When I was 18Y old,

私 が18歳だったころ、fOULが好きすぎて、当時fOULが所属していた坂本商店というレーベルにメールしたことがある。内容はファンメール&京 都に招致したいということ。詳細な内容は覚えていないが,それは「若さ」という「言い訳」ではあまりある失礼な文章と余りある熱量をぶつけたメールだった と思う。そのメールへのリアクションは驚いたことに「今度アルバムが出るからそのツアーのときに一緒に回れる」という、思ってもいない返答だった。注目す べきは、この短い内容の中に二つの重要事項が織り込まれていること。それは1、「fOULのアルバムが出る」、2、「fOULが京都に来る」。

「!!!!!!!!!!!」

こ のときは大学生だった私は、いったんバンドを辞めていたので共演することができなかったから、多分人生で唯一の企画だけをした企画、所謂「企画者」だっ た。興行収入としては惨敗だったのを覚えていて、その時は本当に周りの人に救われたんだけど内容は本当に最高だった。(ほんまごめん。ありがとう)ちなみ にfOULがツアーを一緒にしていたestrella20/20も本当に壮絶だった。

そのとき平松さ んに「平松さんが18歳のころに札幌にビヨンズを招致したこと」など教えていただいて、ずっと心に残っている。そして「youth never in despair 若さは絶望しない」そんな言葉も同時に送ってもらった。それ以来、fOULを追っかけるようにしていろんな場所でfOULを見た。 fOULの活動休止ライブにはher piano、bed、dOPPO、赤い疑惑、we are!などfOULの演奏からたくさんのことを学んだ若者の姿があった。仕事か何かで少しもfOULを見ることができなかった吉村さん (bloodthirsty butchers)が子どものようにすねていたこと、吉野さん(easternyouth)がステージと全く変わらない調子で「俺らから音楽をとったら何 にも残らない人間だ」みたいな旨の事をfOULの3人に話していたこと、終焉後、めそめそしている私にアクセル長尾(赤い疑惑)が肩を組んできて「これか らはおれたちがやる番だよ」と言ってくれたことなど、細かく覚えている。

そして、あれから随分の時間がたったよ うに思える。実際は数年?けどdOPPOも解散して上にあげたようなfOULから色んな事を学んだバンドとの私の共演機会も、ほとんどなくなってしまっ た。あの頃の平松さんの年齢になった私がこうして、また平松さんを京都に招致できること、本当にうれしく思う。今回は共演者として臨むので緊張もあるが、 また平松さんがベーシストとして、この世に生をうけたこと、ただそれだけを、その喜びだけを胸に抱えて、自分は粛々と演奏に集中しようと、そう思います。

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