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私の10代

  
私の10代の記憶は曖昧で、古ぼけた8ミリフィルム映像みたいだ。
とても人様にお披露目出来るものではないが、その断片を拾ってみよう。

白い小袖に赤い袴、頭飾りをつけて千早(ちはや)を纏う。10歳。動く度にシャンシャンと奏でる金色の頭飾り。手には榊。笛や篳篥(ひちりき)、笙(しょう)太鼓の演奏に合わせて御神楽を舞う。秋祭りの日に生まれた私は、この日、実家のすぐそばにある神社で秋祭りの巫女を務めたのだ。毎年誕生日には神社の周りに並ぶ屋台から香ばしい香りを嗅ぎ、多くの人々が集う賑わう中、沸き立つような喜びを神様と共有した。祭りは神事。食空間を整える今の仕事も、この遠い記憶に繋がるのかもしれない。

無機質な病室のベッド。消毒液の匂い。点滴を何時間も打ちながら聞く、壁時計のカチカチという音。
今にして思えば、数年前体験した坐禅の修行よりも何倍も辛かったあの時間。10代の前半はすぐに体調を壊し、よく学校を休んだ。肝心な時にいつも自家中毒という病気が発症するのだ。そんな日は給食で出されたパンとマーガリンと牛乳を友人が家まで届けてくれるが、とてもじゃないが食べられない。そのせいか、パンとマーガリンの匂いは今でも嫌いだ。
でも学校だと食べられた。みんなと一緒だから美味しく感じた。健康で、食卓を囲めることは、本当に幸せなんだとしみじみ思った、10代の苦しい思い出。

段ボール箱にぎっしりと詰まった大小様々なカラフルなパッケージ。ハワイに住む父方の祖母の親戚が毎年クリスマスに送ってくれるキャンディーやチョコレート、ジェリービーンズ、クッキーなどのお菓子。
「わあ!」という歓声。箱を開ける時のワクワク感!味だけ比較すれば日本のお菓子の方が美味しいかもしれないが、どちらに惹かれるかというと断然アメリカ。人間の五感による知覚の割合は視覚83%に対して味覚はたった1%だ。食べ物もビジュアルは最も大切な要素だと教えてくれた、10代の楽しい思い出。

そんな親戚の影響もあってか、外国への憧れが募り、16歳の時にオーストラリアに1年留学。その時初めて、良いことも悪いことも全部ひっくるめて客観的に「日本」を知ることになる。その結果、一方的な外国崇拝は哀しいくらいになくって、逆に日本の伝統文化の素晴らしさを改めて感じ、深く学びたいと強く思い始めた。180度、世界観が変わった10代の思い出。

留学体験のみならず、趣味人の父と母の元で育った影響は大きい。
週末になるとなんとも言えない強烈な臭いがキッチンに漂う。父の趣味は、バイクや茶道、長唄など長年に渡り幅広いのだが、私が10代の頃は水墨画。だから画材の膠を溶かす、あの独特な臭いが記憶について回るのだ。
父に負けず劣らず母も趣味人でその腕前はプロ級だ。
「誰かに教えてみたら?プロになれば?」
「いやよ。趣味だから楽しいのよー」
楽しいことは長く続く。豊かな人生を歩むということは、より多くの楽しみを見つけることだ。10代で両親から教わった最も大きなこと。

最後に私が18歳の時に出会った同い年の憧れの女流作家、鷺沢萌さん。最初に読んだのは「帰れぬ人々」。とても同い年の女性が書いたとは思えない、やりきれない悲しみや優しさを含んだ繊細な文体。一度で大好きになった。文章力をもっと身につけたいと思わせてくれた作家さんの1人でもある。写真で見ると雰囲気のある綺麗な方で、実際にお逢いしてみたかったが、35歳で早世され、叶わぬ夢となってしまった。
37年ぶりに読み返した「帰れぬ人びと」は、決して色褪せることなかった。いや、50代になった今、私の読解力も少しは深まったのか、以前よりもさらに、しっくりと腑に落ちた。

40年も以上も前の8ミリフィルム。その修復作業は思ったより大変だった。だが、ごちゃごちゃとした記憶の断片を辿ってみると、今の自分に何かしら繋がっている記憶がいくつもあって、人生を振り返る良い機会となった。機会があれば、20代、30代、40代にも挑戦してみたい。


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