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すべてのVtuberたちに知ってほしいこと 〜数字を得る方法は決して難しくはない

久々の記事更新となるぞ。
今回書く記事は、いわばVtuberの引退(リタイア)ラッシュのあとの恒例行事?である新人(ルーキー)Vtuberのデビューラッシュを想定した記事となる。
とはいえ、コレに関してはもしかしたらすでにデビューから数年経ってる者にとっての現状打破に繋がらなくもないとは言っておこう。

なお、この記事、というか当研究所では大きな資本のある法人または事務所の下で働くVtuberを「メジャー」、そうでない独立性の高い個人や同人サークルのメンバーなどとして活動するVtuberを「インディペンデント」と定義してる。
コレは業界の現状として「企業勢」「個人勢」という括りがちっともそぐわないためだ。

そしてこの記事はインディペンデントのVtuberを対象とした記事となる。
メジャーのモノは頼むからこんな記事など悠長に見ず、所属勢力のために立ち去って所属勢力に貢献してほしい。

さて、記事タイトルがなかなかにババンっ!と言ってる故に、早く教えろという読者も多いだろう。
しかし、今回書く記事に関してはハッキリ言うが、コレからデビューするVtuberや、悪徳持ちしVtuber、そして既存のVtuberの希望や夢を完膚なきまでに叩きのめし脱落させてしまう形になるかもしれない。

それを覚悟した上でこの記事は読んでほしい。





このさきには     
無情冷徹で      
修羅道のような    
生々しいお話どもが  
あなたをまっています。

 そ れ で も 講読しますか?

【はい】 いいえ







最初に:覚えてほしいこと

よく警告を聞き怯まず引き返さずにこの記事を読みに来た。
であらば素質は充分だ、しかしここから話すことも結構多い。

最初の段階でこれを知っておかねば、諸君らは間違いなく戦場に散ることになる。
そのためこのタイミングで幻想を派手にブチ壊す発言が飛び出るがご容赦戴きたい。

まずは生存者バイアスを知る。

じつは世の中にある多くのヒトに向けて発信する「伸びる方法」は過半数、下手するとほとんど役に立たない情報なので鵜呑みにしない方がいい。
なんでかと言うとそれらは「成功体験」が圧倒的多くを占めてるからである、失敗したヒトや失敗したコト、またそれで失敗したヒトの話などが考慮されてないのだ。
また、それらの多くは当人の素質や目的や目標を全く考慮しないモノで、そんなんで数字が得られるなら誰もがやってるし、それがきっかけで引退したヒトもいないハズだ。

しかし、現実を見てほしい。
それを実行した結果引退したヒトも多くいる、見えてない知られてないだけで。
キミらが見てるのは、切り取られた都合のいい真実なのだ。

キミたちが見てるのは「数少ない成功例」であり、「大多数の失敗例」を見逃がしているのである。
そう、注目すべきは「失敗した場所」「失敗したタイミング」「失敗した原因」これらなのだ。
死にゲー上手なヒトは結構な割合でここを見るほどだ。


「伸びる方法」を多くのヒトに積極的に教えてるのはエサを吊り下げてると認識せり。

だいたいの場合「伸びる方法を教えます!」などと言ってそのような多くの記事や動画を作って広めてるところは「それによって数字を稼いでる」ことが多く、なおかつ前述の通り当人の素質や目的や目標を全く考慮しないモノが多い。
しかも真実を知らない信者はイエスしか言わないので、ソレでさらに信ぴょう性の高い情報と錯覚させてくる。
実際、それで伸びるなんてことはまずない。

伸びるそのウラにはその者の並々ならぬ鍛錬や工程や練習があってのモノなのだ。
もちろん、無自覚なモノも結構多い。

決してその方法のおかげではないのだ。
だから「ふーん、ほーん」ぐらいに聞いてやるべきことをやるのだ。

そんな手軽に伸びる方法があるなら皆やってるし、皆伸びてるし、皆成功者だ。
しかし現実はそうもいかない。
コレは我が師匠もよくいうのだが「千里の道も一歩から」だ、その道のいかなる一歩であっても省いては千里には至らぬ。


ちゃんと論理立てた情報はある程度なら信じていい。 

しかしコレも過信は禁物だ、全てのモノは不変ということはなく、多くは必ずと言っていいほど更新(アップデート)が入る。
その時出された論理的情報は、その前後にしか通用しないと思うぐらいでいいだろう。
キミたちが使うソフトウェアも、ゲームの武器や難易度も、世の中の流行りだって更新が必ず入るだろう?

