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介護慣れの安心感を一発で吹き飛ばした父の脱走事件〈介護幸福論 #10〉

「介護幸福論」第10回。介護のために帰郷してしばらくたち、在宅介護と特養のショートステイを使いながら、父の介護にも慣れてきた。と思った頃だった。特養から1本の電話があり、父が脱走してしまったという。

#9はコチラ↓

■特養からの1本の電話 

 父が短期入所していた特養から、あわてた様子の電話がかかってきた。
「本当に申し訳ありません、こちらの不注意で」
 なんだろう、いきなり平身低頭の詫びから始まった。

「私どもがちょっと目を離している間に、おとうさまが脱走といいますか、行方がわからなくなってしまいまして」
「え……脱走!?」
「本当に申し訳ありません。今はもう近所の警察に保護されまして、無事を確認しています」
「そうですか……。父がご迷惑をおかけして、すみません」
 まず何から質問すればいいのか思い浮かばず、こちらも詫びの言葉を口にした。
「いえいえ、お詫びするのは私どものほうです。ほんのわずかな時間だったのですが」

 状況はこうだ。

 お昼の食事を終えて、入所者たちは休憩時間に入った。ある者は昼寝をして、ある者はのんびりくつろいで過ごす。

 そんな中、うちの父の姿が見当たらない。施設の中を探すが、どこにもいない。どうやら目を離した隙に外へ出てしまったようで、これは大変だと大騒ぎになる。普通のお年寄りなら出られるはずのない、高い位置にある窓から脱出したらしい。父の趣味は登山だった。

 数10分なのか、数時間なのか、探し続けた頃に、近くの警察署から「そちらの入所者らしき人を保護しました」と、施設に連絡が入る。すぐに駆けつけて確認すると、確かにうちの父だった。

 警察によれば、父は田んぼ道のようなところをひとり、パジャマ姿で歩いていたという。何をしているのか質問したら、
「自分は飲み会に出かけて、これから家に帰るところだが、道がわからなくなってしまった。家には奥さんが待っているので、早く帰らないといけない」
 という内容を話したらしい。父がいた施設は家から車で40分以上かかる場所にあり、とても歩いて帰れるような距離ではない。父は今いる町も、道も、何もわからないまま抜け出し、母の待つ家へと歩き出したようだった。

■こみあげた自戒と反省

 騒動の顛末を聞き、いろんな感情がごちゃまぜになってこみ上げてきた。
 父がみなさんに迷惑をかけて申し訳ないという困惑。
 ともあれ無事に保護されて、ほっとしたという安堵。
 何やってんだよ、また騒ぎを起こして、という父への責め。
 もうひとつは、ああ、最近ぼくもちょっとだけ介護慣れしてきて、気を緩めたようなところがあったから、その油断への警鐘みたいなものかも知れないなという、自戒と反省だった。

 入院中の母には、父の脱走事件を内緒にしておいた。報告しても、余計な心配事を増やすだけだ。がん宣告された病人に、これ以上の精神的な負担をかけるのは得策ではない。

 さらにこの出来事をきっかけに、事態が動いていく。

 父がショートステイを利用していたその特別養護老人ホームから、申し出があった。

「今回は週末だけの予定でしたが、ケガなどしていないか、念のために病院の検査も受けていただいたほうがいいと思います。ちょうど空きも出ましたので、ご希望があれば、もうしばらくこちらに入所という形でいかがでしょうか」

 迷惑をかけたのは父のほうなのに、親切な対応をされて恐縮したが、施設側にすれば、預かっていた入所者が脱走したなんてのは、失態に入るのだろう。

 あとから知った話では、全国の介護施設で、脱走したまま行方知れずの消息不明者はたくさんいるのだという。認知症患者の場合、本人が自分を認識できていないと、たとえ保護されても連絡先がわからない。最悪の場合、山道に入ってしまってそれっきりというケースもあると聞く。

 申し出はありがたく受けることにした。もともと特別養護老人ホームへの長期入所が希望であり、ここの特養にはその申請も出している。父を長く預かってもらえるのなら不満はない。

 そして、このショートステイの延長は、結果的に父の長期入所につながった。

 特養の長期入所とは、わかりやすく言えば、最期まで面倒を見てもらえるという「終の棲家」としての居住である。家族の手を離れ、生活の世話をすべて任せることになる。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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