見出し画像

自由な読書

  最近システマティックに読書をすることをやめた。
 今までの僕はあるテーマを決めて、それについて数冊本を読む、そして別のテーマで本を読む、以下繰り返し…という形で読書をしていた。その際の選書基準はもちろん自分がおもしろいと思ったものも多かったが、「これを勉強するならこれを読まないといけない」という基準もあった。これでは確かに実りある読書にはなるだろうが息が少しずつ詰まってくる。学術研究ではないので、読書は楽しさを優先させた方がよいのではないか。こう思った次第だ。
 だからもっと気楽に、そしてこれまで読んだことないようなジャンルの本も読み散らかすことにした。今までは現代思想と呼ばれるジャンルの哲学書がメインだったが、ガラッと変えてみた。列挙するなら柳田国男の『遠野物語』を読んだり、寺田修司の『書を捨てよ、町に出よう』、三木清の『哲学ノート』、中江兆民の『三酔人経綸問答』など。ジャンルがバラバラなのがポイントだ。とはいえ「バラバラ」といえるのはあくまでこれらが一冊の独立した「本」というマテリアルとして現前しているからだ。僕という人間が情報として読み取り、僕という媒介項を以てすればこれらは「統一」される。
 「僕」を媒介することによって統一される「バラバラ」だった本同士が生む、偶発的なインスピレーション。これに僕は期待したい。有機的・システマティックである必要はない。この世界の殆どの人間は天才でもなければ学術研究者として実証性と有機性を要とする職業に就けるわけでもない。凡夫かそれ以下だ。僕は凡夫以下であり、本を読むのに何か技術的な、学術的な方法をとる必要もなければハナからできっこなかったのだ。そう割り切って自由に本を買いあさって読み散らかす。それで茶飲み話の中身が豊かになれば、生産性のない思索がはかどればそれはそれでいいじゃないか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?