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落ち葉とロウソク

文章に書いた出来事は、記憶の中から消えていってしまうことが多い。
一方で、まだ〈思い出〉になっていない出来事は、上手に文章にできない。
つまり出来事は、最初のぐちゃぐちゃした状態から少しずつ少しずつ形を成していって、いつしか近くて遠い綺麗な〈思い出〉になる。そしてそうなってから、その出来事を文章にすると、自然としっくりくる言葉を選ぶことができて、出来事は記憶の中から消えていくのだと思う。

火と煙に似ている。
ロウを綺麗に成型して作られたロウソクの火に息を吹きかけると、火はふっと消えて、一瞬煙が立ち上り、それもまたすぐに消えていく。でも、ごちゃごちゃと盛られた落ち葉の下で煙を燻らせている火に息を吹き込むと、炎は大きくなってしまう。

(少し似ていることを、カリノワカさんがこの記事この記事で書かれている。カリノさんの文章はどれも素敵で大好きだ。)

誰しもがそうであるように、私にも記憶の中から消えていってほしい出来事がある。いや、本当は消えていってほしくないのかもしれない。だって、他でもない私自身が、いつまでもそれを〈思い出〉にできないでいるから。

「もしかして、無理矢理文章にすれば、記憶の中から消えていってくれるのだろうか?」
そう思って、今まで何度も書いてみた。でも、書き始めると全然まとまらない。過去の出来事について書いているはずなのに、現在の私がしゃしゃり出てきて、喜怒哀楽が入り混じった色んな言葉を付け足していく。書けば書くほど、何を書きたかったのか分からなくなる。こうなってしまうと、「ああ、やっぱり私のなかでまだ〈思い出〉にできていないんだな。」と思い知らされて、結局書くのをやめてしまう。

この出来事は、いつかちゃんと〈思い出〉にできるのだろうか。
そのためには、時間をかけるしか方法はないのだろうか。
それとも、〈思い出〉にしなくてもいいのだろうか。
このままずっと、この出来事に囚われていていいのだろうか。

落ち葉がロウソクになる日は、来るのだろうか。

先が見えず、途方に暮れている。


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