それは誰の、何のために

 私が受講していた政治学の講義で「フェミニズム」を主題とした時間があった。無学の私はそれに対して「女性の思想」というイメージをもっていたがどうも違うらしい。確かにそれは「歴史的には」正しい。つまり女性が政治に参加できないとか、男性と対等な権利や社会的地位を認められることなく差別されてきた歴史を踏まえ、女性の権利や社会的地位を獲得する運動がその思想の歴史的中核にあった。この認識は間違っていないのだが、その講義ではもう一つ踏み込んだ問いを受講者に投げかけていた。一言一句覚えているわけではないが、こういうことであった。「フェミニズムは女性”の(ための)”思想なのか」と。フェミニズムを全然知らなかった私にとってこの問いは非常に印象に残った。考えてみると確かにフェミニズムは先に述べたような歴史を背負っているという意味で「女性(のため)の」思想である。しかしもっとメタ度を上げるとそれは「人間の自由のための思想」である、とは言えないか。
 このような話を友人にしたところ、ある本を教えてくれた。『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(堀田碧:訳 2020年 エトセトラブックス)である。早速購入し、読んだ。まさに講義の問い、そして私の問題提起に正対する内容であった。ベル・フックスはその著書の中でフェミニズムが人種や社会的地位によって女性間差別の道具として使われることの問題性を鋭く批判している。例えばフェミニズムが白人女性の特権視やそうした女性がかえって男性中心社会に迎合していくこと、それによって黒人女性への差別が不可視化されることへの問題性が指摘されている。そうした問題性からベル・フックスはフェミニストが「ラディカルで革命的な政治運動(P.170より引用)」を通じて示そうとした、フェミニズムが掲げる目標を以下のように示す。

「支配の文化に代えて、相互主義と社会民主主義にもとづく参加型経済の世界を創ることであり、人種やジェンダーによる差別のない、互いに認め合い、助け合うことが最重要の倫理であるような世界を創ること、そして、地球が生存し続け、そこに生きるすべての人が平和と幸福を手にできるための、地球規模でのエコロジカルな理想にあふれた世界を創ることである。」(『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(堀田碧:訳 2020年 エトセトラブックス P.170-171より引用)

 この引用でポイントとなるのは「女性」「フェミニズム」の語が一切登場していないことである。フェミニズムはFeminismであり、文字通り読めば「女性の思想・運動」であるが、ここに至ってベル・フックスは特定の誰か・何かにフェミニズムの主体を絞っていない。ここで言われているのはフェミニズムが助け合い、平和に、幸福に活きるための社会をつくる思想であるという、包括的なフェミニズムの定義である。私はここに示されたフェミニズムが「女性(のため)の思想」ではなく、「女性が差別されてきた歴史を通じて差別や争いのない社会を構想し、実践していくための思想」として定義されていると解釈する。このように考えればフェミニズムの主題が「女性」に限定されないことが強調されるからである。男も女も関係なく、サラリーマンも学生も父母も等しくその射程に入り、当事者として思考することが求められる思想、それがフェミニズムだと私は考えるようになった大切な一冊である。
(これ以後、私はフェミニズムに関する本を多く読み解いてきたわけではない。しかしこの本はフェミニズムの入門書として、その本質的理解を果たすために最適の一冊であると考えている)。

 


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