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テレビ・ゲームで世界を制覇した任天堂の創業家がホテルを作った。

ホテル「丸福樓」

Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)は2022年05月06日に、京都府鍵屋町にある 任天堂の旧本社社屋を資産として長年保有していた企業「山内」の山内克仁が代表を務める、旧本社社屋をホテル「丸福樓」として2022年04月01日に開業したことから、ファミリーオフィ ス「Yamauchi No.10 Family Office」の代表も務める創業家山内家の山内万丈に、構想 の際の課題や、未来の子どもたちへの思い、 祖父山内溥について、直接インタビューをした記事「任天堂創業家 山内万丈が語る、偉大な祖父と受け継がれる『挑戦の歴史』」を公開した。

執筆は、京都市在住のフリーランスライター兼編集者堀 香織であった。

https://time-az.com/main/detail/76814

京都では有名な話だが、もともと花札の製造・販売をして、日本全国に知られた「天狗堂」という会社があった。

現在も京都には、花札の製造・販売の「天狗堂」という会社が実在する。

この天狗堂には、大学時代の先輩がいた。

その会社を真似て作られたのが「任天堂」で、「天狗堂」の和紙を何枚も重ね合わせた本格的な花札より安い、ボール紙の花札を作って売っていた。

その会社をゲームやエンターテイメントの会社にしたのが、任天堂の“中興の祖”と呼ばれる山内溥であった。

山内溥は22歳の若さで任天堂を継ぎ、30年に及ぶ試行錯誤で、ゲームビジネスが花開き、現在のNINTENDOが出来上がったという。
また、ホテル「丸福樓」を作るにあたって、今回の任天堂のキャラクターを使わずに、「任天堂」を表現することで、任天堂の歴史を振り返ることにしたという。

創業家山内家は、任天堂の株配当だけで有り余る資金があり、現在では、投資がメインのようだ。

清水五条から七条までの高瀬川の護岸工事では、「2025年開催の大阪・関西万博に間に合わせましょう」と、多額の寄付をされたという。

高瀬川はもともと、京都の土建業者角倉素庵(1571 - 1632)の家族が、荷物の運搬用に作った運河であり、その巨額の利益を使って、西洋印刷技術を生かしたキリシタン版から、本阿弥光悦(1558 - 1637)が作った日本初の芸術村鷹峯で、本格的な日本版活字印刷「嵯峨本」を出版したことは有名である。

キリシタン版は、領主の一族でも、武士でもないコンスタチノ・ドラード(ポルトガル語で金細工師)が使節にに同行し、手先が器用な飾屋のコンスタチノが、8年かけてローマを往復して、帰国後は肥前の加津佐で修道士となり、ローマで修行した西洋印刷術を駆使して、「キリシタン版」の発行に尽力し、徳川幕府が慶長18年(1614年)のキリシタン禁止令でマカオに追放になった。
2年後に司祭になり、セミナリオの院長に任命された。1620年に病死し、サンパウロ教会に埋葬された。

「嵯峨本」を徳川家に贈呈し、その中で、最も有名な「伊勢物語」が、徳川家の図書館であった紅葉文庫に保存されていた本が、現在は国立公文書館の嵯峨本『伊勢物語一種イ版』(請求番号:特060-0017)として保存されているので、何度も公文書館に足を運び、全活字を分解し、整理した資料を個人的に私が作ったので、高瀬川と聞くと、小舟が京野菜などを運んでいるのかと思っていたが、残念ながら、そのような風景は無くなっていた。

1582-02-20---散文。日本の西洋印刷。

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