そして、ヒトも必ずと言っていいほど成長するし、進化もする。逆も然りだ。
わかりやすくいうなら2012年の丁嵐景樂と、2018年の丁嵐景樂、2024年の丁嵐景樂、コレらは同じように見えて全く違う相手なのだ。
今でこそ丁嵐景樂は「博士」と呼ばれてる車椅子の男だが、2012年の私は今のソレとは全く違い、真っ向から近接格闘で勝負すればかなり高い確率で討ち負けるだろう。

同じ方法がいつまでも通じると思わないことだ。




先のモノを踏まえた上で

さて、ある程度幻想が見えなくなったところで、諸君らに心がけてほしいモノを挙げさせていただく。
どれも活動全体を根本から見直すモノとなる可能性が高いだろう。
非常に重要なモノなので心して聞いてほしい。


いわゆる、数字“だけ”を目標にすることなかれ。

コレに関して言うとメインタイトルにもあるように「数字を得ることは難しくない」のだ。
身も蓋もないことを言うようだが「登録者数」「フォロワー」「高評価」などわかりやすい数字“だけ”を得ることならかなり簡単でぶっちゃけ金のチカラや人脈でなんとかなる。
※直接金銭や物品を渡して(それを条件に)登録者になってもらうことはYouTubeほか多くのプラットフォームで規約違反です

しかし、コレで得たところでその後もずっと見てきてもらうことは案外難しいし、何だったらあっさりほころびることもよくある。
それが故に目標はできる限り具体的なモノをいくつも持つといい。
例えば「〇〇にきてもらう」「〇〇を持ち前の芸や技術でギャフンと言わせる」「〇〇と勝負して接戦を展開する」とかだ。
〇〇に入れる人物は誰でもいいワケではない、ある程度具体化されてることが大事になる。
例えば憧れのヒト、ライバル視してるヒト、何だったら推しでもいい。
何度も言うがコレ1つだけではダメだ、何でかというと「終わった後に目指す先がなくなる」からである、できればいくつか、いくつも作っておくといい。
途中で増やすのももちろんアリ。

わかりやすくいうならゴールだけを設けるのではなく、チェックポイントを複数設けるのである。
この活動は一本道のカーレースではなくラリーであることを意識するのだ。

数字にまつわる目標だけにするとそれが天井知らずになるため、それは通過点程度に認識する方がいいのだ。


数字は面白さの指標にあらず。

コレはずっとハッキリ言ってるが「数字がある=面白い」ではない。
このような誤解があるからこそ数字なんかに縋る者もいるのだろうが、ソレは呪縛他ならない。
TVやニュースなどメディアは登録者数や再生回数ばかり取り上げてるせいか、引っ張られる者も多いのだと思う。
先にも挙げた通り「金のチカラや人脈でなんとかなる」こともあり、数字はあまりにも評価基準としてはアテにならない。
課金すれば実力なくても勝てるスマホゲームではないのだ。
正直言うが、「張子のトラは、トラじゃなくて張子」だ。

「どんなところが面白いか」「どんな特徴があるか」までわからなければ面白い面白くないは判断できない。
「何が面白いのかわからない」からには私からも評価に値しない。

そんな評価を下された際のショックは計り知れないぐらい大きいだろう。
故に、数字のみに依存するのはやめておく方が身と心のためだ。
もちろん、数字がある者が全員面白くもないワケではないし、数字があることで得られるモノもある。
しかし「それだけじゃダメだ」というコトだ。


