
自己がないからこそモノを学べる
毎日たのしい。
昨日できなかったことが今日はできたりする。
僕の話をしているつもりなのに彼の話をしているみたいだな。まあいいか、彼の話をしよう。
オトナになると何か一つ学ぼうとするたびに
つい他人と自分を比較してしまう。
本当は「好きだからやる」だけでいいのに。
「負けたくないからやろう/やめよう」。
それも時には必要だけど
本当は「好きだから」が動機なのがいいよね。
この弱さから脱出することは本当に難しい。
それほとんど解脱じゃん。悟ってると言ってもいいのかも。
ーーー✂︎ーーー
彼はたぶんまだ「自分」を持っていない。
少しずつ「自分」を知り始めるのだろうけど
まだ朧げであることは間違いない。
そうだ!
こないだ「オッパイ」がマオの胸にあることを発見していた。
生まれてからずっと飲んでたはずなのに
マオの胸にあることは知らなかったみたい。
意味わかる?
ずっと飲んでいたものが
ある日「あ、お母さんの体についてるんだ」って
気づいたわけ。そうすると、マオを見た途端に
マオの胸にダイブするようになった。少しずつ世界を認識していく。
ーお母さんがいる オッパイがある
お風呂 ベッド お母さんの隣にいるでかいやつ
あ、お母さんと「僕」は違う存在なんだー

僕らが今当たり前に認知していることを彼はまだ何一つも知らない。
でも夢中で毎日何かを学んでいく。おすわりを覚える。つかまり立ちを覚える。
まだ「自分」を認知していないいま、彼は自分と他者を比べることができない。
だから、純粋にものを学ぶことができる。悔しいだとか、認められたいだとか、そういう煩悩なしにただ目の前のものに夢中になって
昨日できなかったことを今日はやりとげてしまう。
一生のうちで今しかできない学び方なんだなぁと思うと君のペースでゆっくり時間をかけて楽しんでねえ、とほっこり安心する。
そういう君を見て大人もまた学ぶのだから。
PS
阿佐ヶ谷のスタジオに小さい黒板が来ました^_^