昔話:ニコ生にあった「カジノ」

どうもです。
ポカスタの話も大体終わったので、今回はちょっと趣向を変えて今から約10年程前の話をしてみようかと思います。まだ、私がニコ生で「ニコニコ★カジノ」のディーラーとして活動していた頃の話です。

ポーカーの方はエムホールデムとポーカーチェイスを細々とだけやってますので何卒。

・ニコ生カジノの元祖

「ニコニコ★カジノ」(以下ニコカジ)とは、カジノゲームのディーラーとなって放送する生主と、プレイヤーとなるリスナーで成り立つ放送形態、いわゆる「ニコ生カジノ」と呼ばれるものの元祖と言えるコミュニティです。いわゆる「オンラインカジノ」の形態に近い形ですが、当然ながら実際のお金を賭けているわけではなく、チップやトランプを使った「ちょっとだけリアルなごっこ遊び」です。

元々ニコカジは、1人の生主がニコニコミュニティで始めた放送でしたが、その放送を見て自分もやってみようと思ったリスナーが生主となり、支店という形で個々のニコニコミュニティを運営していました。ポイントは全ての店舗で共通していたので、本店で稼いだポイントを支店で使うこともできましたし、支店間でも同じようにポイントを共有していました。

なお、この本店のコミュニティオーナー、つまりニコカジを始めた生主は

「むねを」

と言います。どこかでこの名前を聞いたことある方もいるのではないでしょうか。



そうです。この人はポーカー大会「JapanOpenPokerTour(JOPT)」のディレクターである、ハンターサイトの「宮田達宗」その人のことです。

もちろん私のTwitterフォロワーでポーカースタジアムにしか触ってない人とかであれば知らない人もいると思いますし、そもそも「ディレクターなんて興味無いわ」って人もいると思います。ただ先にこれを言っておかないとこの後の話が意味不明になると思うので、頭の片隅にでも置いといてください。読み終わったら忘れていいです。


少し逸れましたが、むねを氏が始めたニコカジは、支店コミュニティ6つを有するそこそこの規模を持つコミュニティ群になりました。その中のひとつに、「ニコニコ★カジノ リド店」が存在しました。私もリスナーから生主側になったわけです。自分がディーラーとなったのは、2010年の9月頃の話です。

当時は個人の色が強く、コミュニティによって参加するリスナーにも違いがありました。ゲームをするため全てのコミュニティを回るプレイヤーもいれば、生主との雑談メインのために特定のコミュだけに参加する人など、あらゆるタイプのリスナーがいるため、各支店の生主は各々の個性を持ってコミュニティ登録者を増やしていました。

ちなみに、当時の私の放送環境は回線と画質の類がかなり酷かったため、技量よりもトークとテンションで誤魔化していたような気がします。設備も最低限レベルでした。


・改革:コミュニティの統合

ディーラー生主および支店コミュニティが増え、その他にも競馬や麻雀といった系列コミュが増えたことで同時放送が発生することも多くなった頃、むねを氏はカジノ系列コミュニティの統合をして「ニコニコ★カジノ」を冠する支店の数を4つに減らす改革をしました。現代における「グループYouTuber」のように、本店としていたコミュニティをメインとして、各支店はディーラー人気投票順でレベルの高いコミュニティを中心に放送をする、というシステムでした。

人気投票下位だと、放送したくても配属コミュで他の人が放送しているため無理というケースもありましたが、放送コミュの規模自体は支店時代よりは大きい、もしくは始めから一定の人数がいるコミュニティでの放送ができるうえ、予約枠の時は特例で本店(または上位の支店)が使えるというルールだったので、予約が安い深夜2時から4時間放送をやるなんてこともありました。とにかく放送して顔を売らなければ人気投票上位にはなれないので、このあたりは競争性をもって全体のモチベーションアップを狙っていたわけです。

また、派生コミュを含めて関わる生主も増えてきたため、全体的な運営体制が組まれました。むねを氏を代表とし、その下にマネージャーやゲームバランス担当、ニコニコ大百科の担当なんてものもありました。(同時の大百科担当は正直意味なかったと思いますが)
加えて各ディーラー生主が放送できるゲームについても、一定のルール把握と進行スピードを担保するため、マネージャー以上の認定がなければ放送ができない、という制度も設けられました。これにより「各々の趣味レベルではあるが一定のレベルが保たれている」という状態を作ることができたわけです。

