ポーカーは賭博から抜け出せない

どうも、ポーカースタジアムサ終に割と落ち込んでおります人です。

以前にポーカーはマインドスポーツなのかという記事を書きましたが、ちょうどいい話題が出てしまったので、もう少し厳しい話をしようかと思います。

先に宣言しておきますが、私の考えはタイトルの通りです。

また、かなり極端な表現を用いることもありますので予めご了承ください。

(2022.3.9 一部内容を修正しました。)

・ポーカーと麻雀の差

最近、国内のとある場所にて賭けを伴うポーカーが行われた、という話が出回りました。詳細は割愛しますが、この件に対する反応にこういったものがありました。

何で麻雀やパチンコはよくて、ポーカーはダメなんですかねぇ。

執筆時点で日本国内において認められたギャンブルは、競馬や競艇などのいわゆる「公営ギャンブル」と言われるものか、年末ジャンボやスクラッチ、あるいはtotoのような「(スポーツ)宝くじ」のどちらかです。当然ですが、麻雀やポーカーは認められていません。

パチンコについては、
>出玉と景品との交換は認めているが、出玉と現金の交換は認めていない
>交換できる景品の中に、たまたま近くにある店で買取をしてくれるものがある
というグレーなものですが、今回は割愛します。

雀荘についてもグレーゾーンではありますが、

<刑法第185条>
賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

この最後の一文に該当する、という部分で見逃されているというのがあるようです。少額でわいのわいのやってる分には取り締まるコストの方が高くつくからこっそりとやっててくれ、といったところでしょうか。


ただ、今回の話は額の違いで賭博か賭博じゃないかなんて話をするつもりはないのです。

ポーカーの話をすると麻雀が比較対象にあがりますが、この2つの最も大きな違いは「競技性の有無」にあると思います。

この場合の「競技性」とは、以下のポイントを抑えているかと考えています。

①プロと一般の境界性
②情報の完全性

マインドスポーツの記事でも書いた話ですが、とりあえず上から話を進めます。

①プロと一般の境界性
「どんな人でも分け隔てなく共通のルールで戦える!」と言えば聞こえはいいですが、実態は上級者が初心者~初級者をカモとしてしか捉えていないだけです。特にポーカーは「搾取したスタックを他からの搾取に転用できる」という点において強者が得をする構造になっています。
雑に言うなら、100人が10万ペリカを持ってポーカーをしていたら、強者が200万ペリカ儲けた裏では複数の弱者が合計200万ペリカを失っているのです。これはトーナメントでも結局は同じです。

そもそも、界隈でも「ポーカープロ」の定義は曖昧です。「ポーカーが強い人」「ポーカーだけで生活している人」「ポーカーのプロモーションに関わっている人」等ありますが、結局どんな人であっても、自身より弱者から搾取しないことには成立しないのです。

実力に応じた相手と戦うことが出来る環境が公式に整備されない限り、この構造は改善しません。あらゆるスポーツにプロリーグがあるのも、同じ条件下で強者を戦わせることをショービジネスとしたものであり、その環境における公平性が保たれているのです。

②結果の完全性
ポーカーが他のゲームと本質的に違うのは、「実態と結果が必ずしも一致しない」部分です。

麻雀であれば、アガった人が点数を得られますし、誰もあがらなければテンパイした人が点数を得られます。少なくとも、点数移動の段階で負けているプレイヤーは点数を獲得する術はありません。

一方でポーカーは、自分の手札がどれほど弱くても、嘘でも何でもベットしていくことで相手にフォールドと宣言させる=ゲームから降ろすことさえできれば勝ち扱いです。

ポーカーをやっている人からすれば、「ブラフ」というものはゲームの魅力であると思いますが、一般的にこの要素だけを取り出すと、「嘘をついて結果を書き換え、本来相手が得るはずの利益を奪っている」としかならないのです。響きだけなら詐欺と同じになってしまうのです。そういったものを「競技」として認識するのは難しいことだと思います。


