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自炊歴ゼロの息子が母専属シェフになった結果…〈介護幸福論 #30〉

「介護幸福論」第30回。ひとり暮らし歴30年&自炊歴ゼロのおっさん息子が母の在宅介護を機に、毎日食事を用意することになった。母は意外にも?完成された宅配弁当よりも、息子の手料理を「おいしい」と言ってくれたのだ。かくして息子は母専属のシェフになったのだが…。

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■残りご飯を引き受けていた母の姿

 仏壇にお供えしてあるご飯。子供の頃は、ずっとこれが不思議だった。

 誰も食べる人がいない仏壇に、毎朝、炊きたてのご飯を小さな器によそって供える。そして前の日に供えた分は、もう冷たくなって、カピカピに乾いているのに、母が朝ご飯に食べる。

 昔は電子レンジどころか、保温機能つき炊飯ジャーなどという文明の利器もなかったから、残りご飯はいつも冷たかった。家族には炊きたての温かいご飯を出して、自分は冷えたご飯と、役目を終えたカピカピの仏壇ご飯を一緒に食べる。

 うちだけでなく、たぶん昭和の多くの家庭で、母親はそうやって残りご飯を食べる役割を引き受けてきた。

 父はときどき「おまえもあったかいご飯を食べればいい」と、母に諭すように話していたが、母は黙ったまま習慣を変えようとしなかった。ご飯を捨てるなんてもったいない、だったら私が食べるしかない、食べればいい。そんな感覚だったのだろうか。

 保温炊飯器や電子レンジの発明は、各家庭のおかあさんが冷たい残りご飯を食べなくても良くなったというだけで、毎朝の食卓に多大な貢献と温もりをもたらした。

 調べてみたら、日本初の保温炊飯器の発売は1972年(昭和47年)だという。電子レンジが一般家庭に普及したのはもっと後だ。

 レストランやラーメン屋で、料理が届いているのに、のそのそ、ちまちまとスマホで写真を撮り続ける愚か者にイライラしてしまうのは昭和世代の特徴だろうが、それは「あったかいうちに食べなさい」と言われて育った経験と、冷たい残りご飯を食べていた母親の姿がどこかに刻まれているからに違いない。

■自炊歴ゼロの息子が突如母専属シェフに

 そんな自分が誰かのご飯を毎日用意する日が来るなんて、ほんの数年前まで想像もしなかった。

 このオレが食事をつくる? ひとり暮らし歴30年で自炊したことのない、面倒くさがり屋のおっさんが?

 母を自宅で介護するにあたり、最大の心配事は食事面だった。

 最初は朝食だけ何とかするつもりだった。夕食は宅配弁当に任せよう。2社にお願いして1日おきに配達してもらえば、味の違いも出るし、そうやってお気入りの弁当を見つければいい。

 母は少食だから、お昼はおやつのようなスイーツやパンがあれば何とかなる。朝食だけは自分が用意しよう。

 ところが、いざ始めてみたら、夕食の宅配弁当は母の評判がよろしくなかった。
「あんまり、おいしくないね」

 ストレートな感想が返ってきて、日によってはおかずをたくさん残してしまう。いくつかの業者を試してみたが、高齢者向けの宅配弁当はみな味付けが薄く、また、やわらかさとコストが優先されているせいか、どうも物足りない。スーパーの弁当のほうが、まだおいしいものが多い。

 逆に母の評判が良かったのは、息子がつくる朝食のほうだった。

■「あんたのつくるほうがずっとおいしいて」

「おいしいねえ。弁当より、あんたのつくるほうがずっとおいしいて」

 まあ、その文言をそのまま受け取るほど素直な性格ではないが、実際にやってみると心配したほどの難事業ではなく、この程度のメニューで手を打ってもらえるなら何とかなるかも、という手応えはあった。

 ありがたかったのは、母が焼き魚を好きだったこと。

 高級割烹をめざす気がないのであれば、焼き魚ほど楽な料理はない。グリルで焼くだけだからだ。サケ、サバ、アジ、赤魚、この4種類を中心に、ときどき金目鯛、メロ、のどぐろがメニューに加わる。焼き魚ではないけど、調理済みの冷凍パックを湯煎で戻すだけの煮付けや西京漬けも含む。

 主菜が決まれば、あとは大根おろしを添えるだけ。そこにインスタント味噌汁と、漬け物と、出来合いの惣菜でも加えれば、それなりの格好はつく。

 魚料理で一番うまいのは、焼き魚にして醤油と大根おろしをかけて食べることだ! という揺るぎのない信念があれば、調理はグリルに入れてひっくり返すだけである。

 たったこれだけで、気取ったフレンチ・レストランの「地中海式バジル風味サーモンのムニエル」やら「ほにゃらら鮮魚のポアレ、白ワインソースで」よりも、おいしい魚料理ができてしまう(場合もある)のだから、焼き魚は偉大である。大根おろしは魔法である。

 こうして当初予定していた夕食の宅配弁当は、そこそこ味のいい業者を週2回頼むだけにして、あとは自炊経験ゼロの息子がシェフになりすました。

■インチキシェフの限界

 しかし、人間は調子に乗ると良くない。しょせんは焼くだけ、湯煎するだけのインチキシェフには限界がある。

 毎日の食事の用意に慣れてくると、次第に手間を省くようになった。焼き魚に大根おろしを添えない日が増えていった。

 そこを手抜きしたら、おまえの役割はゼロじゃないかと、わかっている。わかってはいるんだけど、一番手間のかかる作業が大根おろしをすりおろして添えることだ。面倒くさがり屋は、その手間をさぼるようになってしまった。

 あとになって深く反省する。

 サバやアジの焼き魚がうまいのは、みずみずしい大根おろしが付いてこそ。そこは手を抜いちゃいけなかった。

 子供の頃の食卓を思い出せば、母はそういう手抜きをしない人だった。ひと手間をかければ料理はおいしくなる、そのひと手間が大事なんだよと、よく話していた。弁当のウインナーをタコさんにするとか、海苔をしいて二段弁当にするとか、調理の工程以外にも、手間をかけるポイントはたくさんある。

 冷たい仏壇のご飯を引き受けるだけでなく、料理にほんのひと手間の積み重ねを惜しまない。それが家族を思う母の偉大さと、自炊歴なしのおっさんの埋められない差だった。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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