この頃を境に、ディーラー側の生主も一気に増加しました。当時はニコ生全盛期であり、その中でも「ナマケット」というイベントでトップページ表示+クルーズ放送(同じ枠で複数の生放送が切り替わりながら表示されるシステム)の対象になったことで、普段放送に触れることのない多くのユーザーに認識されたというのが理由でもあります。ちなみにこのナマケット自体はクルーズ放送される時間はたった30分しかなく、本店の座席数7に対して参加希望者が1000人を超えるめちゃくちゃな状態でした。この時のディーラーは、むねを氏の友人の「とも」氏が担当、その裏で私も上位支店を使用して予約枠を取っていたため、こちらも相当な人数が放送に来てくれました。後にも先にもこのレベルの生放送をした経験はありません。

結果的に本店コミュのレベルも40を越え、ついには当時からのアミューズメントカジノの代表格「アキバギルド」がスポンサーに付くこととなったのです。もともとはオフ会の会場として使用させてもらったことがあるレベルでしたが、ブラックジャックのプレミア役や大会景品用として無料招待券が提供されたり、その他運営資金が提供されたりと、一般コミュのレベルでは有り得ないレベルのスポンサーだったと思います。

ちなみに、アキバギルドの運営会社は
「ハンターサイト」
です。つまりはここがむねを氏が関わることとなった原点なのです。


コミュニティの統合自体は結果としてスポンサーをつけられるレベルでの成功だったのですが、ここまでの規模になってしまったことで、これまでとは別の問題が生じてしまうのです。


・求めるものの違い

新しいディーラーも増えて順調に規模を拡大していたニコカジですが、個人店時代の古参ディーラーは半数以上が放送をしていない状態となっていました。私も大学受験があったため、2011年の6月頃にディーラー活動を休止しましたが、そもそも古参ディーラーが活動しなくなってしまったのは2つの理由があります。

まず1つ目は「統合によるコミュの共用化」です。ニコカジ全体で見れば良い面もありましたが、個人単位で見れば「自分が育て上げたコミュニティを共用化された」状態というわけです。しかも、放送せずに人気投票下位なってしまうと元のコミュで放送することすら叶わない状態であるため、モチベーションは低下してしまうでしょう。下位コミュはルーキー達がこぞって放送するので、結果放送するタイミングすらなくなり、自然と離れていってしまったのです。

そして2つ目は「ルール改定と厳格化」です。
アキバギルドがスポンサーに着いたことを受けて、ニコカジは本格化路線へ舵切りしていきました。私の離脱前後でも、インフレしたポイントの圧縮(デノミ)やテーブルレート制の導入、ブラックジャックのプレミア役の配当下方修正等、多くの変更がありました。これらの様々な変更についていけないディーラーも多かったと思います。

「組織」という点だけならば、世代の入れ替わりが起こることは内部環境に新たな一石を投じることにもなりますが、ニコ生という環境においてはそれほど単純な話ではありません。

ポイントになるのは「趣味」であることです。

結局のところ、ニコ生カジノという放送形態は趣味の領域でしかなく、生主とリスナーが趣味を共有していることで成立していました。しかし、新しく入った生主の中には、「初めから知名度を得られる環境」としてニコカジに参画した人も数名見受けられました。そうなった場合に、ディーラーという肩書きはあるものの放送頻度が明らかに低いという状態であったり、運営メンバーでの会議で特に何も意見することなくイエスマン化してしまったりと、趣味を共有する組織としては不安定さが目立ち始めたのです。

もちろん趣味として楽しもうとしたディーラー生主も入ってきていたのですが、先に挙げた「厳格化」によって、生主側から「趣味としての自由度」が失われつつありました。リスナー側からみれば「放送があれば参加する」という部分は変わらないのですが、ディーラー生主達は「ディーラー」であることを強く求められるようになったのです。そうなってしまうと、「生主」を求めていたタイプのリスナーも窮屈さを感じ始めたのです。

冒頭にも書きましたが、そもそもニコニコ★カジノは一個人が始めた「ちょっとだけリアルなごっこ遊び」だったものです。これを本格路線に振ろうとすると、「常にプレイできる環境」というものを提供できなければ成立させられないのです。

特にこの問題が顕著だったのがポイントデノミ以降から導入されたテーブルレート制で、放送枠ごとにベット額の上限/下限を設けたはいいものの、この頃はディーラー総数に対してがやる気のあるディーラーが少なかったため、「複数のディーラーが放送を定期的に行う」ことを前提としたテーブルレートは、事実上ベット額を制限されただけになってしまいました。

