。

思えば当時は、所謂ジェンダー観と言いましょうか。そんな事が課題視されることはなく、「男とは!女とは!」みたいな理由も良く分からない定義づけ全盛の時代です。父の中でも、息子とのキャッチボール=男の子の健全な姿、のような謎のテンプレートがあったのかもしれない。

これをきっかけに、僕の心は段々父から離れていった気がします。それは大人になってきたということもあるのかもしれませんが、多分父が嫌いなのではなく、父が「感じている定義」が嫌いになったからかもしれない…。今考えると、そういう感覚かもしれないと…と思います。

一方で、父はある意味カオス。ド昭和の生きた化石のような面もあれば、最先端の令和パパのような一面もありました。

たとえば、料理。板前の父にとって、男子厨房に立つ!のは自然すぎる現象。幼少の僕も「ご飯は父がつくる」という場面に慣れ親しんで育ったし、部活の弁当、高校の時の弁当は大体親父作だったため、「父親がご飯を作らない」という感覚が分からないんです。母も料理をしないわけではないのですが、場面場面で「父がつくる」姿の方が目に付いていただけ。これが「限定的な家事」においては、母よりも父の方が…という所以です。

ところがテレビ、漫画、あるいは僕らの代から必修となった家庭科の調理実習の場では「男性は家の事は基本やらない」という空気感と言いましょうか。そんなのがビシビシとありました。学生時代って、みんな「おかしいなぁ」と思っていても、それを胸にしまっています。同調の極致ですからね(少しでも割れると、クラス内でターゲットにされる)。

それゆえに、「男って料理すんのってヘン?」とか思っても中々言い出せなかったりしますし、学校に持ってくる弁当が「父作」であると、みんな一様に「珍しい!」となる訳です。別にそれでいじられたとかそういうのはありませんでしたが、やっぱずっと疑問だったんですよね。男が家でメシ作って、何がおかしいんだろうか…と。逆にお前らの父ちゃん、家で何してんのよ?と。ソファで寝っ転がって「俺のメシマダー?」と。トドじゃねぇかと(笑)。

そう思うと、僕の父は、ある種原始イクメンのような面もあり。でも、「ド昭和」の旧型OSでもあり。カオスです。良く分からない人です。

そんな父の姿と心を遠く感じたことがありました。

男子のスタンダードか分かりませんが、中学時代の僕は、荒れました。うわべだけの付き合いのような友人関係や、クラス内のカースト…。次第に学ランは長くなり、髪は伸び始め(今や大炎上必死の”強制丸刈り”校則だったのです)、家に帰っても近所にも親戚にも「うるせえよ!」「くだらねぇ!」と。タバコも覚え、器物破損し、生傷作って家に帰る。そんな時代。

当時、そんなクソガキにぶつかってくれたのは「母」でした。僕に何を言われようと「アンタねぇ!」とぶつかってくれましたし、受験勉強の際は色々苦しくて、沢山当たり散らされながらも、朝方勉強に切り替えたぼくを気遣って、朝ダイニングに「冷蔵庫に〇〇あるから食べなさい」と置手紙をしていたり…。

そんな中である日、僕がまた学校で荒れまして(笑)。その日は珍しく、父が僕に「少し話すぞ!」と。僕はクソガキですので「うるせぇよ」とぶつかったのですが、その時言われたセリフは今でも覚えてます。

「〇〇(母親)は、普段仕事で〇〇で〇〇なんだぞ!」

僕は言いました。今でも覚えてます。

「てめぇ!息子のこと何一つ見てねぇなぁ!」と。

単純に、気持ちを分かってほしいのに…俺じゃなくて母かよ!そりゃそうだよな!お前、俺の飯しかやってねぇもんな!勉強も友人関係もケンカも、全部間に入ったのは母だよなぁ!と。

そんな思いが、当時のクソガキごとうにあったのかもしれません。確かに場の流れからすると、僕の心の問題で母の仕事が出てくるのは論点がずれてる。ヤマダ電機でファミチキ買おうとするようなもんです。

でも。

今思うと、父は僕のことを考えていないのではなく、母・僕・家族という家族全体の空気感を踏まえて、不器用に台詞をチョイスしただけなのかもしれません。

もしかすると…です。

所謂親父ギャグって言うんでしょうか。そういうのを家族の中で切り出すのは、父の役目でした。それって、今で言う「場の空気を読んで、和ませようとした」という事なのかもしれない。その根本には「家族で笑っていたい」というような思いがあったのかも…。

でもアイツ、天然だしなぁ…。そこまで考えているとは到底思えない(笑)。

飯を作ったり、遊びに行ったり、令和パパのような一面もあれば、ド昭和の化石親父のテンプレートのような面もあり、オマケに何で今それ?というようなパスを投げ込む…。正直、混乱します。何が本当の親父なんだろうと。

