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美少女ゲームなんてダッセー…のか!?16bitセンセーション ANOTHER LAYER第二話の感想。

一話ずつ感想を書き、最後にnote外の個人ブログにまとめよっかなーどうしよっかなーって感じです。

一話の感想もあります↓


物語の構造が垣間見えた二話

二話を簡単にまとめると、物語を取り巻く構造が提示される内容であったでござる…と私は感じました。

その構造とは、まず理想と現実の対立。そして美少女ゲームを愛するコノハちゃんと、それに対する偏見。この二段構えです。

具体的に説明します。

主人公であるコノハちゃんは、夢のある美少女ゲーム作りをしたいと願っています。しかし2023年の時点では、それが叶いませんでした。

その理由はいくつか考えられます。本アニメではそれを特に「他文化の隆盛と美少女ゲーム業界の衰退」であるとしているように見えます。

つまり2023年では、コノハちゃんの夢=理想に対して、冷え切った現実が立ちはだかる構造でした。

しかし、1992年にタイムリープしたことにより、この構造は大きく変化します。

セーラームーンのアニメ放映開始が1992年らしい

1992年の秋葉原で、コノハちゃんはアルコールソフトのメンバーたちと出会います。そこにはコノハちゃんが願っていた「夢のあるゲーム作り」がありました。2023年で立ちはだかった「冷え切った現実」という壁が、過去に飛ぶことで取り払われたのです。

しかし、同時に新たな壁も出現します。

それは「美少女ゲームへの偏見」です。そしてそれを背負う人物が、守でありました。

古賀葵は推せるよなマジで

アルコールソフトの面々はコノハちゃんを温かく(?)迎え入れ、そこで彼女は夢のあるゲーム作りを体験します。しかし、その開発現場にただ一人、馴染まない存在として描かれるのが守でした。

守は美少女ゲームに対して、強い偏見を持っています。その態度は一話の終盤でも明かされましたが、二話ではよりはっきりと描かれます。以下は二話の守のセリフです。

「美少女ゲームなんて、普通のゲーム作れない奴らが作るもんだろ。こんなのゲームじゃない。」

16bitセンセーション ANOTHER LAYER第二話より

炎・上・不・可・避

明らかな偏見ですが、守はこのような態度を隠そうともしません。さすがにプレイヤーへの言及こそしませんが、このセリフからは、作り手のみならず、美少女ゲームファンに対しても偏見を抱いているであろうことを無理なく類推できます。

これはあくまでも守個人の態度ではあります。しかし平成初期~中期に美少女ゲームへの強い偏見があったことは、よく語られている話です。つまり守は、この時代の美少女ゲームへの世間からの態度を一定程度体現する人物として読み取ることも、できなくはないように思います。

こうして本作は、過去と現代で、主人公に対してそれぞれ別の壁が立ちはだかる構造を用意しています。

現代では、夢に対して冷え切った現実…つまり理想と現実の対決があります。
そして過去では、夢のあるゲーム作りこそ実現するものの、そこには強い偏見が立ちはだかります。
コノハちゃんはこの二つの壁を、どのようにして越えていくのでしょうか?

二話はこの構造が見える内容でした。これらは本アニメの全体を通しての見どころになると考えています。

…とはいえ、コノハちゃんが直面しているのはいずれも個人の事象や考え方であり、それを作品世界、ひいては現実世界全体の空気や情勢だとかと結びつけるのは、やや広げすぎのようにも思います。

つまり、例えば守の美少女ゲームへの偏見は、あくまで守個人のものですから、それを時代全体の空気だとかに結び付けて考える…というよりは、個人的な偏見をどう乗り越えていくのか…と見た方が良いと考えています。

タイムリープの秘密を探る、というサブ展開も提示

二話のラストで、コノハちゃんは再び現代へと戻ってしまいます。

この瞬間、本作への期待が大きく増しました。

なぜなら、本作が上記の構造に加えて、「なぜタイムリープをしてしまうのか?」という謎に迫るサブ展開も用意していることが分かったからです。


タイムリープものの定石から考えて、コノハちゃんが最終的に現代に戻るであろうことは予想していました。しかし、まさか過去と現代を行き来する内容であるとは思っていなかったので、驚きました。

アルコールソフトの面々が使い捨てのキャラだとは思えませんから、コノハちゃんはいずれ再び過去に行くことになるでしょう。しかし、未来に戻ってきてしまった以上は、戻るためにはどうやって過去へ飛ぶのかを、物語の中で探る必要があります。

つまり本アニメは、理想と現実の対立、偏見の打破に加えて、タイムリープの謎を明らかにするというサブ展開までをも盛り込んだ内容だった…というわけです。

もちろん、肝心なのは謎がどのように明らかになっていくのかですから、現段階で本アニメの良し悪しの判断は難しい。

ひとまず、少なくとも三話も続けて見たいと思わせるに十分な引きを持っていたと感じました。

頑張れ! コノハちゃん!!

