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快楽の小盛り 01:定食屋

寝屋川という街に住んでいる。大阪のはしっこのベッドタウンで、人が住む以外用のない土地である。無職をやっていると無闇に時間があって退屈なので散歩をやるが、歩いていても誰かの生活が迫ってくるような道が通っている。二十余年住んでいて遊ぶ用もなかったのでこうして散歩をやる以前は見たこともない景色ばかりで楽しい。

足が向いた先に店があれば冷やかしに這入ることもするが大抵は来る人に合わせた趣味に染まっていて、つまりは老人の用を足す店である。このうち食い物を出す店はおれにも客になる栄誉が与えられるのでちょっと座ってみようかという気になるが、今日めしを食った店が良かった。いまおれが欲しがる小盛りの快楽がある店であった。文化住宅があたらしく建て替わって若い家族が住み始めたあたりの、ここ10年で敷き変わった道路から横に伸びる商店街の中にある定食屋が目を引いた。アーケードのせいで、秋晴れというには強すぎる日差しを遮って朝でも暮れでも暗い一角にある。

まず安い。店構えから想像する値段から更に100円を引いて安い。昼少し前の減りだした腹にまかせて頼んだトンカツ定食が510円だ。待つ間に飲む氷水がうまい。2ℓのペットボトルを丸のまま冷凍庫に放り込んで溶け出した冷たい水が喉にありがたい。店の空気はいろいろなものを炒めたあぶらのにおいが飽和して服に染みつきそうに濃い。灰皿があったので煙草を吸う。炒め油の匂いと煙草の煙を纏っていると人の営みは火だという心持ちがする。

少し待って出てきたトンカツが良かった。ハムカツと見紛うほどに薄い。一口ほどに切られた断面を見るに切ってあるのを揚げて、およそ一人前になるように寄せ集めて皿の上に出したと見える。店のおねえさんがおれの横でケチャップとウスターソースを混ぜた。まさかと思ったがおれの前に来た。古式ゆかしいとんかつソースである。缶に入っていたのをなすりつけたような黄色い辛子をつけて齧ると目を見張るほどにサクリと音がする間隙を縫って豚の香が鼻腔に絡まってきてうまい。とんかつを食べたいときに求めるものの、それだけが突出して訴えかけてくるようなうまさだ。小皿に入ったとんかつソースも、ボトルに入って売られているものと遜色ない。塩っぱくなった口に白いめしを書き込むと「ああ、とんかつを食っている」という確かな心地がする。それもとんかつに気兼ねをしない、くつろいだ実感である。

とんかつの下に隠れた、イギリス人が缶詰でやるようなかたちでふやけたスパゲッティも箸休めとして良い。明らかに多すぎるマヨネーズはキャベツの千切りに合わせて、余ればとんかつにつければよい。脳の良くないところにはたらきかけるようなジャンクなうまさである。うんうん唸りながら食っていると客は真後ろで麺をすする中年男を残して消えていた。

だしの味がする味噌汁を啜りながら煙草の残りを勘定するとあと5分は感慨にふけることができるとわかった。ちょうど満たされた腹で寝屋川を散歩して、日が暮れたらまた来ようとさえ思った。快楽の小盛りは1日のうちにおかわりをすることさえ容易である。

※ほんとうに夜も来た

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