結局、ポーカーにアングラなイメージを持つ人が多いのは、「オーバーグラウンド=競技なゲーム」の舞台がないことによるものと思われます。しかし、ポーカーで多くの賞金を得られる人が、わざわざオーバーグラウンドでポーカーをするかと言えば、コストパフォーマンス的にもありえないでしょう。ギャンブルが軸で始まってしまった種目を公的に押し上げるのはここが難しいのです。

・厄介なインフルエンサーの存在

麻雀は競技性を目的とした競技連盟が古くから存在し、近年ではプロスポーツとしてMリーグが発足されました。また、「麻雀格闘倶楽部」や「MJ」のようなアミューズメント環境、「天鳳」のようなネット麻雀によって競技ベースのカジュアルプレイも広まっていたわけです。

そのうえで、例えばプロ雀士が雀荘のゲストとして呼ばれることはあれど、「10万賭けて勝負しまーす!」なんて表向きに発信することはありませんし、ありえません。そもそも賭博罪にかかるギリギリのところでやっているというのが前提であり、競技麻雀のプロである以上はそういったグレーな領域とは一線を引くべきであることをわかっているからです。

しかし、日本ではポーカーにおいてスポンサーが付くような「プロ」というものがほとんど存在しません。「プロ選手契約」という言葉がたまにありますが、結局は海外トーナメントの資金援助であるため、はっきり言って一時的な関係でしかないと思います。

その一方で、ポーカーに精通しているインフルエンサーが一定数存在します。彼らはグレーであるオンラインポーカーの成績を当然のように公開しますし、「海外のカジノでいくら稼いだ」のような情報も流しています。それは、インフルエンサー達を縛るスポンサー等が存在しないからであり、当人たちは界隈全体の印象よりも、自分が情報を発信することが優先になっているのです。このような状態で、

「ポーカーのゲーム性が好きで、お金を賭けたギャンブルがしたい訳じゃない!」

のような一個人の意見など、見向きもされないのです。

たまに「健全なポーカー広めます!」なんて言うインフルエンサーもいますが、そもそも日本国内の大型トーナメントのほとんどは海外トーナメント援助の名目の元に賞金が出るうえ、各店舗サテライトも含めて参加料がかかりますから、結果的にそういうものにエントリーしている時点で偽善的な主張にしかなっていないのです。(賞金出ても海外トーナメントに一切絡んでないと言うなら健全でしょうけども)

結局、インフルエンサーという存在が、「ポーカー=賭博」の印象をより強めているというのが実情です。一方で、ポーカーが面白いものであると広めているのもインフルエンサーですから、ポーカーが面白いゲームであると認知されればされるほど、ポーカーは賭博であると世間に断定されていくのです。

特に直近で起きた賭博問題は、ポーカーをもともと生業としているインフルエンサーだけでなく、別ジャンルのインフルエンサーが密に関わっていました。結果、謝罪動画をアップしているわけですが、「ポーカー(賭博)をすることは謝罪をしないといけないほど悪いことなのだ」と見えてしまっているでしょう。


・ポーカー団体による斡旋

もう1つ、避けては通れない話をしましょう。

結局、「ポーカーはクリーンに遊んでも楽しめるものである」というイメージにするためには、一般人が触れられる範囲に金銭価値を生む景品が発生しない環境が必要なわけです。

そこで問題になるのが、ポーカー団体の存在です。本来はこういった団体がクリーンなイメージを作っていくべきですし、それは団体サイドも認識していると思います。

マインドスポーツとしてのポーカーを健全に普及します

当連盟は業界関係者と一致団結してコンプライアンスを重視し、健全なポーカー業界の構築を目指します。 プレイヤーには社会的地位の向上、ディーラーにはスキルの向上と就業先の紹介などに取り組んで参ります。 そしてポーカーがクリーンなイメージのマインドスポーツだという認識を浸透させる事に尽力致します。