1年で大成功するのは、むしろ奇跡まであると思っておく。

とても重要なことなのだが、最初の生存者バイアス云々と関連するように「Vtuberは1年程度で成功できる」という超デカい誤解がある。
だが実際のところ、ある調べによればVtuberの平均活動寿命はなんと8ヶ月程度と言われてるのだ。
さらには、2年以上経ってもまだ収益化前提に至ってないVtuberなどかなりいる。

つまりどういうことかというとほとんどのヒトは何らかの理由で華咲く事なく散っており、1年で大成功してるのは、ホントに「数少ない生存者にして大成功者」の扱いなのである。

また、コレはメジャーは考慮せずインディペンデントに特に言えることなのだ。
「数字だけを目標にすることなかれ」とは言ったが、こうともなると数少ない「目標にしてもいい数字」として出てきてしまうのが「活動継続年数」である。
私の目標の1つに「最低でも10年は続ける」があったりする、早い話が「くたばってたまるか!俺は無念にも戦場に散った他の誰よりも長く生存(イキ)たVtuberとして名を馳せるんじゃい!!!」ってこと。
こういった、数字がらみでも「ある程度の限界がある」「一気には上下しない」みたいな数字はむしろ積極的に目標に取り入れてもいいのかもしれんな?
私は登録者数に関していえばまだ発展途上だし言えたモノではないかもしれんが、私はデビューして間もなくもしくはデビューする前から「活動1年もしないうちに登録者n千・n万人」みたいな目標を最大出力でドブ川に投げ捨てた。

たまに私が言われるのが「もうすぐ5年にもなるのにまだその程度なの?」であるがコレは呆れてモノも言えない言葉である、刹那的な娯楽としていなければ「ちがう、“まだ、たったの”5年だ。あとどれだけの時間が続くと思ってるんだ?」としか言いようがない。

このように認識をアップデートすることにより最初から「大器晩成」のつもりで挑むことも決して選択肢としてはナシではない、 むしろアリということである。
タレントやクリエイターだって割と積みに積み上げていく感じだ、初動で成功することはよほどがなきゃない。


流行りに乗るという考えは安易に持たないほうがいい。

コレは至って簡単なことで、「流行り」というのは必ず「廃れ」とのセットだからである。
どれほど人気コンテンツであっても、いつかはオワコンになるということだ。
例えば人気のFPSだったモノだって、システムの改修や上級者しかゲームとして成立しないこともあってゲームとしての人気はないというワケではないが落ち着いてしまってるだろう?

ソレに、現代のゲームは「サービス終了」という実質的な寿命が存在してしまってる。
仮にこの1タイトルを専門としたVtuberになろうと考えた日にはサービス終了と共にキミは姿を消すハメになる。
「大人気コンテンツだから絶対ねーよ!!」としても、仮に運営の不祥事が発覚し株価が大きく下落して業務仕分けで消えたり、サーバがサイバーテロによって攻撃されて再起不能になることもあっておかしくはない。
そういった脅威がちょっとでもありうる以上、あくまで「コンテンツの一部分にとどめる」のが割とちょうどいい。

また、「己の姿」もかなり流行りよりも自分が重要になる。
流行りのジャンルを好きでもないのに取り入れて気を惹いても、ファンが飽きたら意味がない。
流行りのイラストレーターに頼んだとしても、いつそのヒトが衰退するかも不祥事を起こして業界追放になるかもわからない。
ソレだったら「自分の好きなモノやこだわりのモノをコレでもかと詰め込む」ほうが明らかに近道だろう。
描ける者や自分しか信じない者は自分で描いてもいいだろうし、もし託せる信じられる者がいるならばそこに託すのもいい。


人気のために「なんでもやる」は逆効果になることもしばしば。

なんでもやればいろんなヒトが観にくる、と思うヒトもいるだろうが、コレは小見出しの通りかえって逆効果になることがとても多い。
理由としては「表現者の主張が感じられない」ことが大きい。
好きでもないことを、興味なさそうに惰性でやってるのを見て心を揺さぶられるヒトは極めて少数だ。

