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フランスの写真家アンリ・カルティエ-ブレッソンが死去した。

ArtDailyは2020年08月03日に、フランスのヒューマン派の写真家であり、35mmのフィルムの初期ユーザーであるフランスの写真家アンリ・カルティエ-ブレッソン(Henri Cartier-Bresson/1908 - 2004)は、 2004年08月03日に95歳で南フランスのアルプドオートプロヴァンス地方のセレスト(Céleste, Alpes-de-Haute-Provence)にあった別荘で死去したと報告した。

一部では、2004年08月02日に死去したという情報もある。

彼はモンジャスティン(Montjustin)の近くにある地元の墓地に埋葬された。

現在では、パリ14区にカルティエ=ブレッソンの写真保護を目的とした美術館であるアンリ・カルティエ=ブレッソン財団(Fondation Henri Cartier-Bresson)がある。

https://time-az.com/main/detail/60848

アンリ・カルティエ-ブレッソンは、アンドレ・レオン・ルイ・カルティエ=ブレッソン(André Léon Louis Cartier-Bresson/1878 - 1954)とマルト・カルティエ=ブレッソン(Marthe Cartier-Bresson/1887 - 1958)の子として、1908年08月22日にフランスのイル・ド・フランス、セーヌ・エ・マルヌ県シャンテループ・アン・ブリー市(Chanteloup-en-Brie, Seine-et-Marne, Île-de-France, France)で生まれた。

彼の兄弟は、
弟のクロード・ルイ・ジョセフ・カルティエ=ブレッソン(Claude Louis Joseph Cartier-Bresson/1917 - 2022)
(Private)
妹のジャクリーヌ・サドゥール(カルティエ・ブレッソン)(Jacqueline Sadoul(Cartier-Bresson)/? - ?)
妹のニコル・ルセーヴル(Nicole Lesèvre/? - ?)

彼の妻は生存中のため、伏せている。
別れたパートナーのポリー・ジェイコブ(通称:カレス・クロスビー)(Polly Jacob (aka, Caresse Crosby)/1891 - 1970)
パートナーのラトナ・モヒニ・イケケス(Ratna Mohini Eicke/? - ?)がいた。

カルティエ=ブレッソンは、画家志望の青年であったが、本格的に写真に取り組み始めたのは1931年からで、そのきっかけはシュルレアリストのマン・レイの写真に刺激されてのことであった。

ただし、35mmカメラのライカIIIを使ったスナップ・ショットを基本とする姿勢は、イメージの交錯をフォトコラージュなどで表現したシュルレアリスムの写真とは異なったものだった。

彼は、35mmフォーマットの早い採用者で、率直な写真撮影のマスタで、ライカに50mmの標準レンズで撮影した。
時には望遠レンズを装着して使用した。

1947年にはロバート・キャパ(Robert Capa/1913 - 1954)、デヴィッド・シーモア(David Seymour/1911 - 1956)、ジョージ・ロジャー(George Rodger/1908 - 1995)と共に国際写真家集団「マグナム・フォト(Magnum Photos)」を結成した。

カルティエ=ブレッソンは、現代のフォト・ジャーナリズムの父であるとも考えられている。

彼は、20世紀の大混乱のいくつかを記録した。スペイン内戦(Spanish civil war)、1944年のパリの解放(the liberation of Paris in 1944)、1968年のパリでの学生の反乱(the 1968 student rebellion in Paris)、中国の公民党の共産党への崩壊(the fall of the Kuomintang in China to the communists)、マハトマ ・ガンジーの暗殺(the assassination of Mahatma Gandhi)、ベルリンの壁(the Berlin Wall)、エジプトの砂漠(the deserts of Egypt)などを記録した。

ところが、本人は撮影されることを嫌い。1975年にオックスフォード大学で名誉学位を取得したとき、彼は写真を撮られるのを避けるために顔の前に紙をかざした(When he accepted an honorary degree from Oxford University in 1975, he held a paper in front of his face to avoid being photographed.)。2000年に行われ たチャーリーローズ(Charlie Rose)のインタビューで、カルティエブレッソンは必ずしも写真を撮ることを嫌っていたわけではないが、有名であるために写真を撮られるという概念に当惑した(In a Charlie Rose interview in 2000, Cartier-Bresson noted that it wasn't necessarily that he hated to be photographed, but it was that he was embarrassed by the notion of being photographed for being famous.)と述べている。

彼は、「ストリート・フォトグラファー(street photography/そこにあるがまま)」で、「ライフ・レポルタージュ(life reportage/現実の生活を切り取る)」スタイルを開発した。

ArtDailyで2018年08月03日公開された写真は、ちょうどインドのデリーにあったBirla Houseが1945年に壊されたばかりのときに、ガンジーのメッセージを命じた。
35 x 52.5 cm. ©Henri Cartier-Bresson/Magnum Photos.

ArtDailyで2019年08月03日と2017年08月03日に公開された写真は、1947年にニューヨークのマンハッタン。レコードのホールの近く。 © Henri Cartier-Bresson / Magnum Photos.

南フランスのプロヴァンス地方のセレスト(Céleste)の緯度、経度。
43°51'17.0"N 5°35'35.7"E
または、
43.854717, 5.593239

アンリ・カルティエ=ブレッソン財団(Fondation Henri Cartier-Bresson)の緯度、経度。
48°51'46.9"N 2°21'36.7"E
または、
48.863022, 2.360206

2018-03-10---1923年製のライカ、史上最高3億1500万円で落札。
2017-07-12---伝説的写真家集団「マグナム」が、赤字に苦しみ出資募る。
2015-03-22---ライカ,100周年。
2011-04-30---報道写真のパイオニア、モリスのコレクション・オークション。
1956-03-23---写真展「The Family of Man」で長崎原爆被害者の写真を覆い隠した。
1912-04-14---フランスの写真家ロバート・ドアノーが生まれた。
1908-08-22---フランスの写真家アンリ・カルティエ-ブレッソンが生まれた。

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