日本ポーカー連盟公式ホームページより

しかし、こういった大きな団体になればなるほど、海外トーナメント補助の名目でプライズ付きトーナメントを開催しています。団体によっては、オンラインポーカーへの登録を促していたり、オンラインポーカーでキャッシュが発生する有料トーナメントを開催していたりするわけです。

また、昨今ではテキサスホールデムを題材としたゲームが色々とリリースされました。こういったゲームがクリーンなイメージに繋がるのが理想でしたが、ゲームセンターに置かれたポーカースタジアムはJOPT、無料アプリのポーカーチェイスは戦国ポーカーツアー、無料アプリのエムホールデムは系列実店舗で各種大型トーナメントと、結局はギャンブル環境への斡旋に触れてしまっているのです。

マインドスポーツの記事でも触れた通りですが、結局は「お金 ≒ ギャンブル」が付きまとってしまうのが現状のポーカーであり、そのイメージから一般企業はスポンサー化しにくく、スポンサーが無い環境では運営企業や団体の利益が優先され、そうなると集客のためにプライズを用意し、集まったプレイヤーはプライズありきになってしまい、より強くポーカー=プライズ(お金)のイメージがついてしまう、というサイクルから抜け出すことができないのです。そして、既存プレイヤー達も現状のグレー環境であった方が都合がいいので何も言わない、というのが不文律と化しています。

ポーカーを日頃プレイしている人からすると違和感が無くなっているかもしれませんが、「海外でトーナメントをやるからセーフ」「海外サーバーのオンラインポーカーだから問題ない」はあくまで「日本における法律では対処できない」という話です。一個人が海外のカジノや海外サーバーでプレイするとしても、結局日本人の認識は日本の法律ベースで構築されているため、いくら海外環境へ斡旋したとしても「ポーカーはギャンブルである」「ギャンブルは悪である」という思考は変わらないのです。

こんな状況では、「賭博のためのゲームじゃない!」と誰が言っても戯言にしかなりません。日本におけるポーカーは、一般の視点では積極的にギャンブルであることを推されているとしか見えないのです。

・マイナスイメージからの今後

人によっては、「別にアングライメージだろうがなんだろうが気にしない」という人もいるかと思います。これはどちらかというと昨今のポーカーブーム(と言えるかは難しいとこですが)到来前からポーカーをしていた人が多いかと思います。もともとコソコソやってたものが表舞台に出てきてしまっただけで、やってることは変わらないというのが主な部分かと思います。

ただ、今後ポーカーに対する監視はオンラインを含めて厳しくなるものと考えられます。結局のところ、国内にカジノを作るとなった場合に、それ以外のグレーな要素を排除していかなければならないからです。

特に、最近トーナメントを開く上でサテライト形式は国内において本来認められないことが明文化されたケースがありました。日本のアミューズメントポーカーのほとんどはサテライト形式であるため、取締りが厳しくなった際に総倒れしかねないのてす。

オンラインポーカーや海外補助が出るトーナメントのサテライトなど、お金を使ってポーカーをする行為そのものの質は別に変わらない(良いとは言っていない)のですが、それが公然の目に留まるようになれば、おのずと監視は厳しくなるでしょう。そういった点からも、イメージを気にしない人であっても、「大人しくしている」必要はあるのです。

これを前提として、最近でた話題に関しては界隈内外で有名な名前が揃ってしまったため、ここ最近の賭博問題の中でもずば抜けて厄介だと思います。ある程度身内からの庇いが入る某政治家の麻雀なんかよりもずっと。



ということで、今回の話は以上です。

ぶっちゃけネタの旬は過ぎてると思いますが、国内で卓を囲んでお金のやり取りをしてはいけない、というのは大前提です。ポーカースポットやアミューズメントカジノはテーブルに料金を置こうとすると死ぬほど怒られます。ようはそう見える現場自体がアウトであるからです。

別に賭博問題なんてものは探せばいくらでも出てくるとは思いますが、その度に結局界隈イメージの自浄は当分無理なんだろうと思います。


今回はこのあたりで、ではでは。


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