そのため、ディーラー生主もにリスナー数維持のために誰でも参加できるローレートの放送しか行わなくなってしまいました。結果、ランキング活性化のために行ったポイントデノミでしたが、デノミ時点で上位のプレイヤーに追いつこうと思ってもベット額制限で思うように増えずにランキング変動は起きず、配当下方修正も相まって「ポイントを増やす楽しみ」を削られただけになってしまいました。

これについてはデノミプランを作った私も見通しが甘かったと思います。ある程度ローレートとハイレートが混在していればその内ランキング変動するだろうくらいに思っていましたが、デノミ前後で放送頻度が1/3に減るなんてさすがに予想できませんでした。

結局のところ、「趣味」レベルでよかった人からすれば、「本格化」は求められていなかった改変になってしまったのです。それでもむねを氏からすれば、「本格化」はコミュニティをこの先も大きく続けていくために必要なことと認識していたため、この路線で運営が進んでいくことになります。


・趣味を仕事にするということ

先にあげた問題以外にも色々とあって、多くのディーラー生主が離脱しました。私も受験後に復帰予定でしたが、現状のニコカジで「自分のやりたいこと」はできないと判断し、独立してニコ生カジノのコミュニティ「ディオーサ」を立ち上げました。あくまで自分がやりたいことをしたいためであり、ニコカジが嫌いになったとか、むねを氏と喧嘩したからというわけではありません。

少し脱線しますが、同時期にニコカジから独立したディーラーが「アミューズメント Argine(アルジーネ)」というコミュニティを作りました。このコミュニティは、現在のニコ生カジノで最大手のコミュニティになっています。

このアルジーネを立ち上げたディーラーは、「俺のいえ」という人物です。彼は、現在アキバギルドのフランチャイズ店舗である「イケブクロギルド」の店長をしている「おれいえ」氏と同一人物です。開業当初は副店長だったと思います。つまり彼は「趣味を仕事にした」のです。一方でコミュの方は別の生主がオーナーをしていますが、一応おれいえ氏がCEOという事にしているらしいです。何だよCEOって。(仲が悪いとかではありません)


話を戻しますが、結局ニコニコ★カジノは、1~2人のディーラー生主だけが必死に放送を取り持っている状態になっていきました。所属する生主はそこそこいたものの、ディーラーとして動いていない人ばかりが残っていたのです。人気投票を行うこともなくなり、もはや放送があれば御の字レベルでした。

当時のむねを氏はディーラーやリスナーと揉めることが度々あり、正直に言えば周囲からの印象は良くありませんでした。良くも悪くも「組織化」したことで、トップの振舞いが組織の印象に繋がってしまうのです。


ニコカジは「組織化」したところまでは「同じ趣味を共有するチーム」であり、あくまで趣味であることが軸になっていました。しかし、本格化路線へ舵を切ったところで、「同じコミュニティを運営する組織」になっていたのです。つまりは「趣味」が「仕事」になっていたのです。

これまで世間一般によく言われていた「趣味を仕事にする」というのは、「趣味と共通する部分を持つ仕事に従事する」という表現が適切なものかと思います。あくまで仕事は「仕事」であり、そこには対価として「収入」が発生する必要があります。その上で、趣味は「趣味」として各々が楽しむものであり、それそのものに直接的な対価が支払われる訳ではありません。(同人誌のような販売を伴うケースを除く)

一方で、YouTubeのCMで使われたフレーズでもある「好きなことで、生きていく」というものがあります。これは「趣味」そのものを「仕事」とすることでそこに対価が支払われる形になりますが、対価を発生させる以上は「趣味」であっても一定のクオリティが求められるようになります。

先程話に挙がったおれいえ氏の場合、ニコ生カジノとイケブクロギルドは「カジノ」「ポーカー」という共通項はあるものの、あくまでニコ生カジノは趣味として、イケブクロギルドは仕事としての環境になっています。

一方でむねを氏の場合、ニコカジのスポンサーとなったハンターサイト(アキバギルド)との繋がりから、JOPTの前身であるJapanPokerTour(JPT)の仕事を依頼されていました。それは結果的に「趣味」そのものが「仕事」へとシフトしていたので、ニコカジに対してもクオリティを強く意識する理由になっていたと思います。しかし、ニコカジに属するディーラー生主達にとってはあくまでも「趣味」でしかないため、ここで意識レベルにズレが出始めたのです。そのズレを指摘できれば良かったのかもしれませんが、とりあえず知名度のある環境にいられればいいだけの生主達は、コミュの方向性を話し合っても適当に賛成をあげて終わってしまいますし、この賛成票のせいでまともな議決も取れずに話し合いが進むことで望む方向性からずれてしまった生主達は、どんどんニコカジから抜けてしまいました。