それにもっと言うなら「ここが何屋なのかわからなくなる」ためだ。
意外と視聴者というのは利用客と同じように最初に「〇〇ほしいから〇〇屋に行こう」となることも多い、コレをYouTubeに置き換えるなら「ゲームタイトルや配信ジャンルで検索する」というモノである。
仮に、1回こっきりで2度とやらないなんてことがずっと続けば、視聴者は期待もしなくなって登録解除なんてこともあるワケである。
そのため、ある程度やることは絞るといいだろう。
実のところ、チャンネルにある配信アーカイブや動画を限定公開にしたり、リストに整理することはYouTubeからの評価にもつながるという仕様もあったりする。



で、これから場に立つヒトに知ってほしい事って?

では、ここから挙げていくことは「じゃあどうすれば…?」というモノたちに与える方位磁針のようなモノだ。
コレに関してはしてもいいし、しなくてもいい。
しかしこれをするだけでも今後が意味が変わる可能性は全くないとは言えないので、聞くだけ聞いてほしい。
ただし、数字に直結するかどうかに関しては前述の通り「成功するとは限らない」である。
そもそも本人がどうにかしなければ、どうにもならない。


1番の方法は「失敗を重ねること」。

こういうと如何にもネガティブな書き方かもしれないが、コレは非常に重要なことである。
コレはワザと失敗することを意味するワケではなく「勉強」「練習」「鍛錬」などの付随物としての「失敗」である。
この「失敗」のデータが収集されることによって成功が見えてくるのだ。

失敗なくして成功することは皆無と思うといい。

また、何かを知る際に「なぜそうするのか」を知る事、つまり「本質を学び取る」ことで精度が上がることもある。
方法だけ知ったって成功しないことは「最初に覚えてほしいこと」でもあげた通りで、ソレだけを知っただけでは機能しないのである。
成功者たちの「やればできる」の正体もほぼコレと言えよう、やるだけではなく「失敗」そして「勉強」「練習」「鍛錬」をもあるべきカタチでした結果なのである。

さて、考えてみよう。
仮に勝星が50勝1敗の格闘家と100勝30敗の格闘家がいたとして、どっちがスゴいかは一目瞭然のはずだ。
何?割合で言うなら50勝1敗の方が言うまでもなくスゴい?
仮にコレが現実であり彼が最後の1敗でその後立ち上がれなくなったとしたら?実はすべての相手が圧倒的格下だとしたら?

1回急所に当たれば立ち上がれなくなるはずが30回も倒れるまでやられたのに生きて何度もリングに出てる方が現実的に考えてヤバいしスゴいだろ…。
ソレあっての100勝と考えると全然違うのではないか…?

つまりそういうことだ、数字という見せかけのモノに騙されるなとはさっき言ったぞ。
葉っぱや枝だけではなく、幹や根っこがあって大樹なのである。


安全圏の中で強く大きくなることはほとんどない。

ヒトは怪我を恐れすぎてリスクを回避しようと考えがちだが、世の中にノーリスクハイリターンなんて甘いモノは存在しない。

ヒトによってはリスクを恐れて内輪だけで企画をしたりなどするヒトもいるとは思うが、ソレにはキミたちが思わぬリスクが潜んでいる、「新しいモノが入らなくなること」だ。
その結果として成長が止まった・消滅したチャンネルを山ほどみた。

もちろんソレでいいのだと言うのならばソレでいい、しかし「大きすぎる目標」があるのに「小さなチェックポイント」に甘んじてたら当たり前に止まる。
恐れて挑戦しないことは、成長が止まることでもある。

リスクは、あるとわかりながらも自らの手で払いのけるモノなのだ。
しかし、もちろん明らかに被害になるリスクだけはキッチリ回避するのだ。


ヒマがあるなら他人の配信や動画を見に行ってみる。

コレは決して「推しの配信や動画を見に行け」という意味でもなければ「配信に営業・売名しに行け」という意味でもない。

他人の配信に打開するためのヒントが落ちてることもしばしばあるのだ。
推しの配信“だけ”を見るのは自分の好きなモノばかりだから知識が偏ってしまう。
だからたまに「素人の視聴者」の気分でマジで知らないヒトの配信や動画を見にいくのだ。

