HAND3:マインドスポーツを騙る究極の運ゲー

どうもです。
例年鬱陶しい梅雨の季節ですが、今年は長梅雨になるといいながらも夏日続きで正直しんどいです。溜まってる洗濯物をやるにはいいのですが、土日に限って雨はきついです。

今回はポーカー界隈全般に対してのお話です。
個人的主観が多くなると思いますが、多めに見ていただければと思います。


・究極のマインドスポーツ

以下の文言は、ポーカースタジアムのホームページに記載されている内容です。

世界が熱狂!究極のマインドスポーツ
「テキサスホールデムポーカー」の
ネット対戦ゲームが登場!!

「マインドスポーツ」とは、思考能力を必要とするゲームを一種のスポーツと見なした言葉です。

もともと「マインドスポーツ」という言葉は、1960年代にバックギャモンが脳を肉体的に使用するスポーツであると表現されたことが起源となったもので、マインドスポーツの概念自体は1990年代後半になってヨーロッパで導入が検討されました。現在では、国際マインドスポーツ協会というものが設立されていて、チェス、チェッカー、囲碁、コントラクトブリッジ、シャンチー、麻雀の競技連盟がこれに加盟しています。

上記の中でトランプゲームはコントラクトブリッジのみですが、2018年に「Federation of Card Games(カードゲーム連盟)」が正式加入し、ポーカーを含めたトランプゲーム全般がマインドスポーツとして認識されることとなります。

正直なところ、ポーカー自体は「究極」を冠するほどマインドスポーツとしての歴史が深いものではないです。一方で、ゲーム性においては戦略性、競技性の面で、バックギャモンや麻雀と並べて紹介されることが多いものです。特にバックギャモンはマインドスポーツの元祖的な部分もあり、そこと並ぶことでポーカーのマインドスポーツとしてのポジションは確立されようとしているとも考えられます。ですが、このマインドスポーツという表現自体が適切かというと、個人的には否定寄りです。


・マインドスポーツにおける運要素

マインドスポーツに部類されるゲームとして、「運要素がゲームを支配するもの」は対象になりません。ルーレットや丁半、あるいは人生ゲームのような運要素に対して処理が粛々と進んでいくようなものはダメだということです。

ポーカーやバックギャモンにも運要素はありますが、ポーカーで言えばベットタイミングやブラフ、バックギャモンで言えば2つのダイスから発生する選択、戦略の多様性が、運要素以上に戦略性を上げていると考えられているため、これらはマインドスポーツとして認められています。とはいえ、マインドスポーツ全体として見た時に、運要素が含まれるのはトランプ系、バックギャモン、麻雀くらいで、他のゲームはランダム性がゼロかほぼないレベルです。結果として現在では、マインドスポーツはAI学習によってあらゆる手の評価値を算出することで、人間以上に強いプレイングをする人工知能がいくつも存在します。

そもそも運要素を排除する理由としては、「当人(またはチーム)の実力が結果に直結する」ことがスポーツを冠する上での最低条件だからでしょう。例えばですが100m走でくじ引きによって履ける靴を決めるなんて言い出したら非難殺到でしょうし、アーチェリーでじゃんけんの結果によって的の大きさが異なるなんてなったら賄賂が飛び交うかもしれません。スポーツである以上、「平等な条件下」で戦う必要があるのです。

バックギャモンにせよ麻雀にせよ、「平等」という観点で考えれば、マインドスポーツにおける運要素は「各々が同一の運を求められる条件下」にあることで、競技として成立しているのです。それでも運要素がある部分については、大会ルールとしてそこをフォローする要素が存在する場合もあります。例えばコントラクトブリッジであれば、1戦目の相手の手札と同じものを使って2戦目を行う「デュプリケートブリッジ」というルールが存在します。

・ポーカーにおける運要素

さて、ポーカーにおける運要素としては、単純な部分では「配られるハンドの強弱」「配られたハンドと場のカード、相手のハンドの噛み合い」が考えられます。以降、テキサスホールデムを基準に話を進めます。