この繰り返しにより、ニコカジはオーナー権力が強すぎる組織となってしまい、最終的にはとある事件をきっかけに、楽しい「趣味」の環境から陥落し、事実上の活動停止となってしまいました。


・趣味としての限界

現在でもニコ生カジノとしていくつかのコミュニティが存在していますが、ニコカジ全盛期ほどの勢いはありませんし、その後のコミュ乱立時代と比較しても稼働しているコミュニティは少なくなっています。それは各コミュニティがつまらないからとかではなく、時間経過による環境変化の影響が大きいです。

ニコニコ★カジノ全盛期は、そもそもニコニコ動画およびニコニコ生放送の全盛期でした。さらに当時はスマートフォン登場前ですから、今と比べて「無料で遊べるゲーム」というものも少ない時代でした。そんな中で、「リスナー参加型」であることは「暇つぶし」としてニコ生カジノはちょうど良かったのです。

現在ではスマートフォンの普及により、無料で遊べるゲームも大量に存在し、動画・ライブサイトもYouTubeが主流となっているため、「ニコニコ生放送で暇つぶし」というニーズが少なくなっているのです。さらに、ニコ生カジノは「参加型」の形式故に「ながら作業」にも向いていないため、当時からの「ちょっとだけリアルなごっこ遊び」だけでは人が集まらないのです。そうなると、良くも悪くもリスナー依存の放送形態であるため、生主側の暇つぶしとしても機能しないのです。

生主の暇つぶしにならない→放送頻度が減る→リスナーの暇つぶしにならない→他のゲームなりを始めて参加頻度が減る→リスナーが減って面白くならない→放送頻度が減る→(ry

このループに入ったらもうニコ生カジノは放送を維持できないのです。ですから、現在残っている主なコミュニティは「複数のディーラー生主が同じコミュを軸に放送を続けている」ところしかありません。つまり、「生主のやりたい時にやる」と「リスナーの見たい時に見る」が両立する上で、この形が一番安定するのです。

だったら何でそのシステムが成り立つニコカジが失敗したかと言えば、結局は放送しないと人気投票という形で叩き落とされる点でした。「放送すればするほど人気投票で投票されやすい」というシステムは、やる気のあるルーキーの初動にはなるが、趣味として合間でやってるようなディーラーには放送が義務となっているに等しいもので厳しかったのだと思います。

また、個人でやっている趣味はやる気がなくなったらそれ以上は何も無く終了してしまうだけですが、組織化しているせいで「自分がやらなくても誰かがやる」「誰かがやれば組織は安泰」「そんな組織にいられるならわざわざ放送しなくても名前さえ出しとけばいい」という状態になっていたのです。結果、内部的にダラダラとした状態が続いてしまい、組織全体のモチベーションが失われていたのだと思います。飽きたら終わりの一時の趣味に「競争性」は合わなかったのです。




以上、ニコ生カジノから見る趣味と仕事の関係に関する話でした。

別に元最大手のニコカジが倒れてしまったこと自体、むねを氏が悪いわけではないと考えています。元々のむねを氏はニコ生スキルとしては雑談力に長けているタイプの人で、寿司食べながら雑談したり、ゲームしながら喋ったりしてるほうがイキイキしていたと思います。そんな中でニコ生カジノの立ち上げ人として奮闘してたのは間違いないのですが、もともと組織になる前提で立ち上げたものでもないので、次第に綻びが出てしまったというだけの話です。趣味の範囲で伸び伸びとやっていれば、ニコカジは今でも存続していたのではないかとさえ思います。場所はYouTubeに移ってるかもですが。

最後に、現存するニコ生カジノコミュを紹介して終わりとします。もちろん無料ですので。
ではでは。


アミューズメント〜Argine〜

https://com.nicovideo.jp/community/co1589273

正統派のカジノゲーム中心です。


あみゅーずめんと こみゅにてぃ ~にこにこぷん!~

https://com.nicovideo.jp/community/co1354820

アレンジルールのゲームが中心です。
チャイポとかオーシャンホールデムとかもたまにやってます。







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