校閲なし脳内
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自分が何も深く考えていない、ペリカン人間なのかもしれないと思う時がある。
食べたいから、食べる。
自分の口になんて入るわけないけど、
食べようとする。
結果として食べれるか、食べれないか。
私は社会から逸脱しない行動は分かっても、これから何十年、どうなりたいかは分からない。
なりたいものもあったけれど、
楽しそうよりお金が欲しかったからやめた。
楽しそうより他の人に良く見られたかった。
楽しそうより自分が満足したかった。
自分に頑張ったと言われたい。
指針が間違っているのかもしれない。
明日やるべきことがある、今だって食っちゃ寝、散歩して喋り、お買い物しては本を読み、映画を見て、音楽を聴いて、SMがしたい。
カピバラだって丸呑みしたい。
以前、社会学を学んだ際に「現代社会には、働く為に生きるのか、生きる為に働くのか分からないという問題がある」とあったけれど、狩りや子育てをする為に生きていたはずなのに、子も目的もなければ当然だと思った。
SEXに快楽が生じるのだって、欲望を餌にして、結果として子を産むことができるからだと思った。
社会が腐ってるのかは知らない。
考えるべきなのかもしれないけれど、
自分が1番かわいいならしょうがない。
子どもを拡大した自己として認識してかわいがっているのなら分かる。
考えるというより、続けるのが目的なのか。
止めない。
現状維持は進んでいるということなのかも。
私はそれほど進化論を信じていないし、
天動説も地動説も分かっていない。
時々本当に、
誰かに見させられている幻想だと思う。
人間シルバニアファミリーや、リカちゃん人間である可能性を否定できない。
また、工場で作られている可能性も否定できない。
蓋然性の問題であると言われるかもしれない。
そう言われたら、
悪魔の証明の裏側に隠れたい。
悪魔に助けてもらう。
進化論を信じ切らない人間とはいかに。
進化や神の奴隷なのか分からない。
と言いつつ、
私は私の奴隷であり、私のご主人様だと思う。
しかし、思い込んでいるだけなのかもしれない。この視点がある以上、盲信は不可能に近いと思う。
何か楽なものを信じて、
幸せに死んでいく進化を遂げたい。
幸せ度合いが低下してしまうことは、
進化と言えるのか。
こんな考えも、セルフハンディーキャップとしてお片付けしたい。
私は声高らかにこの考えを語れないし、
語りたくない
のだとと思いたい。
見下しているように見せて、チン凸できない自分を意気地なしだと罵りたくないだけ
なのかもしれない。
そういえばいつか、
こんな話をスペースで語りたい。
多くの人の考えに触れたい。
きっととても楽しい。
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