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お餅にまつわる思い出。

私たちの部屋をでたところから、見上げたところに薬師堂が見える。

この薬師堂で、毎年4月に、区民による餅まきが執り行われる。

前日に、班長など10人ほどが公民館に集まり、もち米を蒸し、機械で餅をついたものを丸める。
私も、主人が班長になったときには、ついて手伝いにいった。

当日は、餅まきの前に、薬師堂へ区民があつまり、酒を飲みかわす。
最後は、区長が、薬師堂から、餅を投げ、区民は我先にと、下で餅を拾い集める。

ここ2年ほどは、コロナの影響でやっていないが、私が嫁いできて数カ月たったときに、初めて、餅拾いを経験した。

餅拾いのまえに、おずおずと薬師堂へあがり、見慣れない顔の区民の人に囲まれながら緊張しつつ、早く終わってくれないかと、ただただ願っていた。

最後に餅まきの時間がやってきて、ほっとしたけど、餅なんて拾って何が嬉しいんだろう・・・くらいの心境で、目立たないように一番うしろに陣取り、拾った餅を入れるスーパーの袋を持って佇んでいた。

いざ、区長さんが餅をまきだすと、意外と後ろの方へも飛んできた!

飛んでくるのは、餅だけではなく、お菓子や袋めん、レトルト食品なども飛んできた。

初めて見るその光景は、私を驚かせた。

しばらくは、初めて見る、みんなが懸命に餅を拾う姿に圧倒されていたが、飛んでくると我を忘れたように、私も餅を拾うのに必死になった。

餅投げは、拾うものを魅了させる不思議さがある。

番号が書かれた餅を拾うと、番号に応じて景品をもらえるのも、物珍しく、面白おかしく私の目に映った。

この4月の薬師堂の餅まきのほかに、9月には、天神さんの餅まきもあり、
いつもうちの倉庫の横で賑わっている。
柿の忙しいときで、私はたいてい、倉庫で柿の選果に追われているけど。

初午のときには、稲荷さんを祀っている家や、厄年の家族がいるところは、各家庭で餅や菓子などをもちよって、区民の人に拾ってもらう。
最近は、区民の高齢化のため、一か所で取りまとめて行われるけど、私が嫁いできた時には、各家を皆で回って、庭で餅まきが始まったことにも驚いた。

餅拾いに馴染みのある地域のようで、子供たちが小学生のころまで、年に一度、小学校で、保育園の子供たちと、保護者や老人会の人たちが集まって餅つき大会が行われた。

うちは、稲荷さんを祀っているので、初午の時と、正月に杵と臼で餅をついた。

義父が杵と臼でつくことにこだわっていたので、数年前までたぶんこの辺りの家で、いちばん遅くまでついていたが、忙しい最中に、手間がかかるので、ここ最近は、機械でつくようになったが、餅つきの際の、「合いの手」。

地元の人や、義母が、かなりのスピードで臼で餅をつく間に、上手に手で回りの餅をまとめたり、水を打ったりするのを見て、私は絶対ムリだと思って遠目に見ていたが、とうとう、家での餅つきのときに私が「合いの手」を入れることになった。

主人が精一杯臼で餅をつくのと同時に、手も思いっきり打ち砕かれそうで怖かったが、最後はどうにかこうにか出来るようになったが、「合いの手」を入れるのに、体力が思っていた以上にいるということを知った。

もち米の蒸し方も覚えたのに、コロナで歴史ある行事が執り行われないようになって、時々、懐かしく思える。


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