まずは配られるハンドの強弱ですが、2枚のカードの組み合わせは全部で1326通りあります。ハンドや状況ごとに相性もあり、当然ですが配られた時点での勝率差が発生します。(ちなみに麻雀の配牌は98521596000通りらしいです。)

この1326通りの内、ポケット(AAや88等)が来る確率は13/216、Aが1枚でも来る確率が15%程といったところです。仮にハンドレンジがAxかポケットのみで参加するものであれば、だいたい20%くらいのハンドで参加することになります。つまり、5ゲームに1度くらいしか参加するチャンスがないことになります。

この厳選したハンドでいざ参加したとしても、ボード、厳選された相手のハンドと噛み合わなければポットを獲得するには至りません。トップヒットになってもボードが自分の持ってないスートで染まっていたら強く出ることはできませんし、スタックのない時にリバーでフラッシュになってもボードにAとKのツーペアがあったらオールインまでいくのは無謀に見えてしまいます。

しかし、このあたりの条件については全プレイヤーが独自のレンジを定めることで、「戦略の差異」に収まっているとも考えられます。その差異に技術、つまりはブラフやベットコントロールをもってつけ込むことができれば、テーブル内で主導権を握ることができるようになる訳です。ルース/タイト/パッシブ/アグレッシブなどのプレイスタイル表現は、こういった差異につけ込むための大まかな判断材料というわけです。

・マインドスポーツ内での特異性

前項のような確率を伴う事象については、全プレイヤーが各ゲームで同様の確率で抽選を受けるために平等であると見なせましたが、ポーカーは他のマインドスポーツと比較して2つほど特異な点があります。

①1回のゲームで極端に結果が決まる
ポーカーにおける「オールイン」は、手持ちのチップを全て賭けることを指しますが、このオールインをチップ量に関わらず、どのタイミングからでも行うことができます。(リミットゲームの場合は別ですが)

他のマインドスポーツと比較して、オールインは突然決着を付けてしまう極めて珍しいアクションになります。少なくとも、オセロでいきなり決着したり、バックギャモンでゲーム開始時点からダブルのダイスで64を示したりすることはありえません。もちろんチップ差にもよりますが、オールインをした個人単位でみたらデッドオアアライブがいきなり決まるのです。そして、オールインプレイヤーが例えテーブル内で上位に位置していても、それより上位のプレイヤーに負けたら一瞬でゲームオーバーになるのです。

でも麻雀だって役満に振り込んだらほぼ終わりでしょ?

確かにこれは間違いではありませんが、ポーカーのトーナメントは長いものになると当然のように日を跨ぎます。母数とする時間は長いのに、たった1ゲームの1アクションで突然つまみ出されてしまうと考えると異質としか言えません。しかも、1ゲームあたりの時間は麻雀よりずっと短いです。

いや、将棋だって長いことやってるじゃん?封じ手とか面倒臭いことまでやってるし。

将棋も日を跨ぐこともありますが、拮抗しているゲームが1手を打った「瞬間に」終わることはありません。また、将棋の場合は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」なので、運による結果の変動はありません。有利不利の評価値は、そこまでの互いの動きのみに左右されるものです。一方でポーカーは、たとえ99%:1%であっても1%を取られた瞬間にその99%が0%と同じになってしまいます。つまりは要所要所で確率に左右されつつ、生き続けなければならないのです。

②MTTという盤外要素
ポーカーのトーナメントにおいては、参加者は基本的に全員同時に複数卓へ別れてプレイを行い、人数が減ったらテーブルを統廃合していく「マルチテーブルトーナメント(MTT)」が採用されています。(1テーブルトーナメントやSit&Goもありますが割愛)

このMTTは着席時点、テーブル統廃合の度に運が要求されると言ってもいいと思います。その理由は、

「自分が一切干渉できない他の卓で、チップを大量に稼いだプレイヤーと同卓するかもしれないから」

です。トーナメントに慣れ親しんでいると何もおかしくないように感じますが、他のマインドスポーツと比較しても相当異質なルールです。

例えばABCDの4人がオセロをやったとして、Aさんは64:0でBさんに圧勝、Cさんは34:30でDさんに辛勝だったとします。AさんとCさんの勝負が20:44でCさんが勝ったはずなのに、

