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「普通」について、スタッフで話し合ってみた

デジKAMAには世代も経歴もさまざまなスタッフがいます。業務の進捗や品質を管理し、ワーカーとのコミュニケーションに一喜一憂し、考えたことを率直に話し合える、フラットな職場です。

たまにはプロジェクトやワーカー支援に直接関わらない、価値観に関する会話の機会もあります。今回、普通について話し合ってみました。

「普通」ってどんなイメージ?

ぺんぎん:自分基準の物差しのようなものですかね。

ぞう:はい。他人は関係なく自分の物差しで当然、自然と思うものですね。たとえば、私は毎朝5時に起床して筋トレを1時間しています。週末には15kmジョギングをします。などなど、これらは自分にとって普通のことなんですが、大体そのようには取られませんね。

ねこ:私もぺんぎんさんやぞうさんと同じ意見です。自分の価値観や経験の範囲内のことを指すかなと。

ぺんぎん:ぞうさんみたいな運動習慣を続けるのって、なかなかできることじゃありませんよ。さすがです。

いのしし:3種類考えてきましたよ。1つ目が、社会的規範。これまでのお三方とは向いている方が逆みたいです。2つ目が、「ノーマル」対「アブノーマル」、これだとノーマルのほうがいいみたいに聞こえますね。最後3つ目が、「イージー」「ノーマル」「ハード」。ゲーセンのレベル選びで出て来るやつ。私はノーマルでもクリアできない。

こあら:普通は、憧れです。自分が世間に比べて持っていないもので、普通になりたいと思ってきた人生でした。私もいのししさんと一緒で、「普通」は自分の中でなく社会のほうにあると感じているようです。

かに:両義的ですね。普遍的でありマジョリティを表している場合もあるが、割と主観的な場合も多いと。「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」という言葉を残したのはアインシュタインです。

一巡したので自由に語ろう

普通と言われて嬉しいか

ねこ:「普通」って、若干マイナスなイメージがありませんか。コロナの時期から…いや、自分のライフステージの変化か?はたまた年齢を重ねたからか?人と会話するときに使わないよう気をつけるようになった言葉です。

こあら:そうですね。私はさっき「憧れ」って言いましたけど、ポジティブな要素ばかりではないとも思っています。ねこさんが年齢を重ねるごとにあまり使いたくなくなったということは、人生経験を積んで、「自分の普通は他人の普通ではない」「価値観は千差万別だ」とわかってきたからではないでしょうか。主観的な印象である「普通」を押し付けると、相手を傷つけてしまうかもしれないので。

かに:言葉に罪はないけれども、使い方に罪があるのかな?たとえば「普通の人」はポジティブでもネガティブでもない。ポジティブに使おうとした場合、「普通にこなせてるっしょ」とか言いますね。これは、相手に期待されたレベルを満たしているときに出てくるのでは。

普通と一般って同じ意味?

ぺんぎん:「普通」という言葉は誰が言うときも自分を主体にして、何かと比べる時に使っている気がするんです。言い換えるとしたら、何がいいですかね。「一般的に」っていうのはありですか?

ねこ:あ~…相手を思いやるように、より客観性を表そうとして活用している感じでしょうかね。

こあら:なるほど。エスカレーターの乗り方で、大阪だったら右側に立つけど東京だったら左側に立つの、これ「一般的」って言い換えられますね。多くの人が基準にしていることであって、いい悪いではない

かに:人を褒めるときに「一般的にいいね」とは言えないか、不自然で。「普通にいいね」とは言えても。

どこに軸足を置くか

いのしし:「普通」は便利な反面、雑に使いやすい言葉でもあるので、普段から具体的に表現することを心がけるといいのかなと思います。「普通にできた」って言うときは「難なく」だし、アンケートなどで「ふつう」を選ぶときは回答の二極選択肢の「いずれにも偏らない」。さらには、「今日の仕事どうだった?」への「普通」は「可もなく不可もなく、大体いつも通りだけどとりあえず疲れたからろくに話したくない」かもしれません。


いかがでしたか。デジKAMAの内情を知る人は、スタッフの顔や声が浮かんできたでしょうか。

こうしてお題を元に好きなことを言い合って、全員もやもやと考えながら帰途につきます。後日「あのとき言ってた状況だ」と思い出したりもします。私たちスタッフがお互いについての理解を深め、より良く協業できるようになるために必要な対話です。

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