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【へ】偏見を無くしたいのは、自分のため。

タイトル 50音縛り。
かるたみたいに、【あ】【い】【う】……で【ん】まで書くという遊びをしています。

第29回【へ】は、

偏見を無くしたいのは、自分のため。

突然ですが僕、離婚した家庭の子供に「かわいそう」って言うの、偏見だと思うのです。

全然かわいそうじゃない子供はいます。
また、離婚してないせいでかわいそうな目にあってる子供だっています。

真逆のことが言えてしまうものは、偏見でしょう。

小さい頃、思いました。
「もし両親が離婚したら、僕はかわいそうということになるのか。なんだかイヤだなぁ」。

さて。

少し前のベストセラーに、『人は見た目が9割』という本がありました。

まぁ、偏見ですよね。

仮にタイトルが事実だとしても、1割は見た目じゃ判断できない要素があるわけです。
1割ですよ?10分の1。
無視していいんでしょうか。

僕は「100%のものじゃないと偏見だ」と思っています。


なぜ、偏見を無くしたいのか。

相手のためではないです。そんないい子ちゃんではない。自分のためです。

自由でいたいからです。

「親が離婚イコールかわいそう」とするよりも、「いろんな人生がある。一概には言えない」としておいた方が、自由です。

「人は見た目が9割」とするよりも、「見た目だけでは判断できない」としておいた方が、自由です。

他人に向けた偏見は、自分にも返ってきます。

ただでさえしんどい人生を不自由にして、さらに生きづらくするなんて、ドMのやることです。

偏見を撒き散らしている人は、以下の3パターンのいずれかではないでしょうか。

①ドM
②バカ
③ブーメランが刺さってるのに気付かない鈍感

これも偏見かな?(笑)

なるべく自由であること。
オススメします。

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