でも、自身が親になったからこそ、そうしたこれまでのことを思います。そして、その意図が父にあったかどうかは定かではありませんが、冒頭に話した父の印象は一気に変わっていることに、最近気付きました。

①「限定的な家事」においては、母よりも父の方が関与していた所謂僕の心身に係る項目(思春期でどうぶつかったかとか)においては、父の関与の印象が全くない⇒僕が勝手にそう思っていただけで、実は見えないところで父は父なりに何かしていたのかもしれない…と。いや、むしろ深く考えてないからこそ「本質的な何か」を常に感じていたのかもしれない…と。

今でも真相は分かりません。確認しようとしても「覚えてねぇよ~」とはぐらかされるでしょう。でも、勝手にそう思えてから、僕の子育ても少し変わった気がします。僕は家族の笑顔が見たい。それが本質。それを実現するためのベターな打ち手が幾つかあって、多分、僕の父はそれをセンス悪いながらも、自分なりにチョイスしていたのかもしれない…と。それが僕や妹の笑顔に、母の笑顔になるかもしれないから…と。

だからでしょうかね。父に対するもう一つの真実が、今更になって鮮明になりました。そして、それは今の僕の子育て哲学で唯一曲げていない部分の根幹にある感覚と一致しました。

僕は父に「価値観を押し付けられた」ことがない…と。

キャッチボールをしたがる父が「何が何でもお前にやらせる!」ということはなかったんです。強烈に覚えている台詞がよみがえりました。

「男の子はみんな父さんとキャッチボールするらしいぞ!」

「らしいぞ」と伝聞なんです。父の意志というよりは、世の中的にはそんなんだよ?という話。きっと周囲の理想の男の子は「夕方に父と家の前でキャッチボールして、お母さんから「二人ともご飯よ~」と言われ、家に入る」。そんなテンプレートが父の中にあったのでしょう。でも、そのテンプレートを、アイツは僕に押し付けようとしなかった。周りの影響やメディアの影響で、そう言う選択肢を取っていたかもしれないけど、根本では「お前がやりたいことをやればいいさ」というスタンスは捨てていなかった。

ギターを始めた時もそう。弾き方教えてやる!なんて言ってたくせにヘッタクソで(笑)。そのくせに上から目線で「初めはフォークから始めるのがいいぞ」とか言ってきて。でも、それは絶対条件ではなく、僕がエレキを買っても、ギターとはフォークありき!みたいなスタンスは全くない父。まぁ、その頃には、僕が親父より圧倒的に上手くなったからというのもあるかもしれないけど(笑)。

当時は何とも思ってなかったけど、大学の進学、車、シゴト…。今までも僕は父から「選択」を押し付けられたことは一度もないんです。

最近体調を崩し、いよいよ仕事をするのも…となってきた父。そんな父が割と最近言った言葉があります。「お前らしくていいじゃないか」と。その前後には「帰ってきてほしい」的な本音も見え隠れはしましたが、僕が今のような生き方をすることに対して「それは違う」とか「普通はこうだ」というようなセリフは、やはり一度も聞かれませんでした。

だから、思い切って聞いてみたんです。「俺にどうしろとかいうのはねぇのかよ?」と。

父は言いました。「あん?なんで俺がお前のこと決めんだ?」と。

これが多分、アイツの本質だなと。

僕には「娘達には娘達の選択・人生があるから、親の考えだけを押し付けるのは違うんだ!」という思いがあります。そのルーツは、多分、父。もしかすると、そうだったのかもしれません。

父の背中を見て育つ。そんなのウソウソ。

僕の父は背中を見せていたんじゃないんです。威厳もへったくれもない。怒っても全然怖くない。父に対して覚えているのは「得意な事では遊んでくれた」「話は聞かないけど話を押し付けることはなかった」「何か面白いことを言って、場を和ませようとして滑りまくる」という姿。それは口には出さないけど、きっと誰よりも「楽しい家族」でいることが好きなだけ。そんな感じだと思うんです。

背中で語るんじゃない。いつの間にか隣にいたけど、手を引っ張る訳でもなく、ただメガホン持っていいぞ~!と言ってただけ。マラソンの沿道の応援団の一番目立つ奴みたいな。そんな絶妙な距離感。

父とは違うやり方になるとは思います。けど、僕もそんな「丁度いい」位置から、子供達・家族と共に歩んでいきたいなと。背中を見せるんではなく、いつの間にか、手は出さないけどひっそりと隣にいる。
※殺し屋みてぇだ(笑)

アンタの全てを尊敬するわけじゃないけど、そんなことを考えるきっかけをくれて、マジでありがとな。親父。それと、まだまだ逝くんじゃねぇぞ。あんたがマトモにギター弾くところ、見せてやると言われて20年以上待ってんだからな、こっちは。



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