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QBITとATLASに見る、次世代ゲーム論

最近思ったことは、Decentralandは意外とそこまで凄くないかもしれないことだ。

メタバースと暗号資産と聞いたら、真っ先に思い浮かぶのはSANDBOXかMANAだが、どうもMANAはあまり凄味がないように思えた。なぜかといえば、マップが異常に狭いのだ。これはある程度マインクラフトをやっていればわかることだが、少し先に進むとそれ以上は何もない高原になってしまっている。

マップの注釈を見ても、そこから先には何もないことがうかがえるのだ。これはまさかとは思ったが、どうやらそのまさからしい。すなわち、マップが異常なほどに狭い。

繰り返してしまったが、その点において成長の余地があるとも思えた。というか、そこまで様々なDAO化されたメタバースに足を踏み入れたことがないのだが、ある意味ではMANAは、それらを同時にやっているからすごいともいえるのかもしれない。今後ローンチ予定のATLASや、QBITなどの銘柄はGame系のDAOを展開させてくるような予感があるが、面白いのは舞倉のようなゲームやAPEXなどのFPSで実際にトークンを稼げる「トークンエコノミー」が来年体験できることだ。

ブロックチェーンの応用に注目が集まる中、メタバースと既存のゲームは暗号資産とブロックチェーンに強い相関があり、まさに「円満結婚」を果たしそうな現在だが、まるでそれは見守られたお見合い婚のように「予想通り」進みそうでもある。

これを考えると「電気自動車」や「エッジコンピューティング」が、これらのムーブメントに溶け込んでいくことが容易に想像できる。今後の20年は、そのような想像を文字通り創造していく時代になるかもしれない。すると、ゲームというのはどうなっていくだろうか?もはや、アーケードゲームのようにゲームセンターに足を運ぶ必要はないだろうと思えるし、家でこもってパソコンとにらめっこする必要もなくなりそうだ。もはや、ARゴーグルや電気自動車に乗って、GTAVやPUBGのようにリアルタイムで、しかもリアルフィールドで「遊べる」ことができるかもしれないと考えるのは容易である・

しかし、そこでもう一度考えてほしい。仮にそういった、ありとあらゆるフィールドがデジタルツイン化してゲームファイ化した状態になったとき、人々は何を求めるだろうか?

個人的には、それはより感情的な熱狂を求めるだろう。誰かを推して納得するかすれた熱中よりも、より分裂したものをボンディングする感情的なパワーが求められるようにも思える。それは今後の時代を生きてい見なければわからないが、テクノロジーが自走し始めた技術的特異点通過後の世界は、ある程度つまらないものになることは必至かもしれない。

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