偏った専門知識を一旦、頭から放り投げてみるのだ。
その時、きっと「ずっとこだわりすぎてたが、こんな方法もあるのか…!!」となることは結構ある。
素人の目線になってみることには、こういったメリットがあったりするのだ。

もちろん、自分の作業があるという者たちはムリして行かなくていい、誰かの配信見に行くより自分の作業を優先してほしい。


他者に倣うマネはわざわざしなくていい。

コレは例えば、「‪挨拶」「業界の習慣」「配信でのルール」「題材」などだ。

挨拶によくある「おは〇〇ー」「こん〇〇ー」なんかは私は使う気が起きない。
単純に私が使うのは公式による解釈違いだ。
使わない方がそのヒトが引き立つことだってままある。

業界の習慣ならば「ビジネスファミリー」がわかりやすかろう。
いわばイラストレーターや技術師をパパ・ママ扱いしたり同じイラストレーターや技術師に頼んだVtuberを兄弟姉妹として扱うことだ。
コレは真面目な話すると「クリエイターとクライアント」という根底の関係は変わらないし、逆にこの呼び方に依存してしまう癒着も存在する。
結果として身を滅ぼしてる者たちも多く、よほどいい関係を築いてる者たちは「その関係をわかりきってるから」続いてる。
また、世界観に干渉してくることもあるため、コレが足枷になることもよくある
世界観を大事にしてる場合は矛盾が大きく生じるからだ。
私にもクリエイターとして関わる条件として「ビジネスファミリー扱いしない」があるぐらいだ。

配信でのルールで言えば「他の配信のことを話に挙げる(伝書鳩行為)」「自分語り禁止」「出演してない配信者の名前を出すな」「ネタバレ禁止」「長文禁止」などだろうか?
正直言うと自分で注意できて、縛る必要性が薄いならそんなモノはわざわざ倣う必要がない。
むしろ倣うことで自分の配信がしにくくなるだけだ。
必要なら縛ればいい。

題材で言えば「(自分に合わない)話題のゲーム」「シチュボ」などだろうか?
ぶっちゃけ好きでもないモノやっても配信は盛り上がらないし、視聴者も退屈そうで上達もしない、プレイが面白くもない配信者を見てられない。
できることはやる、できないしたくないことはそこまでムリしてしないでいいのだ。


インディペンデントがメジャーの真似しても結果は同じじゃない

正直、身の程はわきまえたほうがいい。
これは決して交戦すれば必ずといっていいレベルで葬られる漆黒の騎士が言うような実力的な意味での「身の程をわきまえよ」という意味ではない。

そこが気になると言う者たちにココから言わせてもらうが。
メジャーの文化はメジャーだからできるし、メジャーでやってこそ大きな意味をなし、インディでやれば批判の対象や事故材料にしかならない。
その逆もしかりでインディペンデントだからできることやインディペンデントがやってこそ大きな意味をなし、メジャーでやれば批判の対象や事故材料にしかならない。
手法には適した場面や場所があるのだ。

例えば2大メジャーでやってる(とはいえその所属でもやってないヒトもいるが)スパチャ読みタイムは、スパチャができるようになったからとインディペンデントの者がやったところで「単なる退屈な時間」「露骨すぎる贔屓にしか見えない」「スパチャをアオってる」などと散々言われてしまうことが殆どだ。
それもそのはずで、メジャーは何千とか何万にもなる同時接続者がいるからこそ成り立ってるモノであり、何十とか何百人規模のモノでやったって「それ別に最後の方でわざわざ読むタイミング設けなくていいのでは?」とシラけるモノなのだ。
2大メジャーの者たちは各個で方針は違うと思うが、アレは母数の時点でごった返してるからする意味があるのだ。
(尤も、コレを非効率的なやり方として嫌うメジャーの者もいることは繰り返し申し上げる)

