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特養に入所が決まった父。ぼくはあのとき逃げてしまった〈介護幸福論 #11〉

「介護幸福論」第11回。父の脱走事件がきっかけとなったのか、運良く特養への長期入所が決まった。しかし、そうなると父はもう二度と自宅には戻ることができなくなるかもしれない。そのことを伝えるべきだったけれど、逃げてしまった。

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■期せずして決まった特養入り

 介護難民とか特養難民という言葉がある。

 家族での介護は難しいから施設に入所させたい。でも、空きがなくて入れない。特に費用の安い特別養護老人ホームは入所待ちの待機者が多く、順番が回ってくるまでに時間がかかる。こうして施設に入れたくても入れられない人があふれる。これが介護難民や特養難民だ。

 ぼくが父の介護を始めた頃、特養の待機者は全国で52万人以上、申込みから入所までの期間は平均で半年から1年と報じられていた。特養は運が良くないと入れてもらえない施設という認識だった。

 その後、2015年に制度が改定され、入所できる基準が上がったこともあって〝難民〟は急減していくが、2019年の厚労省の発表では未だ29万人以上が特養待機者とされる。

 だから、ぼくも気長に待つつもりだった。複数の施設に入所希望を提出して、順番が回ってくるのを待つ。それまでは周囲の手を借りながら在宅介護で踏ん張るしかない。そのために、独り身の身軽な次男が東京から実家へ帰ってきたのだ。

 ところが、父の脱走事件をきっかけに事態が動いた。ショートステイの期間が予定より延長され、しばらくすると「長期入所ができるようになりました」と連絡が来た。父が自治体の審査に通り、ちょうどその特養にも空きが出たとの説明だった。

 特養の入所認可がどんな順番で出るのかについては、ネット掲示板レベルの不確実な噂もあり、「ショートステイを繰り返している間に、家族の態度や支払い能力が見定められる」とか、「施設側の思惑次第で自治体の審査を通るかどうかも決まるんだ」とか、本当のところはわからない。

 うちの父の場合は脱走が理由になったのかも知れないし、母が入院中だったことを考慮してもらった可能性もある。ともかくこうして、覚悟していたよりずっと早く、父を特養に入れてもらえる時期がおとずれた。

 長期入所OKの知らせを聞いた時の感情は複雑だった。少なくとも、大喜びという心境ではなかった。

■自分の中に起きていた変化

 東京から故郷に帰って親の介護を始めて以来、ぼくは自分の中の変化を感じていた。

 不仲だった父とひとつ屋根の下で暮らすなんて罰ゲームではないかというスタート時の不安や、父とのわだかまりは日を追うごとに溶けてゆき、なんだかんだ言って親子だなと思う出来事もよくあった。一緒に生活し始めてから、いさかいは一度もない。

 ぐっすり眠ることもままならない毎日は確かに大変だけど、これが真っ当な家族の努めなのかも知れない、これまで親子の関係から逃げてきた分を取り返す機会が、今、自分に与えられているのかも知れないという使命感も、日々ふくらんでいた。“息子としての敗者復活戦”といったら、おかしいだろうか。

 認知症の父との在宅介護生活は、こうしてあっけなく終りを迎えた。ほっとしたような、気が抜けたような、せっかくの心の準備をすかされた寂しさも抱きつつ、父のためにはこれが最善なのだろうと思えた。

 ろくに家事もできない息子とふたりで生活するよりも、介護のプロフェッショナルに任せたほうが、穏やかに、健康に暮らせる。近所を徘徊して事故にあう心配がなくなるだけでも、今よりはいいはずだ。

 あとは頑固で融通の利かない父が、施設の中でうまくやっていけるかどうか。食事などをちゃんととれるかどうか。

■ぼくは逃げた

 そんな心配をするうちに、ある想像が浮かび、急に胸が詰まった。もしかしたら父はもう二度と、自宅には戻って来られないかもという想像だ。

「ここはおかしな旅館だな。酒を出してくれと頼んでも、酒がないって言うんだ」
 先日、父が特養を旅館と勘違いしてそんなふうにこぼした時、ぼくは答えた。
「しばらくお酒は我慢してさ。また今度、うちへ帰ったら飲めばいい」

 軽い相槌のつもりで出た返答だったが、今になれば意味が違ってくる。また今度は、もうないかも知れない。

 父が長年、家族とともに暮らしてきた自宅。この家は父が築き、父が主として生きてきた城である。

 数日間の予定で家を出たはずなのに、特養の長期入所が決まった。もしかしたら二度と自宅には帰ってこない。そんな大事な話を、父に説明しないままでいいのだろうか。理解できるかどうかはわからなくても、きちんと伝えるべきではないだろうか。 

 特養は、終の住処として位置づけられ、入所者は人生の最期までそこで過ごす人が多い。もし家に戻ってこないとわかれば、最後にやっておきたいことがあったのではないか。書類の処分だとか、庭の手入れだとか、デーンと居間に寝っ転がりたいとか、母の手酌で酒を飲みたいとか、父の希望があったかも知れないのに。

 結局、ぼくはうやむやなまま、ごまかした。面と向かって「これからはここで暮らすんだよ。もう家には帰らないかも」とは、とても言葉にできなかった。

 たぶん、逃げたんだと思う。親子関係から逃げるのをやめて、敗者復活戦を始めるつもりでいたくせに、大事なところではまた逃げた。

 父が生活することになった特養は、郊外の高台にあり、周囲には緑の木々が生い茂る自然豊かな環境にあった。 

 長期入所用の衣服や、身のまわりの日用品を新しく買い揃え、父のもとへ持って行ったのは、ミンミンゼミの声が騒がしい、秋の始まりの頃だったのをよく覚えている。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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