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アンドロイド母さん

一歳になる男女の双子を育てている。楽しそうに遊ぶ二人の横でぐったりと寝転びながら、考えることがある。

私が高性能アンドロイドだったら良かったのに。

アンドロイドの私は、シリコンでできた乳房から調乳済みで適温のミルクをいつでも出すことができる。
筋力や体力という概念は無い。充電は必要だが、スマートフォンのようにケーブルを繋げば充電中も稼働できる。いくらでも抱っこできるし、腕を4本にしておけば2人同時に抱っこすることもできる。
夜中に起こされてもイライラしない。ほとんど眠れずに朝が来ても、なんの問題もなくまた1日お世話ができる。というかまず眠る必要がない。
身体も心も不調になることはない。メンテナンスは必要だが、生身の私ほど長い時間を要さない。
子供たちのそばにいるのは、いつでも元気で甲斐甲斐しい私。

そうだったら良いのに。

そんなことを考えながら娘を見た。目が合うと、娘は嬉しそうに笑った。私が笑い返すと、テレビを見ていた息子がいつの間にかこちらを振り返って笑っていた。
ただそれだけのことで泣きそうになった。

アンドロイドの私よ、あなたにこの感情は理解できる?
アンドロイドということは生みの親ではないだろう。それでも愛情を注げば、子供たちは同じように愛してくれるだろう。きっと不幸なんてことはない。
でも、くたくたに頑張って子供達の笑顔を見たときのこの震える心はあなたにもあるのだろうか?あるなら文句無し、やっぱり私はアンドロイドであるべきだった。

でも恐らくこの心は、くたくたな身体とセットなのだ。

「厄介だねえ、人間は」

娘も息子も、もうこちらを見ていなかった。アンドロイドじゃない私は立ち上がる。夜の離乳食を作らなければならないからだ。ああ、やっぱり、お腹の扉を開けたら新鮮な材料で作ったホカホカの離乳食が出てくる身体だったら良かったのに。

なんの変哲もない生身の身体をのろのろと動かしながら、せめて今日はよく寝てくれますように、と祈った。



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