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言葉にしなかった悲しみのゆくえ


六日前、実家の犬が亡くなった。

その日の朝に母親からのメールで知らされた。原因不明の突然死だそう。そこから立て続けに小傷を負うような出来事が二、三重なり、さらに不運なことに生理前の憂鬱な時期と重なって、珍しく容易にはすり抜けられないほど負の感情に押さえ付けられていることを自覚する。そして夜にはどうしようもない悲しみが押し寄せてきても、職場でもプライベートでも人前では態度に表さぬよう努めてしまう私は、日々をそつなくこなしている人、に見えていただろうか。


孤独は前提で、自分の機嫌は自分で取る。こんな時はいつだってそうして来たように、先ずはとにかく早く眠る。温かいお茶を淹れて普段より甘い物を多めに摂る、レコードを買う、インスタで可愛い動物の動画を見るなどすれば大抵は大丈夫になる、はずなのに、それでも拭えない何かをやり過ごしていたら、ふと、この悲しみは何処へ行くんだろう?と思い始めた。こんなにも長く居座るのに無かったことにされる感情、そのゆくえは?

人一倍忘れっぽい私は、形にしなければひとつ残らず忘れてしまいそうで何だか突然、怖くなった。加えて在るものを無いものとして隠蔽しようとする自分への、謎の危機感と罪悪感を覚え、せめて書き残そうと思った。それがこうして日記を綴ることにした理由で、この日記は敢えて公開していく。






訃報から三日後、いよいよ自分一人では対処出来ない夜がやって来て、かつての恋人に連絡した。どうしても今夜会いたい、と。お互いの家が徒歩圏内という身軽さを差し引いても、弱音を吐ける存在が彼以外に思い付かなかった。これは私にとっては稀有な発言で、気心の知れた友達や恋人にも相手が愛しいから、顔を見たいからポジティブに「会いたい」と言うことはあっても、発端がネガティブで縋るような「会いたい」は言った記憶がない。決して信頼がない訳ではなく、誰かと過ごす時間は出来る限り楽しくありたい気持ちが土台にあるからだ。

事実、私が連絡した理由を伝えると、「出会ってから六年、一緒に過ごした二年間で君がこんな風に言ってきた試しは一度もなかった。もっと他人を頼る事を覚えても良いと思うよ」と彼は言った。その夜はネガティブな感情の解消法などをただ話し、誰しもが当たり前に心に不調を抱える経験があるのだとひどく実感すると共に、それを認めて話すことは恥とされ、軽視されがちな社会の風潮について考えを馳せた。そこで思い出したのが、以前読んだラッパーのジョーダン・スティーブンスが「脆い自分を受け入れることが勇敢さだ」と話していた記事だった。彼がNHS、YMCAと共に2016年に立ち上げ、メンタルヘルスへのスティグマ(差別や偏見の対象、ネガティブなイメージ)を失くし、誰もが自身のメンタルヘルスについてオープンに話せるような社会作りを目的としている「#IAMWHOLE」(アイアムホール)キャンペーンに関するインタビュー。

http://neutmagazine.com/selflove2020-iamwhole-vol1-jordanstephens






皆はどんな方法で自分を救済しているんだろう? どうか私の愛する人たちが、生き疲れたら休憩して、見せびらかす必要はないけどせめて少しだけ息がし易くなるくらい、誰かに弱さを見せられていますように。今週の天気予報によると晴れの日が続くから、陽の光を浴びながら散歩しよう。夜は寒いから早めに帰ろう。どんな私も私。どうでもいい飲み会より、部屋でひとり打ちのめされるような映画に出会う時間の方が私にはよっぽど大切だから、心が動かない相手と過ごす無駄な時間は要らない。きちんと怒りや悲しみに向き合い、時には弱さを打ち明けながら、今以上に自分自身を知って愛を蓄えておく。そうしているうちにまたいつか、心を大きく揺らす存在にうっかり出会えたらいい。






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