フランスの画家イブ・クラインが死去した。

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ArtDailyは2021年06月06日に、戦後のヨーロッパアートの重要な人物として考えられるフランスのアーティストで、単色の作品を制作するモノクロニズムを代表するフランスの画家であったイブ・クライン(Yves Klein/1928 - 1962)は、34歳の時に、グァルティエロ・ヤコペッティ(Gualtiero Jacopetti)監督による映画『MONDO CANE(邦題:世界残酷物語)』の試写会を見て憤った彼は、1962年06月06日、友人のアーマン(Arman)、クロード・パスカル(Claude Pascal)、マルシャル・レイズ(Martial Raysse)のポートレート「レリーフ(Relief)」を撮影している最中に、心臓麻痺に襲われ、34歳の若さで、パリで死去したと報告した。

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では、『MONDO CANE(邦題:世界残酷物語)』とは、どんな映画だったのか?

YouTubeで探したら、すぐに見つかった。

https://time-az.com/main/detail/64619

ニューヨークは、『MONDO CANE(邦題:世界残酷物語)』であるが、みんなそこで生きている。そして、死んでいる。

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その危険を感じたら、我慢はしない方がいいかも、またはみんなでZoomで鑑賞するのも良い。

イブ・クラインは1948年から、単色による絵画作品の制作に取り組み始めた。
オレンジや金、ピンク、青などの単色を用いて創られた絵画は、作品ごとに画面が平坦か凹凸があるか、明るさによるグラデーションがあるかそのようなグラデーションのない全くの斉一な一色かの違いはあるが、一作において一色のみを画面全体に塗るという方針では一貫していた。

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しかし、クラインのそのような方針はなかなか理解されず、1955年にはオレンジの単色絵画を展覧会に出品しようとして拒否されている。

それは、宇宙の神秘的なエネルギーに通じる最も非物質的で抽象的な色だとして、「青」を重用し、自ら理想的な顔料を開発した。

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1957年、黄金よりも高貴な青「IKB(International Klein Blue/インターナショナル・クライン・ブルー)」と呼ばれる深い青色の特許を取得し、ミラノで『イヴ・クライン-モノクロームの提案、ブルーの時代』のタイトルで行われた個展で、この顔料をキャンバス一面に塗布した青色の絵画の作品群を発表した。

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また、海綿で作ったレリーフや彫刻にIKBを染みこませ青色にした作品も発表している。

彼は1960年に芸術評論家ピエール・レスタニー(Pierre Restany/1930 - 2003)により設立されたフランスの芸術運動ヌーボー・レアリスム(Nouveau réalisme)の指導者であった。

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急進的な芸術家であるクラインは、グループ「ゼロ」(group Zero)のヨーロッパの芸術家たちのモデルとなった。1960年10月、パリのGalerie Rive Droite、ニューヨークのLeo Castelli、1961年にはロサンゼルスのDwan Galleryで展示を行った。

1961年01月、クレーフェルトのランゲ美術館(the Museum Haus Lange in Krefeld)で、組織的な初の回顧展が開催された。

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1961年03月と07月に、イヴ・クラインはフランスガス(Gaz de France)社のテストセンターで「火」の絵を制作した。

イヴ・クラインは、自分のイメージや私生活を作品の素材として使うことをためらわず、自分の神話の構築に参加している。

多くの写真家や映画監督とのコラボレーションがそれを証明している。

卓越した作品に加えて、彼は先見の明のある文章を残しており、この展覧会の来場者の指針となるでしょう。

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また、イブ・クラインはパフォーマンス・アートの開発(development of performance art)で、パイオニア(pioneer)であり、ポップアート(pop art)だけでなく、インスピレーションおよびミニマル・アート(minimal art)の前兆と考えられている。

今回公開された作品は、プライベート・コレクションで、1961年の作品である「Untitled Fire-Color Painting (FC 1)」

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2010 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris. Image courtesy Yves Klein Archives.

1928-04-28---フランスの画家イブ・クラインが生まれた。

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