インディペンデントはその性質上、各視聴者個々に非常に向き合いやすいことが挙がる。
であれば、その各視聴者個々に向き合うことを前提にしたことをする方が成功する可能性が高い。
マニュアル通りすぎる対応をするのはそれが大勢のヒトが観にくるから機能するのであって、せっかくのいいところを無駄にしてキミたちがソレをしても視聴者は「またこよう」とは思わない。私だって裸足で逃げる。

尤も、何万人、十何万人みたいな規模の登録者数がいるインディペンデントもいる、そういうヒトたちはやってもあまり言われないだろう…。


わざわざ誰かと“競争”するな。

よく聞いてほしいのだが、競争するということは競争相手がいる。
そして自分が取るに足らなければそのままリタイアとなる。

しかし、逆に誰も競争相手のいない、独創的・独自のモノともなれば誰にも簡単に抜かれることもなくトップ独走のままだ。
当たり前のことのようだが、実はコレが重要である。
しかしその「唯一無二」になることは難しい、じゃあどうするかというと「試行錯誤を繰り返す」に尽きる。
コレを嫌がる者も多いが、結果として散ったことが多いのも事実だ。

もちろんキミが目指すモノがあるというならば話は別だ。
しかし「ソレになろう」としないこと、するならば徹底的に「ソイツをアッ!と言わせてやろう」とする方が間違いなく磨かれるモノなのだ。
なろうとしたって「〇〇の二番煎じ」と言われるだけである、あまりに半端な覚悟は自分を劣化コピーにしてしまうだけなのだ。

また、相手がいて成り立つというのであれば「いい試合になること」を心がける方がいい。
ソレは「勝つこともあるし負けることもある」という感じで、一方的なモノにならないようにすることが大きくなる可能性が高いだろう。
「最強」という言葉に惹かれる者もいるだろうが、勝ってばかりでは成長もないし場もシラけるだけである。
転生チート主人公が活躍するライトノベルの多くは先が読めて言うほど面白くないのと同じだ。



最後に:“伸びる”と考えるな、“伸ばせ”!

そろそろわかってきただろう。
「伸びる方法」なんて甘いモノはなく、それよりも大事なのは「伸ばす方法」であることが。

(ちょっと前にこんなことも言ってるが、これは偶然の「伸び」である。)

英語で言うならば“Extend”ではなく、“Inprove”や“Progress”のほうが重要なのである。
そもそもインディペンデントにとってのYouTubeでの活動は自己の「創造と表現」なのであり、誰かのモノに迎合するモノではない。コレだけは忘れるな。

結局、重要なのは「方向定め」とそれに向けての「努力」であり、ソレ以外に「真似すれば成功する」モノはないという結論を出す。
だから私も、その考えの下、常に成長してる。
ソレが例え遅かろうが着実に。だ。
自らの判断での「完成」はきっとない。

ついで程度にあくまでサンプルデータとしてのデビュー前後での「やっておいて正解だったこと」「やっとけばよかったと思ったこと」「やって失敗だったこと」を記していく。
ここにあるサンプルはすべて「簡単なこと」ではない、かもしれない。
しかしコレが結果として他との差になったのは言える。
良くも悪くも、だ。

もちろんコレは数字を得るのに直結するかもしれないし、しないこともある。
コレからデビューするヒトにとってはヒントに、もうすでにデビューしたヒトにとっては答え合わせになるかもしれないので、余興として読んで欲しい。


故人的にやっておいて正解だったこと

まず挙がるのは「肉体のある程度の鍛錬」である。
コレは言うまでもなく肉体的な基礎は意外にも声の出方に影響するのだ。
本人は「自分の声を録音して再生してソレを聴いて苦しみ悶える」ほどには自分の声は決して好きになれないのだが意外にも、周囲からはいい声であるといった評価が与えられている。

