見出し画像

クリプトが暴落にもかかわらず、コインが人気。何故だ!?

ドイツのインフォグラフィクスを紹介しているハンブルク(Stadt Hamburg)にあるStatista GmbHのデータ・ジャーナリスト(data Journalist)のマティアス・ブラント(Mathias Brandt)の報告として、レネ・ボックシュ(René Bocksch)、フローリアン・ツァント(Florian Zandt)、マティアス・ヤンソン(Matthias Janson)の報告を交えて2022年07月28日に、2022年04月の初めごろからビットコインの価格が本当に暴落している。

他の多くの暗号通貨、例えばイーサリアム(Ethereum)やテザー(Tether)も暗号市場の乱高下に巻き込まれている。

https://time-az.com/main/detail/77397

しかし、当社のグローバル消費者市場特集「金融・投資」が示すように、暗号の暴落は、今のところドイツの投資家を本当に不安にさせていないようである。

それによると、投資をしている人の16%が暗号通貨を保有している。

今後2年間にコインに資金を投資したいと考える回答者は、全体の1,000人強のうち17%であった。

前回調査との比較では、ドイツの投資家は2020年よりもはるかに真剣に暗号通貨に取り組んでいることがわかる。

人気の高まりは、直近の利益を糧にしていると考えられる。

Chainalysis社の推計によると、2021年の暗号通貨の利益総額は約US$1630億にのぼるという。

彼らは皆、私の仲間である。

マルチメディアとインターネットが生み出したクリプトランドは、生活空間である。

私が、朝日新聞から「マルチメディア事典」を出版したのは1994年08月20日で、ソフトバンクからインターネット時代を解くキーワードとして「マルチメディア事典」を出版したのは1996年02月20日であった。

ただし、実際に作業を始めたのは、その2年以上前であった。

そして、データ共有技術を利用した百科事典構築コンセプト「The Free Encyclopedia」としてウォード・カニンガム(Ward Cunningham)が発案し、「WikiWikiWeb」というWebサイトで使っていたプログラムが原型となって開発されたオープンソース・ツール「Wiki」が開発され、その名前は、英語の「quickly」から出たハワイ語の「Wikiwiki」が語源で、「速い」「急ぐ」「形式張らない」といった意味がある。また、Wikiを活用したデータ共有による百科事典構築プロジェクト「Wikipedia」もすでに2001年01月15日から始まっている。

つまり、これら全ては、私の生活の一部なのです。

窮屈で、バカバカしくなると、どんどん逃げ出しています。

その根底は、私が在籍していたJohannes Gutenberg-Universität Mainzのヨハネス・グーテンベルグ(Johannes Gutenberg)にまで遡ります。

彼もマインツが戦禍になると、自由を求めて、一時難民としてシュトラスブルグ(Strassburg)に逃げ出し、ヨハネス・グーテンベルグは、借金まみれで、死ぬ時は、借金とりに全部持っていかれるので、弟子に活字の字母を持たせて逃しました。
その弟子は、その活字の字母で活字を鋳造し、バンベルグ(Bamberg)で印刷物を作りましたが、借金とりが字母を差し押さえようと追っ手をかけたところまではわかっています。

多くの人は、その弟子が当時の地獄であったアルプス越えをしたと言っているが証拠はない。

ただし、その字母ににた活字がベネチア(Venedig)で見つかり、さらにベネチアで出版されたベネチア年代記(Le Cronache Venete)の初版には、グーテンベルグ、シェーファー、フックスが世界で最初に印刷したという記事があり、その出版年は印刷された本でグーテンベルの名前が出た最初であった。
もっとも、ドイツではその年代を認めずケルン年代記(Kölner Chronik)が最初だと主張しています。

その中心になっていたのが、私の教授でした。

あの時代に、アルプスを超えるのは、現代でいえば、月に行くのに匹敵していた。

しかし、ローマ時代にドイツのババリアンがアルプスを超え、ローマの王族の妻や姫を襲ってたという記録やラブレターも残ったいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?