「Aさんは予選で圧勝したので30ポイントのボーナスをあげます。50:44でAさんの勝ちです!」

なんてことになるのは普通に考えればおかしいはずです。

例えばプロ野球において、ジャイアンツとベイスターズが戦って5対1、タイガースとスワローズが戦って2対1だったとします。その翌日にジャイアンツとタイガースが戦うとなった時に、

「ジャイアンツは昨日4点差で、タイガースは1点差で勝ったので、この試合は4対1から開始します!」

なんてことになったら、阪神ファンがジャビットくんを道頓堀に沈めかねません。

スポーツにせよマインドスポーツにせよ、基本的には前の試合の結果を別の相手との試合に引き継ぐなんてことは基本ありえないのです。それは公平な条件で各試合をスタートするためでもあります。

ですが、ポーカーのトーナメントにおいてはこれが普通に行われています。

例えば100人参加のトーナメントで、10人ずつ10個のテーブルに分かれてトーナメントが始まったとします。このうち、テーブルAではタイトなプレイヤーが多くてチップの変動が少なくて飛ぶプレイヤーもいないという状態、テーブルBCDにはアグレッシブなプレイヤーが集まった結果、オールインが飛び交う中で飛んでしまったプレイヤーが数名出始めます。テーブル人数のバランスが悪くなると、人数の多いテーブルから少ないテーブルへのプレイヤー移動、またはテーブルの解体が行われます。

この状態でプレイヤー移動にも当たらずにテーブルAに座り続けている人の視点で考えると、手持ちのチップが多少増えていたとしても、他テーブルではそれ以上の速さでビックスタックが築かれていくわけです。もちろんそのビックスタックプレイヤーを止める術はありませんし、突然そのプレイヤーと同卓することになったら、いきなりハンデマッチが始まってしまうのです。

そして厄介なことに、テーブル内でのプレイがどんなに完璧でもこれが起こってしまうのです。

いや、そうなる前にテーブル内で稼げなかったのがいけないんでしょ?

大体この話をすると、多くのポーカープレイヤーは上記のように言います。しかし、自分の実力に関係なくハンデマッチを要求される状況が「スポーツ」になろうとしている、というのは、なかなか違和感が強くはないでしょうか。


少し強めの批判になってしまいましたが、上記の話には少し考慮する部分があります。それは、ポーカーのトーナメントにおける「1ゲーム」の価値です。例えば、野球なら1試合の勝ちは「勝ち」以上の値を持たず、負けは「負け」以下の値を持ちません。10対0だろうが100対0だろうが変わりません。サッカーのように得失点差を設けるケースもありますが、それでも100対0の1試合が、0対10の9試合をカバーしている訳ではありません。

一方で、ポーカーは1回の「勝ち」が複数回の
「負け」を補填する
ことで成り立っています。そうして、強制退場となる「負け」を踏むことなく、全ての負けを賄う「勝ち」を積むことができたプレイヤーが優勝するのです。そう考えると、ポーカーのトーナメントというものは、野球でいうところの「リーグ戦」よりも、「1試合」の方が近いものとして考えられます。であれば、1試合の中でのチップ量の変動をシーソーゲーム的に解釈できないこともないかなとは思います。


・札束で殴るスポーツと化したポーカー

少し話は変わりますが、現在の国内におけるポーカーについてもマインドスポーツと呼べるか怪しい部分があります。

各店舗でのトーナメントには大きく分けて3つのタイプがあります。

①単独完結するトーナメント
②ポイントランキング型
③サテライト型

①はそのトーナメントの結果だけで全て完結するものになります。大型プライズ2dayイベントのようなものから、お土産争奪戦のようなバラエティ寄りのものまで様々です。

②は各店舗で実施している定期的なトーナメントで行われるタイプです。トーナメントごとにプライズが設定されていることもありますが、月刊などの単位でポイントランキング上位にプライズが出るタイプになります。

③は各店舗で本戦出場権がプライズとなっているトーナメントを行い、出場権を持ったプレイヤーだけでビッグプライズがかかる地方~全国規模の本戦を行うタイプです。大会によってはDay1までを各店舗で行うこともあります。また、店舗規模のトーナメントでもサテライト型を採用していることもあります。

