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向田邦子作品が母と息子をつないでくれた。〈介護幸福論 #34〉

「介護幸福論」第34回。40年前、ひとり暮らしのアパートに母が訪ねてきたことがある。そこで本棚にあった向田邦子さんの名前に母は反応した。しばらくたって実家に帰ると、読書好きの母は次々と著作を読破していた。そして母の介護をするようになって、また向田邦子作品が母と息子をつないでくれた。

■『寺内貫太郎一家』を母のためにレンタル

 母がベッドの上でしか生活できない間は、もっぱらテレビドラマや昔の映画を観るのが母の楽しみになった。

 このドラマならきっと母は気に入ってくれるだろうと、ぼくがDVDをレンタルしてきたのが『寺内貫太郎一家』だった。

 家族が食卓を囲み、樹木希林(当時の芸名は悠木千帆)演じるおばあちゃんが、食べた後に「ぶっ」と口からタネなどを吹き出す。すると、隣の西城秀樹が「きったねえな、ばあちゃん!」と嫌がる。それを見ながら、うちの母も「あら、ヤだ。行儀の悪いばあちゃん」と笑う。

 樹木希林が味噌汁をかき混ぜて、ご飯にぶっかければ「まあ、今度は味噌汁をかけちゃった。あれをされると、作ったほうは気分が悪いのよ」と、顔をしかめながらまた笑う。

『寺内貫太郎一家』は向田邦子さんの脚本で、昭和の大ヒットドラマだ。この作品が放送された1974年(シリーズ2は75年)当時、母は教師の仕事と、3人の男の子の子育てに忙しく、テレビをゆっくり楽しむ時間などほとんどない人だった。それでも向田邦子の名前だけは知っていた。

 話は40年ほど、さかのぼる。

 ぼくが大学生の頃。東京のひとり暮らしのアパートに、母が訪ねてきたことがあった。本棚に目をやった母は、ひとりの作家の名前に目を留めた。

「あら、この人、見たことある名前だね。テレビのシナリオの人だかと思ったけど、本も出してるのかね?」

■母が手に取った『父の詫び状』

 本棚から母が手に取ったのは、向田邦子『父の詫び状』だった。

「向田邦子さん? そう、本業はドラマのシナリオを書いている人。この人のエッセイが好きで、最近、読んでいるんだ」
「やっぱり、そうかね。なんかのドラマで見た覚えがあると思って」
「あれじゃないかな、『東芝日曜劇場』。おかあちゃんの見てるドラマなんて、日曜劇場くらいしかないだろ」
「ああ、そうかも知れんね」

 ぼくが子供の頃、我が家にはテレビに関するルールがひとつだけあった。日曜の夜9時。この時間帯だけは母にチャンネル権があり、1週間のうち唯一、母がのんびりとテレビを見る時間。そう決まっていた。

 朝は食事を作って子供たちを送り出し、あわただしく後片付けをして自分も出かけるから、朝ドラを見ている余裕などない。夜は子供たちやおばあちゃんにチャンネル権があり、たまに父も晩酌しながらプロ野球を見るから、母まで回ってこない。 

 母は読書家で、テレビより本の好きな人だったから、週に1度、ホームドラマを楽しむ程度で十分だったのだと思う。それが日曜の夜9時に放送されていたTBS系の『東芝日曜劇場』だった。

 1970年代、脚本家・向田邦子はこの枠に時々、単発ドラマを書いていた。だからテレビに疎い母も名前を知っていたのだ。

■本好きは油断ならない

 その時の会話はそれで終わった。

 しかし数ヶ月後、ぼくが実家に帰省すると、母の本棚のラインアップに驚いた。向田邦子の本が、4、5冊、並んでいたのである。

「え、この本、どうしたの?」
「ああ、あんたがおもしろいって言うから、順番に読んでみたんだて。エッセイもあるし、小説もあるし、いろいろ出てるんだねえ」

 本の好きな人は油断ならない。息子の本棚でちょっと見かけた作家の名前を覚えていて、試しに1冊読んでみる。気に入ったら、次々に買ってきて読み漁る。

 母と向田邦子さんは世代が近いので、子供の頃の思い出話に重なるところが多く、エッセイで描かれる寡黙で無器用な父親の姿にも共感する部分があったようだった。こうして、ほんの数ヶ月で母の向田邦子蔵書は、息子を軽く上回った。

 何も言わないまま、母がぼくの好きな作家の本をたくさん読んでいたことに、こそばゆいような嬉しさもあった。

 親の趣味嗜好に自分が影響を与えたのは、おそらくこれが初めてだったのではないか。友達にレコードを貸してあげたら、友達がそれを気に入り、ファンになってくれた。そんな種類の喜びを、親子の間で共有できた貴重な経験。つないでくれたのは向田邦子さんの本だった。

 あれから30数年。母の介護をするようになり、再び向田作品のお世話になった。今度はテレビドラマで。

『寺内貫太郎一家』を気に入ってくれたから、『阿修羅のごとく』も『だいこんの花』も、TBSの新春ドラマ傑作選(これは脚本ではなく、原作・向田邦子)も、レンタルDVDやNHKオンデマンドを駆使しながら、片っ端から母と一緒に見た。

『寺内貫太郎一家』についてひとこと付け加えれば、あの作品は決してほのぼのした昭和のホームドラマなどではなく、障碍者の長女が出てきて差別の問題も描かれていたり、「きったねえな、ばあちゃん」で年寄りの汚さを堂々とセリフにしていた点でも、毒が効いていた。あの毒と笑いの同居が向田ドラマの本領だ。

 たとえ介護ベッドの上でしか生活できなくても、楽しいことはたくさんある。母と二人で昔のテレビドラマを見まくり、笑い合ったのは、ぜいたくな、かけがえのない時間だった。

○編集担当より○
ニュースクランチで「介護幸福論」インタビュー記事がアップされました!


*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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