昔の現場はアットホームでよかった…の?

続きへの期待が増した二話ですが、一つ、気になったこともあります。

コノハちゃんはなぜ、アルコールソフトの開発現場には「夢がある」と感じたのでしょうか?

サラッと流しそうになりますが、結構大事なところだと思います。

コノハちゃんは、2023年の現場には夢がないと感じました。対して1992年のアルコールソフトの現場には夢があると感じました。ならばそこには何らかの差異があるはずです。では、その差異はいったい何だったでしょうか。

描写から読み取るに、それは「アットホーム感」とでも呼べるものだったように思います。

夢があったとされるアルコールソフトの現場ですが、アニメを見るぶんには、未来に目を輝かせるクリエイターや、開発に燃える闘志のようなものは見られません。では現代には無く、過去にはあったものは何だったでしょうか。それが私にはアットホーム感に見えました。

例えばコノハちゃんが初めてCGの塗りを完成させたとき、アルコールソフトのメンバーが集まって労をねぎらうシーンがあります。他にも一緒にお風呂に入ったり、泊まり込みで作業をしたり、完成後には打ち上げをしたり。なるほど、確かになかなかアットホームな現場です。

飲み物は行ったか~?

そしてコノハちゃんは、現代には無かったアットホームな雰囲気に包まれた結果、アルコールソフトのゲーム作りには夢がある!と感じた…ように見えます。

しかし、私はこの表現に少し疑問を感じます。

夢の有無は、アットホーム感の有無とは関係ないと思うからです。

1992年のゲームです。古いな…!!

現代の美少女ゲームに「夢がない」として、過去の現場に「夢があった」と描くことには、違和感はありません。それが事実かはともかく、令和の美少女ゲーム業界にはゆっくり衰退に向かっている空気を感じるからです。昔はそれがなかったのでしょう。なにせまだ始まってもいなかったのですから。これから成長する夢、あるいは新しい土地を開拓するような感覚があったのだと思います。

ただ、その夢の有無は、作中で描かれたアットホーム感の有無とは別物のように思います。だってこの二つに論理的なつながりがあるでしょうか。

夢があるからアットホームなのではないし、夢が無いからアットホームじゃないのでもありません。それは会社の規模や雰囲気、社員の人柄によるものであって、夢があってもなくても、アットホームな現場はいつもアットホームだと、私は思います。

ではコノハちゃんはなぜ、無関係であるはずのアットホーム感と夢の有無を結び付けて考えたのでしょうか。

これは製作サイドに直接質問しないと分かりません。

ただ下手をすると「懐古」だと考えることもできてしまいます。懐古的なもの見方を、そのままコノハちゃんに乗せてしまっているようにも見えるのです。


昔のゲームは良かった…?

もちろん、本作の製作チームは懐古主義者だ!なんて言うつもりはありません。ただ、そのように読み取ることができてしまうのでは…という恐れがあると思います。

きっと昔の開発現場には夢があったんでしょう。製作側は、その夢があったあの頃を懐かしんだのだと思います。そして浮かんできた景色が、アルコールソフトのようなアットホームな開発風景だった。そうして振り返るアットホームな現場を通して、あそこには今はない夢があったと思い出した。

その感覚をそのままコノハちゃんに重ねたからこそ、コノハちゃんもまた、本来は無関係なアットホーム感と夢を繋げて考える人物に描かれることになってしまった…。

こんな説が成り立ってしまうのでは、と思うのです。

しかしアルコールソフトの開発現場は、現代的な見方をすれば、法律を無視したヤバい開発現場です。そのようなものを「夢があって良かった」と振り返るのは、居酒屋のおっちゃんが「昔はよぉ、みんなで栄養ドリンク飲んで寝ないで仕事して、気が付いたら朝になっててよぉ…。でもみんな夢を持ってて楽しかったんだぜ…」と語っている姿のようにも見えます。

そのような見方を、コノハちゃんにそのまま重ねてしまったのであれば、ちょっと違和感のある表現だな、と私は思います。

アットホームと夢の有無を繋げる描写があっても良かったのかも…と感じます。

長くなってしまいました。ひとまず、第三話を楽しみにしていることは間違いありません。

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