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聖地巡礼 ー夜は通仙散ー


序-後の祭り

筆者は実は大宮氷川神社の十日市に行ったことは一度しかない。それにその一度も、十日市に行ったと言って良いものなのかはわからない。

中学の頃に当時、友達と十日市に行こうという話になり、大宮に出たのを覚えている。友達であったのだと、友達はいたのだと思う。まあ、俯瞰で捉えれば部活仲間と言った方が正確なのだろうが。

子供にとっての酉の市は、熊手を買いに行く行事なんかじゃないし、増してや神にお参りする行事である筈がない。ただ屋台を見て回るお祭りに過ぎない。そういう、雑で俗な考えの下、なんとなく、茫洋とした楽しさを追い求め、お祭りに行ったのだろう。

だから当然、そのお祭りの本質なんてのは興味の埒外だったであろうし、そういうのに惹かれるようになった頃にはもう後の祭りなのである。

破-端破り

そういう経緯があるから、筆者の筆によって描かれた十日市は、半端な想い出と寄せ集めた情報で出来上がっていて、出来うる限りでリアリティの付与に努められては居るものの、決してリアルではなく、創作に過ぎない。

この創作と、現実の十日市とを結合させようと言う思いが強く筆者にあるのかと言えば、そういう訳でもない。そうするに足る動機がないし、だから結末に花火なんて要素を出すことが出来た。現実の大宮氷川神社の十日市には花火なんて上がらない。誰かが冬の乾燥した大気の中で、花火を打ち上げるなんて先ず以て有り得ない。作中の時系列、文脈の下で、実現する可能性はゼロである。

兎角、人の想像力と言うのは歪な物である。それを持て囃したり信仰したりするのは自由だが、人の認識に錯覚という邪魔が付き纏うように、想像力で出来上がった虚構を、完全なものだと手放しに言うことはできない。
演繹法を以てして構成された筋に肉付けただけの物語は、結局は経験を元にした帰納法で成り立っていて、帰り納めるに足る場所、その処の前提が不確かならば、それは現実と合致しない。どこで何を間違えたのかわからないような人間の、想像の産物が無謬である保証はない。

創作の内であれば神は宿ると言うのは、創作に寄与した者の言葉に成った途端に欺瞞になる。そんな欺瞞、詭弁を並べ立てる者には、神秘等、触れようがない。

だが、そうやってないものねだりをして喉から手が出るほど渇望する何かを、創作で表すのは不可能じゃない。寧ろ創作だからこそ臆面もなく表せる。本来的に恥ずべきもので、露わにしようものならどう非難されるかわからない。現実に表すには、必ずや痛い思いをしなければならない。人の欲とはそんな物である。しかし創作と言う言い訳、後ろ盾を得る事で、それを表せる場合は往々にしてある。そして、神は欲と切り離された者ではなく人間のそれによって成り立っている、と言う見方も出来る。

しかしその創作にすら、筆者は恥を感じる。恥を感じること自体がきっと恥ずべきことで、人間は趣味や生きがいと言ったものに関して、恥や外聞は本来的に排するべきだと筆者は考える。露わにせず、公に公言出来ないのは、自分を表現するのに抵抗があるということだ。

例えば職場で、何か趣味はあるのかと聞かれれば、執筆活動と言うよりゲームと言った方がまだ答えやすく感じる。自分というキャラクターを立てる上で、執筆活動をする人間だというレッテルを貼るのは酷く怖い。それは創作の内容に自信がないからと言うより、創作を行うに足る起源、本質に向かう順路立てが複雑であり、要は動機が読めないと思われるからだ。

それに書く内容を上手く説明できる気がしない。そもそも端折って説明できるならわざわざ小説なんて書いたりしない。だが、創作の神はその恥を全て吹き飛ばし、全ての道を明らかにし、愛す。

急-生き急ぎ

だから筆者はこの作品を書いたし、そして、縁があって年が明けて大宮氷川神社にお参りをした。聖地巡礼と言う奴である。

先ず印象として、思っていたよりも書くに当たって想起した心象と、実際に見る風景とに相違はなかった。十日市でお参りをしたことはないが、毎年初詣には行っていたので、その時に知覚した色々が経験として根付いているのだろう。飽くまで印象の上だが、概ね、筆者が作品に描いた神社と合致していた。

後厄ということで、遅いが良い機会ではあったので厄祓いをして貰った。24なので本厄かと思ったが、年が明けたのでもう後厄らしい。年末と年度末の違いで、そこに感覚のズレがある。今年でもう20代も半ばらしい。

神社だけあって、お祓いの際には「畏み畏み」という言葉や、日本神話の主神の名前等が聞き取られた。そういった神の名と、現代日本人とにどれだけの繋がりがあるのかは謎で、それこそゲームで得た知識ぐらいしか知らないものだが、こうして正式に現存しているのを目の当たりにすると、神道も面白いなと感じられた。神主が振るった大麻の音は、実際何かを祓うようであった。

神札授与所で御守を買おうとしたが、他に熊手も売られていた。十日市の売れ残りだろうか。折角作品に取り沙汰したので一つ購入した。思ったより竹の定規とは似ていなかったが、人の欲が見えると言うのは間違いではなかった。

就職をしてから起こり続けている不幸を祓って欲しいと言う願いも、ある種の欲なのだと思う。だがそれこそが神を産む。そこに順序や因果を付け加えるのは人間の成すことで、その欲の源、動機そのものは、共通して不足した心だと言える。不足した心が充足した神を求め、そこへ向かおうと信仰する。崇め奉る。
それは創作活動と良く似ている。
現実の満たされなさを、創作という虚構で埋め、或いは満たされなさこそを表現し、全てを浄化させようとする。だから創作の動機は不足した心である。

夜は通仙散という作品は、そういう不足した心で産まれた。そのことを筆者ははっきりとわかっていて、筆者はこの作品を信仰している。

お祓いの翌日の仕事でトラブルが起きた。お祓いに行った月の末日にはコロナウイルスに感染した。安くない金を払ってお祓いをしたが、じゃあ結果はどうだろうか。そうやって即物的な、しかし科学的な考え方をすると、やはり神の存在は疑わざるを得ない。しかし創作に関してはその限りではない。手応えのある作品には必ずや神が宿っている。筆者はそう信じている。

あまり機運の良くない人生を送っていると、神は創作の内にだけ宿ると言ってしまいたくなるし、それはあながち間違いではないと思ってしまう。そういう思考に至るのは、人間の陥る最も酷い病ではないかと思うが、創作という寄る辺があるだけ、その分だけは心が豊かで居られるのかもしれない。

追伸-著者について

余談だが、夜は通仙散の後書きで筆者が自分のことを「著者」と名乗っていることを人に指摘、批判された。
そもそも後書きというものは蛇足で、作品には不必要だと思いつつも、タイトルと本文との関連性を露わにするのにはあった方が良いと思い、筆者は書いた。つまりは本来的には書くべきでないものであった。
そこに自我を出すのは作品に対して冒涜的で、だから「著者」という飛躍した名乗りをしたのだと思うが、これは飛躍でしかなく、誤謬であることをお詫び申し上げたい。これは恥を忍ぼうと遠回しな表現をした筆者の配慮の不足に原因がある。

心の不足だけがあっても、作品への配慮や尊重、理解まで失ってしまえば、神はそこから居なくなってしまう。
だからせめて、それらを失わないように努めて生きるのが、目下の目標である。