見出し画像

日本の画家でイラストレーターの北斎が死去。

ArtDailyは2022年05月10日に、日本の江戸時代のアーティストで、浮世絵画家。版画家、漫画家であった葛飾北斎(Hokusai Ktsusika/1760頃 - 1849)が、1849年05月10日(嘉永02年04月18日)に江戸の浅草聖天町にある浅草寺の子院遍照院境内の仮宅で卒寿(90歳)で死去したと報告した。

死の様子は、飯島虚心『葛飾北斎伝』蓬枢閣、1893年間に、「大息し天我をして十年の命を長ふせしめバといひ、暫くして更に謂て曰く、天我をして五年の命を保たしめバ、真正の画工となるを得べしと、言吃りて死す」と残っている。

つまり、後10年、後5年生きていたらと、未練たっぷり言いながら死んでいった。

辞世の句は「人魂で 行く気散じや 夏野原」であった。

墓所は台東区元浅草の誓教寺。
法名は南牕院奇誉北斎居士。

北斎の家族は、父親が鏡師中島伊勢(Ise Nakajima/? - ?)で、母親は吉良上野介の家臣小林平八郎の孫娘中島NN(NN Nakajima/? - ?)とだけわかっている。
北斎は、2度結婚しており、それぞれの妻との間に一男二女がいた。
最初の妻(? - ?)との子、
長女:葛飾お美与(Miyo Katsushika/? - ?)
長男:葛飾富之助(Tominosuke Katsushika/? - ?)
次女:葛飾お辰(Tatsu Katsushika/またはお鉄/Otetsu Katsushika/? - ?)

後妻の葛飾こと(Koto Katsushika/? - ?)との子、
三女:お栄(葛飾応為/Ōi Katsushika/? - ?)
お栄の別れた夫南沢等明(Tōmei Minamisawa/? - ?)
次男:葛飾多吉朗(Takichiro Katsushika/葛飾崎十郎/元服後/Sakijuro Katsushika/加瀬家の養子加瀬崎十郎/Sakijuro Kase/? - ?)
四女:葛飾お猶(Onao Katsushika/? - ?)
加瀬崎十郎も娘/孫娘:白井多知女(Tachime Shirai/? - ?)
曾孫:白井孝義(Takayoshi Shirai/? - ?)

https://time-az.com/main/detail/64289

生まれたのは諸説あるが、1760年10月31日(宝暦10年9月23日)に下総国葛飾郡本所割下水というのが通説になっている。

北斎は、国際的に知られた肖像画家、風景画かとして有名であり、富嶽36景。北斎漫画などがとくに知られ、一般に、葛飾北斎というが、かなり気分屋で、生涯に何度も改号し、「春朗」「群馬亭」「北斎」「宗理」「可侯」「辰斎」「辰政(ときまさ)」「百琳」「雷斗」「戴斗」「不染居」「錦袋舎」「為一」「画狂人」「九々蜃」「雷辰」「画狂老人」「天狗堂熱鉄」「鏡裏庵梅年」「月痴老人」「卍」「是和斎」「三浦屋八右衛門」「百姓八右衛門」「土持仁三郎」「魚仏」「穿山甲」などと、それらの組み合わせまである。

一般に知られている「北斎」は、「北斎辰政」の略称で、北極星と北斗七星を神格化した日蓮宗系の北辰妙見菩薩信仰にちなんで付けられたが、「北斎改め為一」「北斎改め戴斗」などと、元は「北斎」だったとも言える表現が残っているから、一般化したようである。

しかし、「北斎」の号まで弟子に譲ったこともあった。

また、「北斎」は、転居も多く、一日に3回引っ越したこともあるといわれ、「居所不定」と記されたこともあった。
北斎の転居回数は生涯で93回に及んだと言う記事もあるが、実際はわからない。

当時江戸の庶民は引越しを好み、頻繁に引越しをしていたらしいが、北斎の場合は生活が絵を描くことのみで、あらゆる家事を放棄した挙句、散らかって汚くなったら掃除をせずに転居する、といった生活を送っていたと言われ、何を根拠に引っ越したと言うかもわからないた。

北斎は生涯に3万点を超える作品を発表した。

晩年に、「富士越龍図」を描き、これが絶筆となった。
絹本着色で、
署名「九十老人卍筆」 印章「百」
95.8×36.2cm

落款に出生の宝暦10年と共に嘉永二己酉年正月辰ノ日と記されている。

白い霊峰・富士の周囲を巡り、黒煙と共に昇天する龍を描き、この絵を描いた3ヵ月後に死去した。

また、シーボルト事件では摘発されそうになったが、川原慶賀(Kawahara Keiga/1786 - 1860)が身代わりとなり、長崎奉行所で取り調べられ、叱責されたが、北斎は難を逃れている。

今回公開された写真は、ドイツのベルリンにあるマーティン・グロピウス・バウ美術館(Martin Gropius Bau museum in Berlin)で2011年08月26日から10月31日まで開催された北斎回顧展のプレスプレビューの間に、1793年頃の『様々な職業の女性(Women in various walks of life)』の作品を鑑賞する女性達である 。

北斎の肖像画かどうかは、はっきりしないものもある。

北斎が90歳で死去した遍照院境内の緯度、経度。
35°43'07.4"N 139°48'03.0"E
または、
35.718717, 139.800831
〒111-0032 東京都台東区浅草6丁目37-12

墓所がある台東区元浅草の誓教寺の緯度、経度。
法名は南牕院奇誉北斎居士。
35°42'35.3"N 139°47'07.6"E
または、
35.709792, 139.785433

ただし、お寺も移動するし、住職も変わるので、本当のところは、わからない。

毎日、観光客がバスで訪れるドイツのフランクフルトにあるゲーテ・ハウスやザルツブルグのモーツアルトの家もいい加減であった。これらの家は、戦争で破壊され、床が抜け、ほぼ全壊した写真が残っている。

2020-01-22---偽造防止対策を向上し、73年ぶりリニューアルの浮世絵パスポート、2020年03月交付へ。
2017-05-25---大英博物館の展示は、木版画印刷物の裏にある技能のより深い理解を促進。
2016-12-30---北斎画「鶏竹図」を発見。
2016-11-22---墨田区に、北斎美術館がオープン!
2016-07-08---ドイツの美術館が北斎xマンガ展を開催。
2011-11-04---ヨーロッパの葛飾北斎!?
2011-09-02---ドイツの4カ所で開催されている日本のアート展。
2010-09-01---浮世絵研究家の鈴木重三が死去した。
2009-09-17---「アニメの殿堂」は建設中止。
1927-01-28---勅使河原宏が生まれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?