能登半島地震 死者・行方不明者の数について


能登半島地震の死者数・安否不明者数

 1月6日午前の時点で、能登半島地震に伴う死者は98人、安否不明者は211人と報じられています。かなりの規模となってきてしまいました。本当に痛ましく思います。

 安否不明者はごく最近(ここ数年)よく使われるようになった概念で、従来からある「行方不明者」とは若干意味が異なるのですが、近年は「行方不明者」が特に災害直後は明示的に発表されていないこともあり、大局的には類似する概念ですのでここではあえて区別せず用いることとします。

災害時に発表される死者・行方不明者数の推移

 災害時に報じられる(発表される)、死者と行方不明者の合計値は、災害直後には時間とともに急増しますが、どこかの時点でピークに達した後、次第に減少していくことが一般的です。東日本大震災時には災害の約1ヶ月後にピークとなり、その後6割程度に減少しています。東日本大震災は規模があまりにも甚大で死者数などの把握に長い時間がかかった特異なケースです。一般的な風水害ではおおむね1週間以内くらいに死者と行方不明者の合計値があきらかになってくるケースがよく見られます。
 なおこれは直接死者数と行方不明者数についてであり、関連死者数は災害から時間が経つにつれて増えていきます。

東日本大震災の警察庁発表死者・行方不明者数の推移(牛山素行:2014年末時点の資料にもとづく東日本大震災死者・行方不明者の特徴,津波工学研究報告,No.32,pp.61-70,2015)

能登半島地震の死者・行方不明者数と過去の地震災害の比較

 1月6日午前時点で報じられている死者数と安否不明者数を合わせると300人を超える規模となっています。安否不明者(行方不明者)の数は、所在が確認されるケース、亡くなられたことが確認されるケースなどがあり、今後減っていく可能性がありますが、新たに安否不明者として挙げられるケースも考えられます。発災からまだ1週間経っていない現時点では、今後これらの数どのように推移するかわからない状況かと思います。
 100人以上の死者・行方不明者を生じた地震災害事例が、気象庁ホームページにまとめられています。この表は1995年までのものですが、1995年より後に死者(直接死者)100人以上を生じたのは2011年東日本大震災のみです。

 能登半島地震と、戦後の事例を比較すると、1月6日午前時点の死者数だけについてみても、1983年日本海中部地震の死者(行方不明者なし)104人に近くなっており、安否不明者を合わせると、1965年チリ地震津波の死者・行方不明者142人、1993年北海道南西沖地震230人などの事例に近くなっているとも考えられます。少しでも多くの方の無事が確認されることを祈るばかりです。

1994年以前の災害では関連死者は計上されていないことに注意

 ところで、災害時の直接死者、関連死者の値については注意深く見る必要があります。災害関連死者とは、災害による負傷の悪化、避難生活等における身体的負担による疾病による死者のことですが、この概念が生まれたのは1995年阪神・淡路大震災以降です。こうした状況で亡くなられた方は、1995年以前の災害時にも当然存在したと考えられますが、1995年より前の災害の記録に残る死者数には、今でいう関連死者の数は計上されていないものと考えられます。したがって、1995年より前の災害の死者数と、最近の災害の死者数を比較する場合は、最近の災害については直接死者数に限定して見る必要があります。
 近年の災害では、関連死者を積極的に認定し、その数が多くなる場合があることにも注意が必要です。典型例は2016年熊本地震で、2019年4月時点の消防庁資料からは、死者数は計273人ですが、直接死者と考えられるケースは50人、2ヶ月後の豪雨災害で地震と関連する現象(土砂災害)により死亡したケースが5人、他は地震に伴う関連死者とみられます。
 直接死者と関連死者は区別が難しかったり、別々に集計されているなどして厳格に分けることが難しい場合もあります。慎重に読み取ることが重要でしょう。

直接死と関連死 筆者作成の図

 言うまでもないことですが、死者数、行方不明者数という「数字」の向こうには、私たちと同じ「人」がいます。そのことは常に頭に置きつつ、「数字」もしっかり見ていきたいと思っています。


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