私が介護の仕事を続けている理由

私が介護の仕事を始めたのは、20年近く前のことです。誰かを助けたいとか、そういった高邁な思いはありませんでした。大卒で就職に失敗した私でも受け入れてくれるのは介護の世界だけだったのです。

就職した施設にKさんという男性の方が入居されていました。彼は、多少認知機能に低下がありましたが、身体は元気で、自分のことはおおかた自分で出来ていました。明るくて女好きな方でした。

彼は脳梗塞の発症などを経て、数年で植物状態へ変わっていきました。体は動かず、目も開けられません。受け答えも出来ず、食事は胃ろうを使っていました。

彼がそのような状態になってから一年余りあとのある日のことです。私は夜勤で彼のオムツを替えていました。ふと彼の顔を見ると、目が開いています。
彼と目が合いました。私は驚き喜んで声をかけました。その刹那、大きく見開いた彼の両の目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ち、掠れた声で、確かに「殺してくれ」と聞こえました。何を言えばいいのか分からず、見つめ合い、彼はまた目を閉じ、二度と目を開けることはありませんでした。彼はその数日後、亡くなりました。

もしかしたら、ずっと意識があったのかもしれません。意識があったのだとすると、地獄のような苦しみだったでしょう。

少しずつ、私は怒りを感じ始めました。どこへ向けることもできない、どこへも行きつかない怒りでした。私はあの日から、絶え間なく怒りを抱えて生きています。

歩けなくなった方がいます。目が見えなくなった方がいます。自分のことが分からなくなった方がいます。誰も彼も、苦しみや、悲しみや、喜びや、愛情のある人生を全うしてきました。一人一人、かけがえのない、何よりも価値がある人生です。

産まれたその時、母親はその子にどのような思いを持ったでしょうか。子供のころ、世界はどんなに色鮮やかに見えていたでしょうか。初恋の苦しさは、今でもあの頃のまま胸にしまわれていることでしょう。初めて建てた家を見上げた時の気持ち。誇りのある仕事。家族と過ごした何でもない夕暮れ。後悔、音楽、大笑い、過ち、何もかも。何もかもが奪われ、失われていきます。

私には止められません。誰にも止められません。
仕方がない。その通りです。そう思うしかないですし、実際本当にその通りなんです。誰も責められるべきではないですし、仕方のないことです。

もう、仕事は続けられない。仕方がないです。もう旅行には行けない。もう友達に会いに行けない。もう釣りに行けない。仕方がないです。もう家では暮らせない。もう家族とは暮らせない。仕方がないです。そうやって風船のように膨らんだ自分とまわりの諦めに押し出されて、施設に入っています。

だから、私はここで、仕方がないとは言いたくないんです。仕方なくない。あなたは自由だ。思い出してほしい。あなたの自由には価値があるんだと言いたいんです。意味がなくたって生きているだけで価値があるんだって言いたいんです。

ケアマネージャーになってもう10年、そんなこと言えたことは一度もありません。元には戻らないんです。それに、歯軋りをしながら決着をつけた深い悲しみに、私から言えることなんて、ないんです。私は、Kさんの涙を前に何も言うことができなかったあの日のままです。

同じ思いと怒りは続いています。どこにも行きつきません。みな老いて、死んでいきます。私にも誰にも止められません。負け戦を続けています。絶対に勝てません。

でも、たった一撃でもいいから殴りたいんです。一撃でもいいんです。一日でもいいんです。生きてて良かったと思えた日が一日でもあればいいんです。

私はあの日、Kさんを苦しめた何かにずっと復讐を続けています。これからもずっとです。

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