次に挙がるのは「PCまわりの知識を得ておくこと」だ。
実兄は若き日はいわゆるGeekと呼ばれるような人種であり、現在のエンジニアなのだが、実はソレが影響してか何かと「壊す気でいじり倒す」クセはついてしまってる。
実は自機は、パーツを集めて1機にするいわゆる“自作PC”なのだが、ソレを組む過程で得た知識が割と多い。
コレが結果として、あまり周りに頼らずとも機体トラブルを自己解決できるようになったのだ。
なお、故障時にはパーツ単位で交換してるために現在のPCがいわゆるテセウスの船と化してるのは言うまでもない((
PCに詳しいVtuberは思いのほかまわりに多くはない(体感)ため、仮にこの知識がなかったら相談する相手もいず詰んでいたかもしれない。

もう一つは「ある程度依頼の仕方を勉強しとく」か。
コレが案外、クリエイターとのやり取りで困ることは少なかった。
単なる形式的なものだけでなく、自分の表現不足分を補えるだけの語学や服飾などの勉強も重要になるぞ。


故人的にやっとけばよかったと思ったこと

真っ先に挙がるのは「業界のある程度の下調べ」だろうな…。
あまりに下調べもなく参入したのは正直いいやり方とは言えないのはある。
いい例で言うと実は当チャンネルのBGMは全曲が外注制作オリジナル音源であり、フリーBGMをほとんど使っていない。
そのためかオリジナルサウンドトラックスCDまで出せるほどだ。
その結果、周囲からは「その発想はなかった」「バカかよ…」と散々言われたモンである。
スゴい顔したのは言うまでもないし、ちょっと場違いなモノになってしまったのは否めない。
しかし、コレに関しては後悔することもなく、今後も出し続けて行くつもりだ。

もう一つは「事前の宣伝をちゃんとする」である。
古い作家故なのか「現代の宣伝の匙加減」がわからず、結果イマイチの認知であったことは大きいだろう。
今でこそ宣伝はしつこいぐらいにやってもいいのではあるが、昔は宣伝すること自体が疎まれており、迂闊に前に出れなかったことが響いた。


故人的にやったのは失敗だったと思ったこと

まず挙がるのは「スタート時にしなくてもいい妥協をしたこと」

2024年現在の丁嵐博士の配信環境


現在の環境がもはやコックピットとネタにされてることもありその印象がないかのように見えるが実際はスタート時点では、かなりの見切り発車であり機体もかなり中途半端なモノを使っていた。
また、実は現在でこそVRMモデルを使っているが、これは実は実験のために作られたモノを譲り受けたモノを改修し続けているというウラ側がある。
そのために数年は(アナログ作画であることもあって)立ち絵の目パチ口パクだけで活動していたことになる。
その結果として、かなり遅れをとったモノである。

もう一つ、「誰彼問わない付き合いをしすぎること」だ。
コレは選り好みしたほうがいいというワケではなく「悪い人間であるとわかっていながら付き合いを続ける」ことが失敗だったという意味である。
残念なことに過去数名、私に危害を加えてくる者、仲良くするフリだけして利用し尽くす者、悪しき行動をとってソレに対して私は目を瞑った者がいる。
しかし、コレは結果として失敗だったと思ってる。
精神的にキツいモノでしかなかった。
もちろん、悪い人間でもないのに自分の感情だけで選ぶのはただの“選り好み”なので私はしたいとは思わないし、いい結果をもたらすとも思わない。
結果としていい結果を逃すこともしょっちゅうある。
見る目を養え、ということだな。



終文

さて、本文はコレぐらいにしておこう。

じつはもとはと言えばこの記事は去年の私https://x.com/Directoric_AAA/status/1637685676849389569?s=20

よりも少しでも前に出る意味合いで書いてたりもする。

この記事は経験則を連ねて説いてるだけではなく、今の私や10年後の私への戒めとしても機能させるつもりだ。
そしてここまで読破できてソレでもデビューしよう、活動を続けようとなった者は、ブートキャンプを卒業したようなモノだ。
あとはデビュー後なり活動継続での実戦経験を絶えず積んでいくのだ、怠ることなかれ。

ではここから先は蛇足あとがきだ、読みたければお金を払って読めばいいと思うが別に払う必要も読む必要もない。
目からウロコが落ちたり、丁嵐博士を応援したいなと思ったら投じてくれればいいぞ?

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439字

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