で、これらに共通している問題点として、「リエントリー」という概念があります。トーナメントの序盤に負けてしまったプレイヤーが、リエントリー料を払って再参加できるシステムで、トーナメントによって1回まで可能だったり、アドオン(チップ追加)権利と兼ねていたり、何度もリエントリー可能だったりします。

システムの建前としては「序盤にぶつかってしまって負けてしまったプレイヤーに再参加のチャンスを用意している」わけですが、本音としては「界隈のプレイヤー数が少ない中、1人から取れるだけ取った方が店としても得」というのがあります。特に1日に複数トーナメントを開催するような店舗であれば、なるべく長く参加してもらった方が次のトーナメントまでのスパンが短くなるので、そのまま次も参加してもらえる可能性があがります。

そこまでであれば仕方がないかなとは思うのですが、問題はこのリエントリーがあることを前提としたアグレッシブプレイが可能であるという点です。以前ポーカースタジアムのトーナメントにおけるアグレッシブの問題でも書きましたが、飛んでもリエントリーすればマイナスにならない状態であれば、資金さえあれば常にフォールドエクイティの面で有利を取り続けることができます。

また、昨今プレイヤーの中で話題になった話が、「ハウスプレイヤーと思わしきプレイヤーが、リエントリー+オールインを永遠に繰り返してくる」というものです。実際のところは不明ですが、ハウスプレイヤーならば実質無料で参加している可能性もあるため、事実上の無限リエントリーとなってしまい、周囲のプレイヤーが真っ当なハンドでプレイをしてもどこかで運負けした場合に受けるダメージも大きく、そうでなくても常にオールインしてくる存在というだけでフォールドエクイティが発生してしまいます。

そもそも運要素が絡むゲームで、1回でも負けたらいけないプレイヤーと、何回負けても問題ないプレイヤーが同じ場にいること自体が、普通のゲームとして考えても異質だと思いますし、少なくともスポーツではありえません。赤コーナーだけ何回ダウン取られてもOK、青コーナーは1回でもKO扱いのボクシングなんてどう考えても不公平なわけです。


もう1つの問題は、③サテライト型における「複数権利優遇」です。各店舗の予選にあたる大会を複数回勝ち抜いた場合、以下のような特典があります。(内容は時々によって異なる)

・初期スタックが増える(開幕時アドオンとして使える)
・リエントリー権利として使える
・メインDay1に複数回出られる(合流するタイミングで複数回生存している場合は最大スタックを適用する)

これまでの話でも、スタックの差やリエントリーができること自体が戦略上の優位に繋がることは説明してきましたが、サテライト型の場合はその前段として「サテライトトーナメントをいくつ突破したか」がキーとなってきます。そして、サテライトトーナメントももちろん参加費がかかりますし、制限なくリエントリーできるケースも多いです。参加者は本戦で優位性を得ようと思ったら、資金力で優位性を積めるサテライトを複数回突破しないといけないわけです。つまりは、「金を持っている方が有利」なのです。

そりゃそうでしょ。最終的な賞金額に見合うように資金回収しないといけないんだから。

という声をよく聞きますが、お金を積めば有利になるというのならば、それを「スポーツ」とは言い難いものです。同等の条件で戦う上で同等の支払いが発生するならばまだ納得できますが、一部のプレイヤーのみが優位性を築くことができるシステムは、ただの札束ビンタゲームにしかなりません。一般的にポーカーにおける参加ハードルというのは、資金力の差が露骨に見えるている環境に、新規プレイヤーが近づき難いというのが主要因かと思います。

「お金をかけて本戦の用意をする」というところをスポーツに置き換えると、筋トレでトレーナーをつけるだとか、試合で使う道具を揃えるだとか、そういう捉え方をすることもできますが、問題はそれが1つのトーナメントで全て消費されるものであり、勝たない限りは何も残らないという部分です。「大会に出る度に動きのイメージは洗練されるが、筋トレでつけた筋肉がいきなり消失するから身体はついてこない」なんてことになったらさすがに誰もやる気にならないはずです。

