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自然災害による死者・行方不明者の「匿名化」について

 自然災害に伴う死者・行方不明者(最近では安否不明者と言うことも)の氏名を公表するかどうか、という事がしばしば話題となっています。7月3日の静岡県熱海市での土砂災害にあたり、この話題が関わってきそうな気がしましたので、これまでに筆者が書いたものを急遽簡単に整理しておきます。

死者・行方不明者の匿名化を巡って

※これは、月刊「Journalism」No.342(2018)に寄稿した記事の一部を再掲したものです。事情が少し変わっているところもありますが、そのまま掲載します。

 近年、自然災害による死者、行方不明者、とりわけ行方不明者の氏名の取り扱いが難しくなっている。たとえば2016年台風10号による岩手県の災害では、消防庁公表資料に「行方不明者7人」が初めて示されたのは発災9日後の9月8日、うち6人は氏名が公表されなかった。平成29年7月九州北部豪雨ではさらに対応が慎重になり、消防庁公表資料に「行方不明者7人」と初めて示されたのは発災15日後の7月20日であり、氏名は全員公表されなかった。

 災害時の行方不明者に関する情報公表が法律で禁じられているわけではない。個人情報保護法では、本人の同意を得ないで個人データを第三者に提供してはならないとされているが、「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」などは除外される。「行方不明者」として氏名などが公表されたことで、様々な事情で周囲に所在を知られたくない人の情報が明らかになってしまうといった懸念は確かにある。一方で、氏名が公表されないことにより安否確認がスムースに進まないといった問題もある。

 関係者が公表を強く拒んでいる場合などに無配慮な対応はあってはならないが、だからといって近年のあり方は少し行き過ぎではなかろうか。筆者は「死者・行方不明者の氏名は特別な事情が無い限り基本的には公表」だと思っている。災害発生時には多くの人が自分の関係者の安否情報を求める行動を起こすわけで、その際の混乱や、場合によっては生じうる不確実情報などを軽減するためにもその方がいいと思う。災害時には感情的に受け入れられない人もいるとは思われるが、自然災害の死者等の氏名は、個々の災害を教訓として後世に残す記録としても重要な情報である。後世の人が、過去の災害について整理・検討する際に、亡くなった方のお名前は、各種資料を横断的に、リアリティを持って考える際の重要な情報となる。たとえば、各地にある「災害碑」の多くには犠牲者の名前が刻まれている事からも、その重要性を感じられよう。

 平成30年7月豪雨では、行方不明者名だけでなく、死者名すら公表に消極的な自治体が見られた。一方、岡山県が当初の死者、行方不明者名非公表の方針を途中で公表に変え、数十人規模だった行方不明者が大きく減ったといった現象が見られたことが、7月13日朝日新聞などで報じられている。過度な匿名化が、災害時の捜索・情報整理などの活動に無用な手間をかけている事をよく表す実例かと思われた。

 「犠牲者匿名化」に対し、メディアの側は戸惑いがあるのではなかろうか。しかし、これに対して「知る権利」「報道の自由」といった観点での反論は、今や共感を得にくくなっているように筆者は感じる。多数意見がどこにあるかは分からないが、「犠牲者匿名化」に対して社会的に一定の支持があることは確かだろう。こうした声の背景には、マスメディアによって犠牲者やその周辺に「メディアスクラム」がかけられている、というイメージが持たれている側面があるのではなかろうか。犠牲者の家族をカメラが取り囲みインタビューをかけるシーンは筆者も気分がよくない。また、犠牲者が何を好きだったとか、優しかったとかいった、いわゆる「人となり報道」が伝統的な報道の常道だという事は承知しているが、その情報は多くの人にとって有用なものだろうか。一方、犠牲者がどのような状況におかれ、どのような行動をし、どのように難に遭われたのかといった情報は防災上も重要なものと筆者は考える。こうした報道であれば、後世の教訓に繋がる「調査報道」になり、社会的な理解も得られるのではなかろうか。

災害碑と犠牲者名

 災害の被災地に、いわゆる「災害碑」が建てられることがあり、ここに犠牲者の名前が刻まれるケースをよく見ます。この写真は、1957年7月諫早豪雨(理科年表では死者・行方不明者992人)の被災地の一つである、長崎県諫早市森山町に建つ災害碑です。石碑とは別に、後に建てられたと思われる災害を解説する看板もありました。碑の土台部分には、この災害で地区内で亡くなられた方達の名前が刻まれ(あえてモザイク処理しています)ています。あくまで個人の感想ですが、名前をみることで、ああおそらくこの方達がご家族だったんだな、といった、空想ではあるのですが、リアリティを感じる思いがこみ上げました。

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 こちらは、2004年台風23号の際に、高波で海岸堤防が壊れて付近の住家が損壊し,3世帯3人が亡くなった高知県室戸市室戸岬町に建つ石碑です。「被災跡地」の記載と被災日が刻まれていますが、犠牲者名を含め、具体的な情報は刻まれていません。なお、建立時期もわからないので、最近のものなのか、被災直後のものなのかは不明です。この石碑が建てられたいきさつなど全く知りませんので、安易に是非の評価はできません。あくまでも、この碑を見て感じた素朴な感想としては、前述の諫早市の碑から感じたような思いは生じませんでした。

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 災害に伴う死者・行方不明者の名前を公表するかどうか、というのは、非常に微妙な問題で、簡単にその是非は議論できません。様々な事情があると思われ、一律には決められないこともあると思います。しかし、ごく個人的な意見としては、もう少し、公表に前向きな形を作っていけないだろうか、とは思っています。


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