訃報に接し

人は誰も哀れな星 輝いては流れてゆく
燃え尽きると知りながらも
誰かに気付いて欲しかった
ポルノグラフィティ『ジョバイロ』

訃報に接して考えることは、
「こうして人の死を悼んでいる僕も、やがては死ぬんだな」
ということ。

だからどう、ということではないんです。
うまく言えませんけど、妙な気持ちになるんですよ。これ、なんなのでしょうね。

突然ですけど、
150年後のカレンダーについて、考えたことありますか?
2172年のカレンダー。作ろうと思えばすぐ作れますよね。

当たり前ですけど、
今日生きている人は、今日生まれたばかりの人を含めて、全員いません。

あの人も、この人もその人も。みんなまるっと入れ替わっています。誰かと誰かに似たような、全然違う誰かに変わっています。

だからどう、ではないんです。
このことを考えていると、もう少しで何かがわかりそうな、人生のことが何か掴めそうな気がするところで、いつも先に進めなくなってしまいます。

悲しいニュースが続きますね。というか、本当は毎日、至る所で悲しい別れがあるのでしょうね。

もうしばらく、考えてみます。

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