一方で複数権利優遇というのは、予選終盤になると参加したい人が権利獲得済みで参加を控えてしまうことで、店側に開催損失が起きないようにするための対策でもあるので、一概になしにするのは難しいことだと思います。

結局のところ、「アミューズメント施設としてポーカースポットは利益をあげなければいけない」という点と、「スポーツであるならば公平性が保たれてなければならない」という点において、「お金」の存在がバランスを取る上で障害となるのです。そういう意味でも、少なくとも日本でポーカーを「マインドスポーツ」と呼ぶのは不適切な気がします。


・ギャンブルから抜け出せるか

そもそもの話、ポーカーは基本的にお金を賭けたギャンブルとして発展したゲームであることは周知の事実かと思います。仮に合法であったとしても、資産を賭す遊びに対していいイメージがつかないのは、日本でも競馬や競艇、あるいはグレーラインですがパチンコなどをしている人に対する世間の風当たりからしても明らかでしょう。このイメージを払拭したいからこそ、昨今やたら推されるようになったのが「マインドスポーツ」としてのポーカーだと思われます。

しかし日本での実態として、各地のポーカースポットでは名誉を建前として海外トーナメントの斡旋としてトーナメントが行われており、オンライン予選という名目で海外サーバーのキャッシュゲームが可能なオンラインポーカーアプリへの斡旋も行われているわけです。理由は簡単で、そうやって釣り上げないと人が集まらないからです。ポーカースタジアムもJOPTなどのイベントに斡旋しているため、結局は同じです。

そもそもプロと一般のプレイヤーが同じテーブルを囲む競技でお金が動くというのがスポーツとしてはナンセンスなのです。確かにマインドスポーツに限らず、世界のプロプレイヤー達は賞金がかかった大会をしているわけですが、それは「その競技に打ち込んだプロ同士」だからであって、一般プレイヤーから搾取するための会場ではないはずです。ここまで運要素が強いと言う話をしてきましたが、そうは言っても資金力と経験がものをいうゲームというのは間違いありません。どんな形であれ、ゲームを「お金」が支配しているのです。

結局はそういった「お金が支配するゲーム」の斡旋でしかない現状、日本のポーカースポットは「マインドスポーツ」の舞台になることはないでしょう。

一方でこの現状が続いた場合、各地のポーカースポットは大きな問題に直面する可能性があります。それは、日本のカジノ解禁です。

公的にカジノが成立した場合、アミューズメントとの線引きが明確にされる可能性があります。そうなったとき、現状グレーの「海外支援」は残ることができるのか、という問題があります。

そもそも日本にカジノができるのであれば、わざわざお金のかかるサテライトを通過してお金のかかる大型トーナメントに出て海外支援を得て、なんて手順を踏まずに「勝って稼いで海外」がシンプルなルートとして成立してしまうので、サテライトに依存したポーカースポットは生き残ることができるかすら怪しいのではと思います。

そういった中で、先日渋谷にオープンした「ROOTS」に関しては唯一アミューズメントに特化させた店舗であり、ポーカースポット乱立時代の中で生き残る可能性が高いのではないかと思っています。ヨコサワ氏、ひろき氏がどこまでYouTubeを続けられるか、という部分の不安はありますが。

正直、ポーカースポットがクリーンな方向を目指すならば、転換期としては今しかないような気がします。それこそ、「マインドスポーツ」であろうとするならば。



少し長くなってしまいましたが今回は以上です。
マインドスポーツという言葉自体がその競技の普及のために作られた言葉でもあるため、正直なところ大々的にアピールできるものなのか、というのは微妙かなと感じています。
ポーカースタジアムも究極のマインドスポーツとは言っていますが、その一方で監修の木原氏は「ポーカーはスポーツではないし、頭脳スポーツでもない」という考えを明言しているので、やはり企業としてもどこかにギャンブル要素を薄めたいんだろうな、というのが見え隠れしている気はします。

今回はこれにて、ではでは。


<投げ銭のお礼>

HAND2にて、以下の方から投げ銭を頂きました。

桃色 様

誠にありがとうございます。
何かしら有意義に使えるよう努力します。



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